第1話 アリシア=ハンバード①
王都に戻り、魔王討伐の式典が盛大に開かれた。人々は歓喜し、国王であるカエサルの演説の後も歓声は止まなかった。
魔王討伐課の凱旋パレードは軍務庁から王都の外周を一周し、その後、昇格者の発表、殉職者への追悼など四時間あまりに渡って行われた。
魔王討伐部隊は解体されるが、今後の部隊配属は一ヶ月の特別休暇の後に各々通知されると、軍務庁に帰った直後に言い渡された。
アリシアは自宅に戻ってすぐに私服に着替えた。メガネも仕事用のものではなく、細いフレームのプライベート用のものに変えた。
疲労はもちろんあったが一ヶ月の休暇がある。今日は朝まで飲み明かすつもりで酒場に向かった。
テーブルについてエールを頼んだ。一口目が喉に染み渡ると「くーっ」と思わず声が漏れた。魔王討伐課だった頃、物資の供給が途絶えたことは一度や二度ではない。まともな食事ができないことも多かった。水さえなくなる中で酒を飲むことなど許されるはずもなかったのだ。今この瞬間は帰還後で最高の時間だった。
「おーおー、早速酒場とは軍人さんさては暇だな?」
空いているテーブルを無視し、エールのジョッキを持った男が向かいに腰掛けた。同じ魔王討伐課に派兵されたエルヴィン=マインカートだった。長身であるが筋肉質でなく、顔立ちは男前だがどこかおとなしく見える。目尻が下がり気味なので少々気弱そうな印象を与えてしまうからだ。
「エルも同じでしょ。恋人でも作ったら? もう三十手前なんだし」
「いないんじゃなくて作らないだけだ。っていうか先輩に対して失礼すぎやしないか? 三つ上なんだぞ」
「社会に出れば三つ上だろうが六つ上だろうが関係ないよ。仕事量だってお給料だって劇的に変わるわけじゃないし」
「それを言われるとなんとも言えないな」
そう言ったあとでエルヴィンはエールを煽った。
「次の編成先、どうなると思う?」
「私はたぶん内乱抑制三課かな」
「そりゃなんでだ? まだ発表されてないぞ」
「クラリスが言ってた」
「じゃじゃ馬皇女が言ってたんじゃ、たぶん確定だろうな。そういえばクラリッサも内乱抑制三課だったか。たまに物資運搬課に紛れ込んで魔王討伐課に来てたけどな」
「正直、クラリスと同じ部署なんて気が滅入る」
「なんでだ? 王都でも知らぬものがいないほど仲がいい友人関係だろ。第三王女とは言え、王女様と親友だなんて名誉なこった」
「友人としては最高だよ。でもね、仕事仲間としてはちょっと違うんだ」
「仲良くお手々繋いで仕事できるのは悪くないと思うけどな」
「あのね、あっちは学生時代から成績だけは優秀なの。小等部、中等部、高等部、上高等部全部。頭脳明晰で実地訓練も成績トップ。剣術や武術にいたっては軍部の上層部が認めるほどの実力者。それでいて誰もが振り向く美貌を持つ。あんな完璧な同僚と一緒に仕事したら比べられて当然だって。しかも同い年ときたら肩身が狭くて仕方ないって」
「まあ、確かにキツイな。でもクラリッサは内面が酷いし、対人関係も苦手だろ」
「天真爛漫と言えば聞こえはいいけどね。口は悪いし、そもそも口より先に手が出るタイプだから。無邪気なんだけど、無邪気というより横暴というか」
サラストラーデ王家第三王女、クラリッサ=サラストラーデ。美しく頭がよく、それでいて異常なほどの戦闘能力を持つ。だが人格的に問題点が多いため、クラリッサをよく言わない民衆も多く存在する。本人は気にしていないようだが、常に振り回される立場であるアリシアはため息が尽きなかった。
頼んでいたツマミが届き、エルヴィンとアリシアはそれを食べながら二杯目のエールを注文した。
「おいおいおい! アタシを差し置いて楽しんでんじゃねーぞ!」
今度は別の人物がドカッと横に座ってきた。
「もう少し女の子らしくしなさいって……」
その女性もまたエールのジョッキを右手に持っていた。左腕でアリシアの肩を掴み、豪快に自分の方へと引き寄せていた。
その人物こそ第三王女、クラリッサである。
「二十五で女の子はないだろ。ま、今日は楽しもうぜ」
長くしなやかなトウヘッドが宙に舞うと、空気がキラキラと光っているように見えた。戦士とは思えないほど透き通った白い肌、吸い込まれそうになる翠玉色の瞳、鼻はツンと上を向いており、なんでも食べるようには見えないほど顎はほっそりとしていた。
「私とエルは別としてアンタがこんな時間から飲むのはおかしくない? 仕事は?」
「今日はもう終わり。常勤は王室警備課とか門番みたいな常駐派遣課とかだけだ。駐在兵とかも交代制で時間で区切ってるみたい」
「でも明日も仕事でしょ? 私たちはたぶん飲み明かすと思うんだけど」
「アタシも付き合うけど?」
「いやだから明日も仕事でしょうって。ちゃんと話聞いてた?」
「聞いてた聞いてた。いいよ、明日休むし」
左手が胸に伸びてくるところを強めに叩いた。
「胸を触ろうとするな。あと仕事をサボろうとするな」
「大丈夫だって。うちの隊長甘いし」
「いくらケヴィン中佐が優しくても遠慮はしなさいよ」
クラリッサは勝手にツマミをパクパクと口に運び、エールでそれを流し込み、すぐさま次のエールを注文した。
「クラリスは相変わらずペースが早いな」
エルヴィンがそう言うと、クラリッサが彼を見て「いたんだ」と真顔で言い放った。嫌味でも皮肉でもなんでもなく、本気で言っているのはアリシアがよくわかっていた。
「見えてたクセによく言う」
がっくりと肩を落とすエルヴィンだが、こういった状況は今までにも何度もあった。だからこそ一連の流れを予定調和として受け入れていた。
アリシアはクラリッサにとって唯一の友人と言って過言ではない存在だ。クラリッサの性格もそうだが、彼女に近づこうとする人間には少なからず下心があるからだ。クラリッサは持ち前の「野生の勘」でそれらを見破り、自分に近づく人間は自分の手で排除してきた。その中で排除されなかったのがアリシアだけだった。
そうではない。クラリッサ自ら近付いていったのがアリシアだけだった。
「おいエル。アタシのアリスに手を出したら……わかってるよなあ?」
「手なんて出さないって」
「わかってんならいいんだ。わかってんならな」
「正直好みでもないしな」
「ああ?」
「いやなんでもないって。ホント、なんでもないんだ」
元々の性格ももちろんあるが、クラリッサの凶暴性を理解しているからこそこういう場合は身を引くしかなかった。
「こんなにいい女なのにどうしてみんなアリスに振り向かないかね」
アリシアは「アンタの方がいい女だからよ」と心の中でつぶやいた。
「ま、まあまあ飲もうじゃないか。せっかく明日は休みなんだしさ」
エルヴィンが気を使ってくれたのがわかった。その気遣いに少しだけ胸が痛んだ。自分のことではないが、友人のせいで気を使わせてしまったことが原因だった。
何気ない世間話や王都であった面白い話などをクラリッサから聞きながら、三人は日付をまたぐまでエールを飲み続けた。
最初に潰れたのはエルヴィンだった。基本的に誰と飲んでもアリシアとクラリッサは最後まで残ってしまう。
「いやー、これでようやく同じ部署で仕事できるな」
テーブルに頬を付けながらクラリッサが言った。限界が近い証拠だ。
「最初に害獣対策二課に編成されたのに一週間で先輩五人と問題を起こして、しかもその先輩たちをボコボコにして異動させられたでしょ。一年目で二回の異動、二年目で二回の異動、毎回そんなこと繰り返して、今年もに異動させられてる」
「大丈夫、異動させられても上手くやれてる」
「上手くやれてないから異動ばっかりしてるんだってば」
クラリッサのいつもの調子が懐かしかった。魔王討伐課に編成され、一年ほど王都を離れていたからそれも仕方がない。数ヶ月に一度、物資運搬課にまぎれてやってきていたが、上官にみつかってすぐに追い返されていた。王都からは離れた場所だったため、一人で帰るときの寂しそうな後ろ姿が印象に残っている。
ジョッキの中身を飲み干したアリシアだったが次の注文はしなかった。
「どうした? もう限界か? 弱くなったんじゃないかお前」
今度は顎をテーブルに付けていた。実際クラリッサも相当アルコールが回っている。
「そういうわけじゃない。飲めるけど、ちょっといろいろ考えちゃって」
「いろいろってなんだ? 好きな人でもできたか?」
「そういうんじゃ、ないんだけどさ」
ジョッキの口を指でなぞり、一周したところで指を止めた。
「なんていうか、自信がなくなった」
「まだ五年目だ、自信なんてなくて当然だろ」
「それが違うんだよね。魔王が死んだときの状況は聞いてる?」
「自分で自分の首を刎ねたとかなんとか」
「それをね、結構近い位置で見てたんだ。目も合った。あの人、なんでか泣いてたんだ」
「自信をなくした原因がそれ?」
「いや、単純に魔王がとんでもなく強くて、絶対勝てないって思っちゃった。心が折れたって言えばいいのかな。自分が信じてきた「正義」がなんの意味もないんだって気がついた。そしたら魔王が涙を流しながら自害したんだ。もう意味がわからなくて。ああ、私はこの人の「正義」を理解できないし、自分の「正義」を示すことも二度とできないんだなって」
クラリッサは体を起こし、腕を組んで「うーん」と唸った。
「自分がやってきたことが無駄だったって思い知らされた。そしたら、なんだかね。やっていく自信がなくなっちゃってさ」
「やめたいのか」
「どうだろ。やめたいのかも」
「そうかそうか」
そうしてまた「うーん」と唸るクラリッサ。
アリシアの手を取り、小さく息を吸った。
「やめたいならやめたらいいさ」
少しの躊躇いもなくクラリッサが言った。どこか寂しくもあったが、胸の内でくすぶっていたなにかがストンと落ちたような気がした。
「止めないの?」
「止めてほしいのか?」
深い碧色の瞳が一直線に見つめてきた。矜持と自信に満ちた、選ばれた者の目だと思った。
「いや、背中を押してもらった」
「そりゃホントはやめてほしくないよ、アタシだって。でもな、親友がそうしたいって言うなら背中を押すのが当たり前だろ? アタシの友人はお前しかいないんだから」
目を細めて、歯を見せて笑った。その笑顔が好きだった。少し乱暴だけれど、明るく太陽のような存在。だからこそ彼女の背中を追っていても苦痛ではなかった。
同時に「ズルいな」とも思った。
「もう少しだけ考えてみる」
「おう、そうしろよ。まだ二十五歳だからな」
「もう少しで二十六だけどねえ」
そう言いながら手を上げた。ウエイトレスを呼び、次のエールを注文したのだ。
こうして夜は更けていった。最終的にアリシアは十五杯のエールを飲んだ。
「よーし脱ぐかー!」
というクラリッサを制止し、抱きしめて地面に倒れたところで記憶が飛んだ。急激にやってきた睡魔に抗うことができず、そのまま意識は埋没していった。
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