第13話 エルヴィン=マインカート①
何時間も馬を走らせたせいか身体はへとへとだった。今はどこかで休みたいところではあったが、一息つくのはもう少しあとになるだろうとため息をつく。
「お前、ため息ついてる割には生き生きしてるな」
エルヴィンが振り向くとすまし顔のレオナルドが後ろからついてきていた。いつもどおり無表情、同僚はみな口を揃えて冷静冷徹辛辣と言うだろう。もちろんエルヴィンもレオナルドのことをそう思っている。
「別に生き生きしてるわけじゃないさ」
「どうかな。片思いの女に頼られて惚けてるじゃないか」
「べ、別に惚けてなんかない」
レオナルドが追いつくまで待つつもりはなかった。エルヴィンは手綱を振って馬の歩調を少し上げた。
「そうでなきゃ貴重な休暇中にこんなところに来ないだろ」
レオナルドに急ぐような素振りはなく、いつもどおり斜め後ろにいた。やや話しづらくはあるが、さすがに十年以上一緒にいれば慣れる。
「俺も休暇中に旅行をしようって思ってたんだ。アリスからの手紙があったからってわけじゃない」
町の入口で馬舎に馬を預けた。大きいとは言えない馬舎だったが、町自体の規模も小さくこれといった特産物もないので寄り道をする人間は少ない。
「アリスは今どうしてるんだ?」
「クラリスを勝手に連れ出したんじゃないかって疑われてて、軍部で簡単な事情聴取を受けてるらしい。数日で終わるみたいだが、クラリスもアリスもしばらく王都から出るのを禁止されたみたいだ」
「ただの無断欠勤でそこまでする? ボクには上層部が考えてることはわからないな」
と、レオナルドがため息をついた。それにつられてエルヴィンも深く長い息を吐いた。
馬舎から出て辺りを見渡す。入り口の駐屯兵を見つけて話しかけることにした。髪の毛は白髪交じりで痩せ型。老兵というにはまだ早いが、あと数年で間違いなく退職だろう。
「はじめまして、俺たちこういう者なんだけど」
部隊証明証を見せると、駐屯兵は大きく目を見開いた。
「お前さんたちも魔王討伐軍だったのかい?」
「はい、俺たち二人共。ちょっと前に女兵士二人が来たと思うんですが、俺たちはその代わりだと思ってください」
「なるほど、あの二人に友人かい。俺の名前はラルフだ、よろしくな」
差し出された手を握った。思いの外力が強く、手のひらはゴツゴツと凹凸が感じられた。長いこと武器を振ってきた人間の手だ。
「あの二人、アリシアとクラリッサはどこに行こうとしてましたか?」
「連れて行かれる前にレイチェルが落ちた崖に向かおうとしてたな」
「じゃあそこに案内してもらえますか?」
「いいよ。ちょっと待ってな」
ラルフは駐屯部屋に入った。数分後、若い駐屯兵を連れて出てきたのだが、若い駐屯兵は嫌そうな顔でこちらを見ていた。
「またですか?」
「そう言うな。すぐ戻るよ」
若い駐屯兵の肩を二度ほど叩き「それじゃあ行こうか」と歩き出した。
大きな町ではないが縦長だ。ここからでは町の出口は見えない。
「そういえばあの二人って誰に連れてかれたんですか?」
エルヴィンは駆け足でラルフの横に並んでそう言った。
「七人もいたし名前も覚えてねえな。でも二人が馬車に乗るとき、男の兵隊さんが「我々は殿下の近衛兵です。ご心配なさらず」とか言ってたな」
「近衛兵、ね」
アリシアからは三回手紙をもらった。一通目はオメガの交友関係、人柄、レイチェルの死の疑惑や恋人が犯人かもしれないということ。二通目は隠密部隊に追われているかもしれないということ、エセットでの情報収集に限界があるかもしれないということ、もしそうなった場合自分たちの代わりに情報を集めて欲しいということ。そして最後、三通目はオメガの息子とその妻の行方がわからないこと、二人には子供がおりその子供の行方もわからないということ、オメガは今でもエセットの住民に好かれているということ書かれていた。そして最後の手紙と一緒に古い軍用の手袋が同封されていた。
「でもどうしてあの子たちの代わりにこんなことしてるんだ?」
「なんて言えばいいんでしょうね。信頼の置ける同僚からのお願いだったんで、まあ、その、仕方なく」
「ホントにそうかい?」
「どういう意味です?」
「アンタ、あの子たちのどっちかに惚れてるんじゃないのかい?」
ブフッと吹き出したのはエルヴィンではなくレオナルドだった。
振り返ってレオナルドを睨むが、彼は口に手を当てて笑いをこらえるので精一杯だった。
「違いますよ。ただの同僚ですから」
「はー、なるほどね。まあ、がんばりなよ」
「ホントに違いますから……」
ラルフは「はっはっはっ」とやや大げさに笑っていた。そんなにわかりやすいものなのかと自分の顔を触ってみるが、触ったところでなにかがわかるはずもない。
崖に着くまでに手紙の内容を確認した。エルヴィンに宛てられた手紙の内容に偽りはなかった。ラルフという老兵が嘘を言っているようにも見えなかった。
崖は町を出て森の中に入り、数分歩いた先にあった。森の中の道からは見えず、町の住民でもここに来る人間は少ない。特に幼少期よりここには近寄るなと大人たちが口を酸っぱくして教育するのだ。と、ラルフが教えてくれた。
「ここから落とされたら高確率で死ぬな」
レオナルドが崖を見下ろしてそう言った。性格なのか肝が座っているのか、臆する気配は微塵も感じられない。
「高さは十数メートルってとこか。落ち方さえよければ骨折だけで済みそうな高さではあるな」
「腰、引けてるよ」
「高いところは得意じゃないんだ」
早々に崖から離れたエルヴィンは、手袋を取り出しながらラルフに話しかけた。
「レイチェルさんはこの手袋を持ってたんですよね?」
「モニカさんが持ってた物だよな? だとしたらそうだ。誰の物かわかったのか?」
「いえ、まだそこまでは。リストアップはしたんですが、なにせ人数が多いもので」
軍から支給される手袋は公的な式典などでは着用義務がある。薄手のものと厚手のものがあるが、良い素材で作られており仕事でも使うことが多い。ただし製造にも手間がかかるため、支給というよりは交換に近い形でないと新しいものはもらえない。もしも損失した場合は損失届を提出しなければならないのだ。
アリシアの手紙を受け取ってすぐ、総務部の知り合いに頼み込んで損失届の記録を見せてもらった。レオナルドと手分けして紛失届を出した軍人をリストアップしたはいいが、二十六年前という曖昧な情報だけでは百人程度に絞るのが精一杯だった。二十六年前に三十代前半、大柄という特徴ではそれが限界だったのだ。その情報をアリシアの部屋の郵便受けに入れ、その足でエセットまでやってきた。
本当であればアリシアに直接会えればよかったのだが、クラリッサの無断欠勤や、それを追っていた軍人を無理矢理撒いたことなどで事情聴取を受けているらしかった。気持ちを落ち着ける時間も必要だと考えたし、精神的な疲労を少しでも和らげてやりたいと思った。
崖をあとにして、今度はモニカの家に向かうことになった。これはアリシアの手紙にも書いてあったことだ。まだ聞いていないことがある、と手紙に書いてあったのだ。
ラルフを先頭にして歩いていると、レオナルドがエルヴィンの横に並んだ。
「あの崖、誤って落ちてもたぶん死ぬよ」
着地すること前提であれば骨折で済むかもしれないが、事故だろうと自殺だろうと頭から落ちれば確実に死ぬ高さだった。
「だろうな。つまるところ、レイチェルが手袋を持っていたとしても突き落とされたとは限らない」
「アリスはそのために崖に行こうとしてたんだな。本当に自殺だったのか、それとも本当は他殺なのか」
「でもこれでわからなくなった。その手袋が誰の物であれ、落ちれば死ぬという事実しかないわけだしな」
「手袋一つじゃ証拠にはならないね」
そこで一つの考えが浮かんできた。
「だから、じゃないのか?」
「だからオメガは魔王になったってこと?」
「証拠が証拠として機能しない以上、実力行使をする他なかった」
「軍部は調査をしてくれず自分で探すしか手がなかったなら、オメガが魔王になった説明もつく」
「でもそれだと闇雲に軍人を殺すことになる。魔王にはその力もある。だがオメガはそれをしなかった」
「オメガはなにか情報を持ってたんじゃないか? そうでなきゃ説明がつかないよ」
アリシアがエルヴィンに宛てた手紙の中では、オメガ=リンダールという男の懐の深さや器の大きさが描かれていた。人がよく気が利く、誰に対しても分け隔てない優しさを持ち、情に深い男だった。だからこそ説明がつかないのだ。
いや、逆に説明がつくこともあった。
「オメガが闇雲に軍部を襲撃しなかったこと、軍人を片っ端から殺さなかったこと。それらはオメガの人間性に非常に近いものだ。だとすると、オメガは魔王になったあとでも元々の人間性を保持していたことになる」
「どんな情報を持ってたと思う?」
「さすがにそれはわからん。だがオメガが人間的な精神を持って魔王をしていたことは間違いないってことだ」
「それがわかったところでどうなるかって話だけどね」
「全然違うだろ。力を振るおうとしていただけなのか、目的があって魔王の力を使っていたのか。それだけでもアリスに報告するには十分だ」
「アリスに報告してなにかが変わるとは思えないんだけどね」
「だからこそモニカさんにもう一度話を訊くんだろ?」
ラルフに連れられてモニカの家までやってきた。頭は白髪で覆われていて弱々しい老婆であったが、顔を見ただけでも優しそうであることはすぐにわかった。
リビングに通され、ソファーに座った。
「先日女性二人が来たと思うんですがその二人の友人です。彼女たちはもう帰ってしまったんですが、聞き忘れたことがあるというので僕たちが来ました」
「そうなのね。ええ、答えられることなら」
アリシアからの手紙を取り出して咳払いを一つ。
「お孫さん、テレサのことなんですが似顔絵を見せてもらってもいいですか?」
「いいわよ。ラルフ、お願いね」
「また俺かい」
ため息を吐きながら、ラルフは木箱を取りにいった。テーブルに置かれた木箱の中には似顔絵や手紙がたくさん入っていた。
「これがお孫さんですね」
「そうよ、目と口は娘に、鼻はハイドに似てるわ」
「家族で映っている絵とかありませんか? その、モニカさんたちも含めての家族っていう意味で」
「確かあったとは思うのだけれど、どこにあるのかはわからないわね。両家揃って頼んだものだからよく覚えてるわ」
「それなのにその絵がどこにあるのかはわからないと」
「発注も受取人もオメガさんだったから。王都でも有名な絵師だったらしいのだけれど、私はもう王都に行くような体力もないから」
モニカは柔らかく笑っているが、右ヒザをさする姿は痛々しかった。リビングに来るまでの間も右足を引きずるように歩いていた。腰も曲がっているし、老婆が一人で王都に行くのはかなり難しいだろう。
「その絵が描かれたのはいつでしょう」
「ミラとハイドが出ていくちょっと前よ。画家に来てもらってね、レイチェルだけいなかったけど家族の絵を描いてもらったわ。そのあとミラたちが出ていってしまって、結局オメガさんも引きこもりがちになってしまって」
「その絵師は王都の人なんですね?」
「ええ、そう聞いてるわ」
エルヴィンは「ふむ」と顎に指を当てた。
「手紙、読ませてもらってもいいですか?」
「汚さないでくれれば問題ないわ。どうぞ」
消印が古い順に封筒から手紙を出して読んでいく。手紙はいずれも短く、長くても五行程度に収まっていた。エルヴィンのあとにレオナルドが読み、すべての手紙に目を通した。
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