魔王の自害
絢野悠
プロローグ
紫色の雲が上空で渦を巻き、その重苦しい空気に押しつぶされそうになっていた。
魔王城の広い屋上で行われた戦闘は人類にとって最終決戦と言っても過言ではなく、誰もが皆命を懸けて戦っていた。王家に伝わる書物のように、人類が一丸となって戦えば勝てると信じて。
だが此度の魔王は千年後しに誕生した魔王であり、とてつもない魔力を秘めていた。同時に人々の魔法は衰退していたため、二十年以上もの間苦しい戦いを強いられてきた。
前方で魔法を行使する『それ』は、身の丈は一般男性と同じく、飛び抜けて高いわけでもなければ低いというわけでもない。灰色の肌にはひび割れたような亀裂が入り、脈打つように黒と赤が交互に明滅していた。瞳は緋色、直視すれば足がすくんでしまうほどの圧があった。
魔王の攻撃は尋常でなく、手元から放たれる光弾はたくさんの兵士の命を奪いそのまま通り過ぎていった。そんな攻撃が何度も繰り返されていた。
「ケイト! 隊長!」
放たれた光弾によって、新たに二人の命が奪われた。
年齢は五つ上だが、同時期に魔王討伐課に編隊されたケイト。そしてもう一人は三ヶ月前に魔王討伐課第二班の隊長に任命されたガイエルだった。
アリシアは身を屈めて光弾を避けていたが、こんなことをしていても埒が明かないことはわかっていた。魔王の体力は無尽蔵。回避し続けているだけでは勝利の
しかし近づくこともできなかったのだ。策もなく近づくのは、なにもせずに死んでいくのとそう変わらない。
魔王を中心にして半径一メートルは障壁が展開されている。いくら光弾を回避し続けたとしても、障壁を破壊するだけの力がなければ魔王を傷つけることなどできはしない。この世の中でここまで強力な魔法を使えるのは魔王だけ。普通の人間が使えるのはせいぜい火を灯したり静電気を起こしたり、風の渦を作ったりする程度のものだった。
兵士たちは恐怖を押し殺して前に進み続けた。次々と仲間が倒れていく。同時に、階下から新たな戦力が補充される。そしてまた、命が失われていく。
光弾を回避し、遠目の位置から弓を引いた。魔力を込め風属性を付与した状態で矢を放つ。味方の間をすり抜けて、ぐんぐんと速度を上げていった。
が、魔王が展開する障壁に直撃して勢いよく矢が爆ぜた。
アリシアの心は折れかけていた。何度この攻撃を続ければいいのだろうか。どれだけの仲間を失えばいいのか。なにをすれば勝利なのかすらわからなくなっていた。
魔王を倒せば終わりなのだろうか。その前に人類が自分だけになったとしても、魔王を倒せば人類の勝ちなのだろうか。
勝ちとはなにか。
生き残るとはどういうことか。
結果がすべてと人は言うが、その過程で人類が絶滅寸前まで追い込まれて、それで本当に結果が良かったと言えるのだろうか。
いつしか弓を引く手が止まっていた。
「来るべきじゃなかった、か」
軍に入る際、家族全員から反対されたことを思い出す。それでも軍人を目指したのは、持ち前の負けず嫌いと正義感からだった。なによりも軍人になれば給料がいい。家族を楽させるための近道はこれしかないと思った。
その気持ちが二十五歳の今、初めて折れた。
魔王が大きく地面を踏みしめた。強大な魔力が周囲を満たし、兵士全員の動きが止まった。まるで泥水の中にいるかのように四肢の動きが鈍くなったからだ。体が圧迫されて呼吸もうまくできなかった。
屋上にいる兵士、いや魔王城にいる兵士全員が死を覚悟した。アリシアもその一人だった。
「お前たちは私のことが嫌いか?」
魔王が低い声でそう言った。けれど物腰は柔らかく、兵士を殺し続けてきたようには感じられなかった。
「憎かろう。悔しかろう。だがそれも今日で終わりだ」
終わり、という言葉に背筋が凍る。彼であれば人類を滅亡させることも可能だと皆知っているからだ。
ではなぜこんな戦いをしているのか、という疑問がアリシアの脳内に降って湧いた。強大な力を持ち、山すらも吹き飛ばすほどの魔法を使うことができる。それなのに今はこうやって兵士たちの相手をしている。それどころか会話しようとしているではないか。人類を滅亡させるだけならばその必要はない。ただただ力を振るえば人類などひとたまりもないからだ。
「安心するがいい。終わるのは――」
魔王の両手が首に伸びた。胸の前で腕を交差させ、右手で首の左側を、左手で首の右側を触る。そして兵士たちの前でニヤリと笑った。禍々しい笑顔ではなく、どこか清々しさがあった。
「私の方なのだから」
深く息を吐いたかと思えば一気に両腕を広げ、魔王は自分の首を刎ねた。上空に打ち上がった頭が一秒、二秒、三秒、四秒後に地面に落ちた。
幕引きはなんともあっけなかった。兵士は皆口を開き、閉じることを忘れたまま、魔王の体が倒れていくのを見つめていた。
オロシュ歴3054年。二十二年に渡る魔王大戦の決着だった。
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