第17話 アリシア=ハンバード⑭

 マクシミリアンの家はテオドルの家から五分程度のところにあった。二階建てだが家は小さく、けれど三年前から使われてないとは思えないほど手入れが行き届いていた。雑草は生えておらず、家の壁面も定期的に掃除されている。


 テオドルが鍵を開けて中に入った。アリシアも一礼をしてからテオドルに続いた。


 家の外とは比べられないほど、マクシミリアンの家の中はホコリにまみれていた。家具なども乱雑に置かれ、彼の性格が現れているようだった。


「マックスは掃除とか片付けとか苦手でさ。もう昔からアイツの家はこんな感じだったよ」


 家の奥へと進みながらテオドルが笑っていた。


 居住区と思われる場所は一階、二階が仕事場だと教えてもらった。


 二人で二階に上がったが、そこには絵は一枚もなかった。窓辺には大きめのキャンバスが一つ。散らばった画材や絵筆。仕事中についたものなのか、そこら中に様々な絵の具が飛び散っていて人の家とは思えないほどに鮮やかだった。


「アイツは最後の絵もちゃんと描き上げてから死んでったんだ。掃除もできなくて仕事人間で、だから奥さんも娘も愛想ついて出ていった。悪いやつじゃ、なかったんだけどね」


 しゃがんで絵筆を拾ったテオドル。その絵筆をそっと、自分のポケットに入れていた。


 しかし、どこか違和感があった。外から見たときの構図と、今自分が立っている部屋の構図がどうも合わないような気がした。


「この家、もしかして屋根裏部屋とかありますか?」

「ああ、そういえばあったね。昔一度だけ娘が屋根裏部屋に入って困るって話を聞いたことがあるよ。たしかこの辺かな」


 テオドルが見上げた天井には不自然な切れ目が入っていた。切れ目の端の方には輪になった紐がぶら下がっている。近くに落ちていた鈎棒でその紐を下げると、そのまま天井の一部が降りてきた。


「ここが階段になってたんだね」


 大人一人通るので精一杯の幅で、階段そのものは非常にひ弱そうだった。足場の板は薄く、今より劣化したらすぐにでも割れてしまいそうだった。


 テオドルを先頭にして屋根裏へと登った。階段がギシギシと鳴り、いつ壊れるか心配になりながらも登っていく。そこは屋根裏というには広く、どこか秘密基地のような感覚さえあった。そして、屋根裏部屋には余すところなく、たくさんの絵が並べられていた。


「そういうことか」


 と、テオドルが自分に言い聞かせるようにそう言った。


「そういうこと、とは?」

「さっきマックスは手が遅いって話をしたでしょう? たぶん手が遅かったのはこういう理由があったんだなって思ってさ。これ、たぶん今まで描いた絵の複製だよ」

「複製を作る時間が欲しいからってことですか?」

「マックスが手掛けた作品のほとんどの複製があるんじゃないかな。きっとマックスの作品全部じゃないけどすごい量だなこれは」

「もっと描いてたんですか?」

「この数倍は描いてたよ」


 ざっと見ただけでも何十枚とある。それでもマクシミリアンの作品の一部だということに感嘆した。


「思い入れのある作品だけ残してあるのかもしれないね」


 テオドルは屋根裏部屋の奥の方まで歩き、一枚の絵の前に立った。


「これだろう、キミが探していた絵は」


 彼が手で埃を払った。


「ええ、これです」


 屋根裏には窓がついていないので色はわからないが、何度も見てきたオメガの顔は忘れようがなかった。


 中央にはハイドとミラとその子供。右側にはモニカとモニカの夫。そして左にはオメガとオメガの妻。それぞれが穏やかな表情で描かれていた。


「時間も経っちゃってるし保管場所も良くないから劣化してるけど、これはボクが責任を持って届けるよ。誰に届ければいいんだい?」

「エセットのモニカ=エクレフに。でも、その、もうご高齢なので金額の方は控えめにしておいてもらえると……」

「そのへんは心配しなくても大丈夫。信頼と安心で売ってるからね、うちは」


 テオドルが自分の胸を強く叩いた。彼のことはまだよくわからないが、今はこの言葉を信じる他なかった。


 マクシミリアンの家を出ると日が沈み始めていた。茜色に染まっていく町並みを見て、この絵が無事モニカの元に届くことを祈った。


「もう一度絵を見せてもらえますか?」

「うんいいよ。はいこれ」


 受け取った絵はどこか心が温かくなるものだった。そこにレイチェルがいないことを除けば、だが。


 今まで見てきたオメガの似顔絵はモノクロであった。なので色がついた絵を見て、初めてちゃんとしたオメガ=リンダールの姿を見ることになる。屋敷に明かりがないため色の詳細はわからない。それでも色の濃淡はわかる。オメガやハイドは淡い色の髪の毛で顔の彫りも深い。逆にモニカやミラは幼い顔立ちで髪の色は深い色、黒系統だ。テレサはミラに似たのか、濃い髪の毛がとてもよく似合う少女だった。


「それじゃあ、お願いします」


 絵を渡すと「心得ました」と彼が言った。


「今日は本当にありがとうございました。それと、無理を言って申し訳ありませんでした」

「いいのいいの。いずれはマックスの家を片付けなきゃならなかったからね。これで踏ん切りもついたってもんだよ。キミもこれから部隊復帰するんだろう? いろいろと大変だろうけど頑張ってね」

「はい、ありがとうございます。それじゃあ」


 背を向けたところで「もしも欲しくなったらうちに来なよ」と言われたので、振り返ってもう一度会釈した。商魂たくましいとはこういうことを言うのかと思わずほくそ笑んでしまった。


 これで少しはオメガが救われるだろうか。レイチェルは、ハイドは、ミラは、テレサは。そしてモニカは喜んでくれるだろうか。


 そんなことを思いながらアリシアは自宅の方向へと足を向けた。日が落ちるにつれて変わっていく街の景色を見ながら、これで誰かが救われてくれればいいと思った。

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