第11話 アリシア=ハンバード⑪

 目が覚めて上体を起こす。少しだけ頭痛がした。眠れるときに眠ることができる。短時間で目を覚ますこともできる。しかし変則的な睡眠や、単純に睡眠時間が短いときにはどうしても頭が痛くなってしまう。


 一度深呼吸をしてから、小さなテーブルの上で手紙を書いた。それからクラリッサを起こし、ラルフの元へと向かった。ラルフと共に駐屯小屋へと行き、そこで他の駐屯兵と交代したラルフがパンとスープを出してくれた。仮眠用の宿舎も小さかったが駐屯小屋も狭かった。一軒家のリビングほどの広さはあるが、仕事用のテーブルや書類棚を置けばどうやっても狭くなってしまうのだ。


 食事を終え、淹れてもらった紅茶を一口飲んだ。


「ラルフさんは何年くらいこの町に?」

「大体三十年だな。正確には三十三年だ」

「ということはオメガが魔王になったときもこの町にいたんですね」

「当時俺は派遣されて十年目で、元々駐屯兵をしていたじいさんが一人辞めちまってな。急に仕事が増えたときだ。そんなときにオメガさんが魔王になっちまった。いい人だったんだけど、まさか魔王だったとはなあ」


 ズズッと、ラルフが茶を啜った。


「いい人、ですか」

「駐屯兵に食事やコーヒーを持ってきてくれたりな。毛布の差し入れなんかもしてもらった。だからこれから恩返しでができると思ってたんだ。まあ一応恩返しみたいなことはできたからよしとしてるがな」

「恩返しみたいなこと?」

「俺たち駐屯兵が代わる代わるで奥さんの面倒を見てたんだよ。オメガさんが魔王になってから、奥さんは廃人みたいになっちまったからな。それでもオメガさんが魔王になってから十年と経たずに死んじまったが」

「なるほど」


 そこで気になることがあった。奥さんという言葉は出たが、オメガの息子であるハイドの話がまったく出てこないのだ。オメガの調書にもレイチェルのことは書かれていたがハイドのことには触れられていない。


「そういえばハイドさんとその妻であるミラさんはどうしたんですか?」

「ハイドか。俺も事情はよく知らないが、娘のテレサを残して町を出ていったんだ。レイチェルが死んですぐあとだったかな」

「町を出た? どこに行ったんですか?」

「どこに行ったかまではさすがに知らないな。理由もわからん。だがオメガさんが出ていったって言ってたからたぶんそうなんだろうよ」


 ラルフは腕を組み口をへの字に曲げていた。彼もまたハイドとミラが町を出ていったことに疑問を持っているのだろう。


「でも一度だけ手紙が来たぞ。母のことありがとうございました、ってな」

「となるとハイドさんたちはラルフさんが自分の母の面倒を見ていたことを知っていた」

「その可能性はあるな。俺たちのことを見てたのか、それとも人伝に聞いてたのかどっちかだろうさ」

「そう、ですか。じゃあハイドさんはもう町にはいないんですね」


 どうしても落胆の色は隠せなかった。エセットにハイドがいる可能性は消えた。ハイドの行方もわからないとなれば、オメガが生きてきた軌跡や魔王になるまでの過程を模索するのは難しい。


「お前さんたちはハイドのことを捕まえにきたわけじゃねえよな?」


 ラルフが訝しんで眉根を寄せた。


「そういうわけじゃありません。これは仕事ではないんです。単純に、どうしてオメガが魔王になったのかを知りたいだけなんです」

「オメガさんが魔王になった理由? そんなの知ってどうするんだ?」

「どうしもしません。本当に興味本位なんです。魔王討伐課として魔王オメガと対峙したからこそ気になるんです」

「そういうもんかね」

「もしもなにか知っていることがあったら教えてください。私はレイチェルさんの死が関係していると考えているんですが、当時のオメガさんはどうでしたか?」

「レイチェル、レイチェルね。彼女が死んだ直後は酷く落ち込んでいたよ。いや違うな、魔王になるそのときまで落ち込んでいた。優しく活発なオメガ=リンダールの姿が見る陰もなくなっちいまうくらいにはな」


 腕を組んだままのラルフが背もたれに体重をかけた。


「だが、ちょっと気になることはあったな」

「気になること?」

「魔王になる前日にオメガさんの家を訪ねたんだ。そのときに言ってたんだよ。ようやくわかったって。これでようやくレイチェルを救えるってな。俺は頭でもおかしくなっちまったんだと思ってたが、たぶんそういうわけでもなかったってあとから気付いたよ。俺もレイチェルの死には少しばかり思うことがあったからな」

「レイチェルの死は自殺ではなく他殺の可能性がある。ラルフさんはそう考えた。いや、最初から疑ってたんですか?」

「あの頃から疑わしい部分は多かったんだ。自殺するにしてももっといい方法があったはずだ。にも関わらず下手したら死ねないくらいの高さから身投げした。睡眠薬の類もレイチェルの部屋から見つからなかった。崖の方に足を向けて仰向けで倒れていた。そしてレイチェルは手袋を手にしていた」

「そこまで状況証拠があって軍部はなぜ再捜査をしなかったんですか?」

「上層部がそれを止めたからさ。駐屯兵なんていう軍部の末端じゃ、その意思をひっくり返すことなんてできなかった」

「今でもその気持ちは変わっていませんか?」

「その気持ちとは?」

「レイチェルの死を疑っている。オメガのことを、今でもいい人だと思っている。その二点です」


 ラルフは目を閉じ唸っていた。無理はない。オメガは魔王であり、多くの人間を殺してきた。いくつかの町を吹き飛ばし、二十二年もの間人々を恐怖に陥れてきた。今更「いい人」と言われてもピンとこないだろう。


 彼はそっと瞼を開けた。


「信じてるよ」


 その瞳には一点の曇もなかった。


「ではレイチェルが持っていた手袋の行方を教えてください。その手袋は軍用の手袋だったはずです。だからこそ軍部の上層部は握りつぶそうとした。けれど軍用の手袋は周期的にデザインが変わります。いつ製造されたものかがわかれば、そのときレイチェルと一緒にいたであろう人物を特定できるかもしれません」

「軍用の手袋なんて何人も持ってるだろうよ。特定はできないんじゃないか?」

「その人物は手袋を回収しなかった。いや、きっとできなかったんです。誰かが来てしまったから。しかし手袋がないと「どこにやったのだ」と疑われてしまう。間違いなく軍部に手袋を再発注したはずです。制服と手袋と帽子はセットで正装になるので、一つでもない場合は正式な場に出席できない。その手袋がどこの年代に作られたのか。そしてその手袋を消失し、再発注した人物がわかればいいんです。そういった記録は残っているはずなので王都に帰れば調べられます。その手袋さえあれば」

「残念だがここにはない。事故として片付けられたから証拠品として提出しているわけでもなかった。だがもしかするとあの人が持ってる可能性はある」

「あの人とは?」

「モニカ=エクレフ。ミラの母だ。つまりハイドの嫁さんの母親だな。旦那さんが十年前に亡くなっちまってな、今は一人で暮らしてる」

「どうしてモニカさんが持っていると?」

「オメガさんの妻レイナは十年前に死んでいる。持っている可能性があるとすればモニカさんくらいだ」

「消去法ってことですね。よろしければ住所を教えてもらえますか?」

「一応、俺もお前さんたちを完全に信じたわけじゃないんだ。俺が案内するよ」


 とは言うが案内してくれるということは少なからずこちらに興味があるということだ。


「わかりました。よろしくお願いします」


 話が終わり、三人でモニカの家へ行くことになった。

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