第14話 エルヴィン=マインカート②
ミラとハイドは仕方なくエセットを出た。思い入れもあっただろうし、出たくて出たわけでもないはずだ。にも関わらず手紙の内容は非常に簡素だった。ミラの文字は非常に綺麗で手紙を書き慣れているという感じを受けた。語彙力にも富み、おそらくは手紙を書くことだけでなくおしゃべりをするのも好きなのだろう。
「ありがとうございました」
「もういいの?」
「読むのは大丈夫です。それでですね、少し言いづらいんですが、手紙の内容を写させてもらってもいいですか?」
「問題ないわ。ここまできたら一緒でしょう?」
「ふふっ」とモニカが笑った。
「それじゃあお言葉に甘えて」
エルヴィンとレオナルドは二人で手紙の内容を写した。すべてを写すのに一時間程度かかってしまったが、封筒に入れてバッグに仕舞った。
モニカに礼を言ってから家を出た。これでアリシアがやり残したことがまた一つ減ったことになる。
レオナルドが喉が乾いたと言うので近くの茶屋に入った。ラルフは渋っていたが、案内してもらったお礼だと言ったら渋々ついてきた。
小さな町の茶屋なのでテーブルは三つ、カウンター席も四つしか用意されていない。けれど客もおらず、窓際の四人席に座ることにした。
「なに飲みます?」
「ここのコーヒーは美味いぞ。レギュラーでいい」
「わかりました。レジュラー三つで」
まだ十代であろうウエイトレスは伝票に注文を書き込み「しばらくおまちください!」と元気よく店内を駆けていった。
「正直、これはただの礼ってわけじゃないんだろ?」
ラルフは口端を上げて笑った。
「長年の勘ってやつですか?」
「ま、そういうこったな。それでなにが聞きたい?」
「今回の件で一番重要なところなんです。レイチェルが死亡したとき、この町に短期で来た駐屯兵のことは覚えていませんか?」
「数週間のことだったし、この町は辺境と言っても過言じゃないから短期の駐屯兵が来ることも少なくないんだ。だから名前まではさすがに覚えてない」
「短期の駐屯兵が多い、ですか?」
「昔は一般兵の中で上を目指す人間は駐屯兵として研修をすることもあったんだよ。仕事を学ぶという意味でな。まあそういうのはここだけじゃないが、不慣れな人間が来てもいいように規模が小さな町が選ばれるらしいな」
「なるほど、それでか」
エセットに来る前、エルヴィンとレオナルドは駐屯派遣者のリストに目を通してきていた。しかしレイチェルが死亡した時期には誰もエセットには派遣されていなかったのだ。
「なるほどってどういう意味だ?」
ラルフが身を乗り出した。
「一応駐屯派遣者のリストを見てきたんですが、レイチェルが死んだ時期には誰も派遣されてないんです。今の話を聞いて合点がいきました」
「あー、そういうことか。派遣者としてエセットには来てないからそのリストには載ってないということか」
「はい。これから帰って研修者リストを洗ってみようと思います」
「それでオメガさんが浮かばれるのか?」
「はいそうです」とはすぐに返せなかった。レイチェルが自殺か他殺かも定かではない。そもそもこれはアリシアが始めたことであり、本来ならば自分には関係のないことだからだ。レオナルドに言われたように、アリシアに惹かれているから手伝っているにすぎない。それをわかっているから、どう返事をしていいのかわからないのだ。
「オメガさんが浮かばれるかどうかは俺たちにはわかりません」
そう言ったのはレオナルドだった。
「事実関係もわからない。確実な証拠はない。そもそも二十年以上前のことなので事実関係も証拠も残っている方が奇跡なんです。でも、やるだけはやりますよ」
レオナルドは猫をかぶるのが上手い。嘘を吐くのが上手い。お世辞を言うのが上手い。だからこういうときだって笑顔を作っていられる。
「まあそうだよな。わかった、無理せずがんばりな」
「それじゃあ俺たちは宿に戻ります。今日はありがとうございました」
脇腹を小突かれて立ち上がった。残ったコーヒーを飲み干し、急かされるように出口へと向かった。ウエイトレスには少し多めに硬貨を渡し「お釣りはいいから」と外に出た。
宿泊している宿が近くにあったため、寄り道をせずに宿に戻った。
部屋に入りバッグをテーブルの上に置いた。上着をハンガーに掛けてクローゼットに入れる。
「お前、もうちょっと上手くやりなよ」
レオナルドがベッドに座りながら言った。
「上手くって言われても困る。俺はお前みたいに上手く立ち回れないからな」
先程の会話の件であることはすぐにわかった。安心させるためにも、事実を交えながら即座に返答すべきだったと反省はしている。
「一般市民を守るのはボクらの役目だ。それにはある程度の話術も必要だし、感情を表に出さない努力も必要。お前は体力もあるし腕力もある。頭も悪くない。だが正直すぎるんだよ」
「それは美点と捉えてもらえるとありがたいんだが」
「なんでもかんでも美点だの特徴だの長所だのって言っておけばいいものじゃない。それが適応される場合だけプラスに働くんだ。さっきのお前の正直さはマイナス。短所だよ」
「長所も短所だ。それに上手くやれてる俺なんて気持ち悪いだろ」
「気持ち悪かろうがなんだろうが、必要な嘘を吐く努力は怠るな。まあ、それ以外はなんでもいいけどね」
「なんでもいいってなんだよ……」
ポットを手に取りコップに水を汲んで一気に飲み干した。レオナルドの方を見れば本を広げようとしているところだった。
「なあ、お前はオメガのことをどう思う?」
イスに腰掛けてエルヴィンが言った。
「どうも思わないけど? でも迷惑な災害くらいには思ってるかな」
「災害ね、上手いこと言ったもんだ」
「実際そうだよ。そうやって教える教師もいるからね。魔王の血族が持つ特殊な力が、ある日突然暴走して世界を恐怖に陥れる。災害以外のなにものでもない」
「大体の場合は感情の強烈な高ぶりが原因だって言われてるな」
「ここ千年近く魔王が出なかったのが奇跡だ。それでもそれを奇跡のままにしたくないってのが軍部の考えらしいけど」
「魔王一族の根絶か。難しそうだな」
「難しくてもやらなきゃ一生文明は進化しないぞ。進化しては壊され、進化しては壊される。そういう世の中なんだろうが、それじゃあ飢饉も不作も防げない。上層部ではいろいろそのための案を考えてるらしいから、そのうちなんとかなるんじゃないか?」
「いつごろだ?」
「いつごろかなんてボクが知るはずないでしょ」
「っていうかなんでそんな話知ってるんだ?」
「世渡り上手っていうのは情報も勝手に集まってくるもんだ」
ペラっと本をめくる音がした。会話をしながら本を読む。よくそんな器用な真似ができるものだとため息を吐いた。
「この件に辻褄を合わせるとしたら、レイチェルを殺した犯人に心当たりができたオメガが魔王になってその犯人を追おうとした。そしてレイチェルの仇をつきとめ、無念を晴らしたから自殺した。そう考えるのが自然か」
「それにしてもなんでアリスはハイドやミラのことを知りたがったんだろうね。そこだけが引っかかるよ」
最初はエルヴィンもそう思っていた。酒場で話をしたときも、手紙をもらったときも、エセットに来た直後も。けれどオメガのことを語る住民たちの顔を見ると、なんとなくアリシアの気持ちがわかってきたのだ。
「もしかすると、ハイドやミラも殺されてるのかもしれないな」
「それはどういうこと?」
ようやくレオナルドが読書を辞めて顔を上げた。
「たぶんだがアリスもそれに気づいてる。何年も手紙が来てないんだから、モニカさんも気づいてるだろうな」
「でも死んでるならどうすることもできないでしょ。執着する理由がないよ」
「ハイドとミラ。もしもどっちかが生きてるとしたらどうだ。自分たちを殺そうとした人間を知っている可能性がある」
「殺されてたとしてもいつ殺されたかがわからない以上はなんとも言えないね」
「単純に考えれば手紙が途絶えたあたりだろうな」
「となるとやっぱり二人共殺されてるっていうのが濃厚だろうね。でもそれはオメガの件と関係ないんじゃない?」
そこまで言って、レオナルドは視線を下げて話を続けた。
「でもレイチェルを殺した犯人とハイドたちを殺した犯人が同一人物だとすれば話が変わってくるね」
「きっとアリスはその可能性を考えたんだと思う。だからハイドたちの消息を気にかけてたんだ」
「あの手袋の持ち主が犯人だった場合、犯人は軍人であり、何人も人を殺している殺人犯ということになる。それにラルフさんが言っていたように、軍部で上に行くために駐屯訓練も受けていた。となれば今はそれなりの地位にいるはずだね」
「正確にはそれなりの地位にいた、だな」
「そう考えるとオメガの魔王化の件も納得がいくかもしれない。ハイドたちが殺されているとした場合、レイチェルの死後オメガが魔王化したのではなく、レイチェルの死後ハイドが殺され、それが原因で魔王になった」
「少しずつ見えてきたかもしれないな」
今揃っている情報を紙に書き出していく。
・体格は大柄
・二十六年前に駐屯訓練を受けている
・当時は三十代前半
・レイチェルの恋人であった可能性が高い
・証拠は手袋のみ
・現在はおそらく死亡している
・死亡時期は不明
・地位が高い
・生きていれば年齢は五十前後
・ハイドとミラを殺した可能性が高い
・エセットに縁ある人物
トントンとペン先でテーブルと叩いた。
レオナルドがベッドから歩み寄り、箇条書きにした内容を覗き見る。
「これだけわかれば絞り込めそうだね」
「あとは帰ってからだな」
早速アリシアに手紙を出すことにした。今日わかったことや先ほど箇条書きにした内容などをしたためて封筒に入れた。宿の外にある投函塔に手紙を出し、ついでに時間になったら食事を持ってきて欲しいと宿の店主に頼んだ。
「明日は何時に出る?」
本を読みながらレオナルドが言った。
「早めに王都に戻りたいな。調べることも多い」
「ならなんで手紙なんて出すんだ? 手紙がアリスの手に渡るのよりも、こっちが最短距離で王都に向かった方が早いでしょ」
「保険だ。アリスがそうしたように、俺もそうした方がいいと思っただけだ」
「そのためにわざわざ偽名まで使うか?」
「アリスは俺たちが考える以上に用心深い女だったってことだな。手紙の住所は投函した宿近くの茶屋や酒場、名前はその場で考えたであろう偽名。俺も最初は誰からの手紙かわからなかったけど、ちゃんと手紙の中では自分の名前を出してる」
「そういうところは抜けてるね。本来そういう文書は手紙の中でも自分の名前を出さないものだ」
「でも重要機密を知らせる文書の場合、合言葉みたいなものを仕込んでおかなきゃ成立しない。それができないってわかってたから仕方なく名前を書いたんだろ」
「魔王オメガのことが気になってるってお前に言ったのに?」
チクリと胸が痛んだような気がした。
「アリスはお前にオメガについての話をしたんでしょ? だったら、アリスの名前がなくてもオメガについての手紙が届けばお前はアリスからの手紙だと見当がついたはず。でもアリスは自分の名前を書いた」
「なにが言いたい?」
「お前はまだアリスに信用されてないってことだよ。お前が言ったんだぞ。用心深い女だって」
レオナルドが本から視線を上げた。
「信用されてなきゃ俺に手紙なんて出さないだろ」
「消去法。自分の願いを疑いなく受け入れ、思い通りに動いてくれる人物が他にいなかっただけだよ」
「そんな言い方、アリスに失礼だろ」
「失礼かもしれないがそれが事実だよ。受け入れなきゃ前に進めないと思う」
「前に進むってどういうことだよ。どうしたんだよお前。アリスとは魔王討伐課で一緒だっただろ。今更信用問題の話を持ち出すなんてどうかしてる」
「魔王討伐課で一緒だったのは信頼関係の話とは別のところにある。生死の境で共に生き残った仲間、それは間違いないよ。でもそれは同僚としての話さ。上層部からの命令で魔王討伐部隊に編成され、一緒に戦ったに過ぎないんだ」
「なにが言いたい? 全然わからないぞ」
「ならわかるまで考え続けた方がいい。こればっかりは自分自身で答えを出した方がいいからね」
「相変わらず意地が悪いな」
「それがボクのいいところだからね。まあ急がず自分のペースで歩けばいいとは思うけどさ」
「その自分のペースっていうのがわからないんだが」
エルヴィンが頭を抱えているのを無視するように、レオナルドは本を読み続けていた。
結局、それ以上手紙やアリスの話をすることはなかった。その話に触れれば確実に同じところに行き着くとお互いに理解しているからだ。アリシアの行動、信頼関係の有無、仕事と個人。結論が出ない以上は意見が食い違う。水掛け論になってしまうと、今度は思考よりも感情の方が優先される可能性が高くなる。
その日は食事をし、風呂に入って早めに床についた。眠る直前、何時にエセットを出るか話をしていないことに気がついたがそのまま眠ることにした。
深い呼吸を繰り返し、エルヴィンは眠りに落ちていく。食べられるときに食べ、眠れるときに眠る。それができなければ、一人前の軍人にはなれない。
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