第12話 アリシア=ハンバード⑫

 駐屯部屋を出ると若い駐屯兵がラルフに駆け寄ってきた。


「悪いがもう少し頼むわ」

「もしかしてラルフさん、この人たちとどっか行くんですか? その年で仕事ほっぽりだして若い女の子と出かけるんですか? 奥さんに言いつけちゃいますよ?」

「モニカさんのところに案内するだけだ。やましいことなんてない」

「どうかなあ」


 と、若い駐屯兵はニヤニヤしながらも送り出してくれた。


 モニカの家は町の奥まった場所にあった。奥まった、といっても町そのものが大きくないので十分も歩けば家が見えてくる。青い屋根の少し寂れた一軒家だった。


 ラルフがドアノッカーを四回叩くと中から老婆が顔を出した。この老婆がモニカだろう。髪の毛は真っ白で腰は曲がり、一人での生活はかなり大変そうに見えた。


 モニカに案内されてリビングへ。キッチンに向かおうとする彼女の背中に「茶はいいですよ」とラルフが声をかけていた。


 大きなイスにどっかりと腰を下ろすモニカ。年齢も年齢なので立ちしゃがみが辛いのか、どうしても動作そのものが大きくなってしまうようだ。


「それで今日はどうしたんだい」

「モニカさんに訊きたいことがあるって、この人たちが」

「この人たちは?」

「軍部の人だ。オメガさんのことが知りたいらしくて」

「そう、オメガさんのことを……」


 モニカは目を伏せ、左手の甲を右手の平で何度もさすっていた。


「それで、なにが知りたいの?」


 表情は穏やか。物腰も柔らかい。これだけでもオメガのことを嫌っていないことがわかる。オメガが魔王であるにも関わらず彼のことを慕っているのだ。


「レイチェルさんが死んだとき、彼女が持っていた手袋の行方をご存知ないかと思いまして」

「ああ、あの手袋ならあるよ。ラルフ、あそこの棚の真ん中にある木箱を持ってきて頂戴」


 指差した棚からラルフが少し大きめの木箱を運んできた。重そうには見えないが抱えなければ持てないくらいの大きさで、モニカの体では下ろせなくなったのでそのままになっていたのだろうと想像に難しくない。それをテーブルの上に置き蓋を開けた。


 中には何通かの手紙、似顔絵、家族の絵、子供の服、そして軍用の手袋が入っていた。


「これだ……」


 焦げ茶色の手袋。縫い目からタグが出ており、製造年月日が刺繍されている。内側には製造元と思われる業者の名前も刺繍されていていた。


「やったな。これでわかるぞ」


 クラリッサの声も心なしか弾んでいるようだった。


 手袋は手に入った。あとは王都に戻って調べればいい。休暇はまだ三週間以上残っているから軍務庁の資料室をひっくり返すだけの時間はある。一般兵が資料室に入るのには許可がいるが、知り合いを尋ねればなんとかなるだろう。


 しかし、アリシアの視線は手紙と似顔絵、それと家族の絵から離れなかった。


「これは?」


 女性がイスに座り、笑顔で子供を抱いている。子供はまだ赤ん坊だ。立っている男性は女性の肩に手を置き、こちらもまた微笑んでいた。優しく、愛に満ちた笑みだった。


「娘のミラよ。隣の男の人は夫のハイド。オメガさんのことを調べているなら知ってるわよね」

「はい。ハイドさんとミラさんのことは聞き及んでいます」

「ミラがこの町から出ていく前に旅の画家が描いてくれたものなの。ミラとハイドとテレサよ。安価だったから他にも家族の似顔絵なんかも描いてもらったわね」

「この手紙は?」

「時々手紙を寄越してきたのよ。テレサは元気か、とか書かれたりしたわね」

「二人がテレサを置いていったことに疑問は持たなかったんですか?」


 少し突っ込んだ質問であることは重々承知の上だった。


 しかし、モニカは笑顔を崩さなかった。


「たぶんだけど、オメガさんは自分が魔王になる素養があることを知ってたんだと思うわ。だから二人をこの町から追い出した。いつ自分が魔王になるかわからない。自分が魔王になってしまえば、ハイド、ミラ、テレサに迷惑がかかってしまう。その前にどこか別の場所にやった。と、私は思ってるわ。当然最初は疑問だらけだったけど、年を重ねるうちにそういう結論に至ったのよ」

「でもテレサは残して行ったんですよね?」

「きっと小さな子どもを連れては行かれないとオメガさんに言われたんでしょう。でなければミラがテレサを手放すはずがないわ」

「そのテレサは今どこに?」


 モニカは静かに目を閉じ、ため息を吐いた。


「オメガさんが魔王になってすぐ、養子に出したわ」

「どうしてそんなことを……」

「この町ではテレサは大きくなれないと思ったからよ。オメガさんが魔王になった直後、きっと軍人がこの町にやってくるだろうってのは予想できた。そうしたらテレサは間違いなく軍に連れていかれてしまう。その前になんとかしなければと考えた。愛おしい孫だからこそ、生きて欲しかったのよ」


 モニカはやはり左手の甲をさすっていた。


「大変恐縮なのですが、モニカさんはオメガさんを恨んでいないのですか?」

「恨んでいないといえば嘘になるわね。でもね、あの人は本当に優しくていい人だったのよ。あの人が魔王になったからって、あの人が生きてきた人生までは否定できないわ。それにハイドだっていい子だったわ。娘は生まれつき足が悪くてね、歩くのも苦労していたし走るなんてもってのほかだった。そんなミラの手を子供の頃からずっと握っていてくれたのよ。そんな家族を、どうやったって嫌いにはなれなかった」

「本当に、素晴らしい人だったんですね」

「そうよ。だからこそ、町の人もオメガさんのことを嫌いになりきれなかった。魔王になったときだって、彼は誰一人として殺してはいない。町は確かに半壊したけれどね」


 当時の調書は何度も読み返した。モニカが言っていることが真実であることはよく知っている。


 オメガの話を聞けば聞くほど、オメガという人物がわからなくなる。エセットの町は半壊させたが人は殺していない。けれど他の場所では人を殺している。軍人だって何人も亡くなった。壊された町もいくつもあって、跡形もなく吹き飛ばされた山もあったはずだ。


 では、魔王オメガとは本当はいったいどういう人物だったのか。アリシアの中にある魔王オメガという人物像がぐらぐらと揺れていた。


「手紙を拝見してもよろしいでしょうか?」

「ええどうぞ。でも汚さないでね」


 モニカはフフッと笑い、アリシアは「当然です」と返した。


 手紙の内容は近況報告ばかりだった。住所などは書いていなかったが、ハイドはシモン、ミラはレベッカ、姓はハルネスに改名したことが記されていた。


 引っ越した先で温かく迎えてもらったこと、ハイドが仕事についたこと、自分も働き始めたこと、とても幸せであること。そして、モニカと一緒にいられない寂しさなどが綴られていた。


 胸が締め付けられるようだった。楽しそうな、嬉しそうな文面の中にどこか切なさが垣間見える。故郷に帰りたいという気持ち、子供に会いたいという気持ち、生活基盤が完全にできていない不安感。そのようなものが見て取れたのだ。


 しかし、手紙の消印はおよそ二十年以上前のものばかりだった。よく考えてみれば今でも手紙のやり取りをしているのならばこんな量では済まないはずだ。


「何年も前から手紙が来てないんですね」

「たぶん、他の場所に移り住んだんじゃないかね。手紙を出せない状況にあるんだ、そうに違いないよ」


 モニカは窓の外を見ながら言った。


 その言葉でわかってしまった。口ではこう言っているが、ミラとハイドがすでにこの世にいない可能性を考えている。考えてはいるが飲み込めていない。飲み込んでしまったらすべてを認めることになる。


「そう、ですね」と返すことしかできなかった。それ以上の言葉が見つからなかった。


 手紙を木箱に戻し、手袋だけをテーブルに置いた。


「少々言い出しにくいのですが、この手袋をお借りしたいのですがダメでしょうか」


 モニカは再度こちらを見て「いいわよ」と柔和に微笑んだ。


「アナタの目は信じられる」

「目が、ですか?」

「これは理屈じゃないのよ。なんとなくそう思うだけ。アナタはこの手袋を求めてここに来た。けれどそれは手袋という証拠を消すためじゃない」

「そうです。そんなことは決してしません」

「それならいいのよ。持っていって。アナタがなにをしようとしているかは知らないけど、私は応援してるわよ」


 胸の奥が温かくなってくる。ちゃんとした事情を説明していないのに、この人は自分のことを心から信用してくれているのだ。


「ありがとうございます。それではお借りします」


 バッグから大きめの封筒を取り出し、丁寧に手袋を入れた。


「お時間ありがとうございました。私たちはこれから別の場所に行く予定がありますのでこれで失礼します」

「お構いなく」


 モニカは家の外まで見送ってくれた。足腰も悪くなったというのに、それでも客人を見送るその精神に感嘆した。


「で、お前さんたちはこれからどうするんだい?」

「そうですね。レイチェルさんが飛び降りたと言われる崖に行きたいですね。ご迷惑でなければ案内をお願いできますか?」

「おう任せとけ。平和な町だから暇なのさ」


 ラルフは自分の胸を強く叩き咳き込んだ。それを見てアリシアとクラリッサは思わず吹き出してしまった。


 途中で郵便を出し、それからまた崖の方へと足を向けた。


 そのときだった。


「申し訳ないが、そこで止まってもらえるかな」


 声がして振り返った。そこには黒装束を着込んだ男女七人が立っていた。黒いフード、黒い仮面、胸にはバッジ、腕には腕章。間違いなく軍の隠密部隊だ。


 声を掛けてきたであろう先頭の人物が仮面を取った。


「た、隊長……」


 クラリッサが所属する内乱抑制課の隊長、クライブ=レンスタートだった。一課から三課までの三百人以上を束ねている。年は五十を超え、黒い髪の中には白髪が混じっている。しかし剣の腕は軍部でも屈指でありクラリッサが負けを認める数少ない人間の一人だった。


「困るよクラリッサ。承認してないのに勝手に休まれたら」

「いや、でもちゃんと総務部に提出しましたよ。ドアの間に挟んでおいただけですけど」


 クラリッサの敬語は珍しい。彼女が敬語になる相手はクラリッサ本人が無意識に尊敬しているひとに限ることをアリシアは知っている。


「あのね、病欠じゃないんだからちゃんと申請通さないとダメだよ。追いかけるの苦労しちゃったよ」


 はあ、とクライブがため息を吐いた。心底呆れているのか、全身から力が抜けていくのがこちらにも伝わってくるようだ。


「って、もしかして私を追いかけるためだけに隠密部隊使ったんですか?」

「そうだよ、陛下から借りたの。陛下も喜んでたよ。バカ娘をよろしく頼むって」

「それは喜んでるって言わないんじゃないでしょうか……」

「とにかく、もう好き勝手はさせないからね。ボクと一緒に王都に帰るよ」

「いやー、しかしですね」


 チラリとクラリッサが目配せしてきた。


「大丈夫。もちろんアリシアも一緒だから」

「わ、私もですか?」

「無断欠勤を黙認していたと言われても仕方ないからね。二人はこれから王都に帰って反省文」


 クラリッサは白目のまま口を半開きにしていた。無断欠勤の反省文は長々と書かされるはずなので、人によっては三日三晩ずっと机に向かうこともある。


「アリシアの方は簡単な反省文だから大丈夫。さあ帰るよ」


 クライブの後ろに立っていた隠密部隊が素早く動き出し、アリシアとクラリッサの両腕を掴んだ。少し動かしてみるがまったく動かない。関節を決められているわけではないが、それほどに力が強いということだ。


 ここは素直に言うことを利くしかなかった。この人数差では戦うことも逃げることもできない。できたとしても強引に逃げた場合あとが怖いことは誰でも理解できる。


「ラルフさんはこのまま戻って結構ですよ。不祥の部下が失礼しました」


 ラルフは困惑した様子で静かに頷くことしかできない様子だった。ここで暴れれば間違いなくラルフにも迷惑がかかる。諦めるしかないと、仕方なく納得した。


「あの、私の馬がこの町にまだいるんですが」

「大丈夫、それはこっちでなんとかするから」


 クライブに肩を叩かれた。少しだけ、嫌な予感がした。


 腕を掴まれたまま、町の入口まで連れていかれた。馬車に乗り込むと、馬はすぐに走り始めた。


 あと少しでレイチェルの死に触れることができた。それにラルフにはまだ訊かなければいけないこともあった。あのとき、エセットにやってきたという臨時の駐屯兵の話だ。


「悪いな、私のせいで」


 クラリッサは目を伏せたままそう言った。


 アリシアはクラリッサの手を取る。


「なんとかなると思う。だから心配しないで」

「なんとかなるって、どういうことだ?」

「私はまだ一ヶ月くらい休みあるからさ」

「こんなときに皮肉かよ……」


 クラリッサに手を払いのけられ失笑した。わかりやすいいい子だなと心の底からそう思った。


 謝りたい気持ちを飲み込み、馬車の背もたれに体重をかけた。クラリッサが無断欠勤扱いになったのは結局自分のせいである。だが、無理矢理休もうとしたのは彼女自身だ。ここで謝ってしまえば逆に怒られてしまう可能性があった。アタシが自分で決めたのだ、と。


「大丈夫。大丈夫だよ」


 そう言って目を閉じた。誰に向けた言葉かはアリシアにもわからなかった。けれど自分が動かずとも、他の誰かが動いてくれることだけは信じていた。

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