第5話 アリシア=ハンバード⑤

 一度馬舎に寄って一日分の干し草の代金を払った。首を撫で、タテガミを弄ぶとアルは嬉しそうに頭を右に左にと揺らしていた。


 飲み物や菓子を買って宿屋に戻った。まだ夕方にもならない時間なので睡眠を取るには早い。しかし特にやることもなかった。


「そういやこれからどうするんだ? 当初の予定通りにパラハか?」


 クラリッサがコーヒーを飲みながら言った。シャツにパンツにジャケットというパッとしない服装ではあるが、クラリッサの美貌では窓辺でコーヒーを飲む姿も様になる。


「パラハを経由してガリオルの予定だったけど、ナーファスを経由してエセットかな」

「ガリオルは西、エセットは東だもんな」

「エセットにいけばなにか手がかりがあるとは思う。オメガの親族がまだ住んでればいいんだけどね」

「さすがにそれはないだろ。自分の親族が魔王だったなんて、私ならその日に町を出てるぞ」

「息子のハイドは生きていれば五十歳前後。一応探してみるのに越したことはない。それにレイチェルが落ちたっていう崖も見てみたいし」

「崖の方にはなんの証拠も残っていないだろうけどな。二十年以上前のことだし」

「町の人に話を聞けるだけでもいいよ。五十年や六十年経ってるわけじゃないし、事情を知ってる人もいるでしょ」

「エセットのあとはどうする? 王都に帰るか?」

「それはエセットでどんな情報が得られるかにもよるかな。エセットで魔王が自害した真相がわかればいいんだけどね……」


 紅茶を飲み、窓の外を見た。


 街灯により掛かる女性が目に入った。アリシアが泊まっている部屋は四階だが、これが二階や三階であったら見えなかったかもしれない。なぜならば街灯と植木の陰に隠れるように立っているからだ。


「お前も気付いたか」


 クラリッサを見れば楽しそうにウインクしていた。


「わかってたなら言いなさいよ」

「いつ気付くかなと思って」

「あの人いつからあそこに?」

「アタシたちが宿に入るのと同時くらい。それから何度か見てるけど男と紙を交換してるところも見えた。でもたぶんあの女と紙を受け取った男の二人だけじゃないな」

「どうしてそう思う?」

「あの女があそこに立つのと同じころ、別の場所に立ってた男がどこかに行った。つまり少なくとも三人以上。正確な人数は不明」

「なんであんなところに立ってるのかはわからないけど誰かを監視してる感じだね」

「この宿屋に王族でも泊まってんのかねえ」

「実際泊まってることに気付いてないの……?」

「となるとアイツらの目的は私か?」

「裏世界の大物とかっていう線もあるけどさ」

「あるけど、尾行の件があるからな」

「やっぱりあれは尾行だったか」


 ヨアキムの屋敷から人がついてきている気配がしていた。気付いていなかったわけではない。本当に尾行なのかどうかまで判別できなかったので放置しておいたが、クラリッサも同じことを思っていたのならば間違い。


「尾行の方も途中で人が変わってたな」

「三人くらい入れ替わりで尾行されてたかな」

「じゃあ目的は本格的にアタシたちってわけだ。お前なんかしたか?」

「なんかしたとしたらアンタでしょ。王族だし」

「アタシを誘拐して身代金でも誘拐しようって腹か?」

「さすがにそこまではわからないけど警戒しておいて損はないと思う」

「人の往来がある間は手出しもしないと思うし、早めに眠って早めに起きるか」

「それがよさそう」

「んじゃまずは風呂だな風呂。風呂行こうぜー」

「ここの大浴場、結構評判いいみたいだね。一階でいろんな人が良かったって言ってたし」

「そうと決まれば風呂入って飯食って就寝だな。それ以外にすることないし」

「確かにね」


 三冊ほど本は持ってきているが、逆に言えば時間を潰す手段がそれくらいしかない。仕事があるわけでもなく、この状況で酒を飲むわけにもいかなかった。


 二人は風呂に入り、食事をし、少しだけ読書をして荷物をまとめた。


「んじゃおやすみー」と、クラリッサが先にベッドに潜った。アリシアも「はいおやすみ」と布団をかぶる。風呂に入った際に非常階段や宿屋の裏口の場所も調べておいた。いざとなったらそっちから出ればいい。


 まだ夕刻ではあったが眠るのは難しくなかった。食べられるときに食べ眠れるときに眠る。それは軍人になる前に教官から言われていたことだ。そして魔王討伐課に入り、それがどれだけ重要なことか骨身にしみた。だからいつだって食事も睡眠もできる体になった。


 目を閉じて呼吸を整えれば眠気はやってくる。眠れ、眠れと自己暗示をかけるように、アリシアは暗闇へと落ちていった。

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