第22話 アリシア=ハンバード⑰
「そこまでだ」
低く硬い声色が響いてきた。クライブも他の兵士も、そしてクラリッサも背筋を伸ばした。この声が誰のものであるかを知っているのだ。
暗い森の中からその人物が現れた。いつもとは違うその格好、軍服姿を見るのは初めてだった。
振り返ったクライブが息を飲み、その後で口を開いた。
「陛下……!」
カエサル=アーロン=サラストラーデ。イルファンドラ王国を長年に渡って統治してきたサラストラーデ王家の当主でありクラリッサの父だ。
「父上、なんでここに……」
「娘が自分の命を賭けた大一番に出ると聞いてな、いてもたってもいられなかった」
カエサルは穏やかに微笑んでいた。この張り詰めた空気には似つかわしくないが、どうしてか不思議と違和感はなかった。
「娘ってアタシは――」
「お前の出自はどうであれ今は私の娘だ。あまり卑屈を言うものではないよ」
「陛下! お止まりください!」
制止などなかったかのようにしてカエサルはこちらへと歩いてくる。肩で風切るように歩いているのに威圧感はない。スッと懐に入ってくるような気安ささえある。
クラリッサの前に立ち、彼女の頬を撫でた。
「アリシアに話があるんだ。いいかい」
「え、あ、う、うん」
言葉を選んで、結局なにも出てこなかった。
クラリッサが道を開け、カエサルが目の前にやってきた。身体は大きく、王様とは思えないほどに軍服も似合っていた。まるでこの姿が当然であるかのように。
「初めまして、かな」
「え、ええ、初めまして。どうして陛下がここに?」
「言っただろう? 娘の大一番に駆けつけたのだ。まあ、それだけじゃないがね」
カエサルが右手を差し出してきた。アリシアが困惑していると、カエサルはやはり微笑んでいるだけだった。
おずおずと右手を上げ、彼の手を握った。
「小さな手だ」
「一般女性の平均だとは思いますが……」
「そうではない。魔王という強大な存在だとは思えない、と言っているんだ」
魔王、という言葉で心臓が大きく脈打った。
「まだ魔王では、ないので」
「そうだな。我が国の大事な兵士で娘の親友だ。クラリッサからはいろいろと話を聞いているよ。聡明で寛大で、剣が得意なくせに弓兵に転向した大馬鹿者だと」
「それは、いろいろあったんです」
「クラリッサのためか? 教官たちの話ではクラリッサよりも君の方が剣の腕は優秀だったと聞いているよ」
「そういうわけじゃありません」
「ではどういうわけなのか、教えてもらえないかな」
諭すように言うカエサルは王でもなければ軍人でもない。教師や父のような温かさがあった。
「クラリスの、背中を守りたかったから」
「クラリッサの方が血の気が多い。前に飛び出してしまう可能性があるから、それを後ろからバックアップしたかったんだね」
「そう、です」
「君はとても優しく、クラリッサが言うように頭がいい。そんな人をここで失いたくはない。この国の統治者として君のような人材は貴重なんだ」
「しかし私は魔王の孫です。これからどんな災害を引き起こすかわかりません」
「正直、問題ないとは言えない。だがやりようはある」
「私を隔離しても意味はありません。魔王がどれだけ強大な存在か、陛下ならよくおわかりじゃありませんか?」
「わかっているよ。だが我々もなにもせずに魔王に怯えてきたわけじゃない。オメガのときには間に合わなかったが、もう少し時間があれば対策できる」
「対策、ですか?」
「これは極秘なんだがね、私はオメガと面識があったんだ。オメガ=リンダールではない、魔王オメガとだ」
「魔王オメガが王都に来たということですか?」
「ああ、何度かね。私は魔王オメガと繋がっていたんだよ」
「魔王に協力していたんですか? 国民を危険に晒して、兵士を見殺しにして、陛下は城の真ん中で座っていたんですか?」
徐々に身体が熱くなってきた。身体から漏れ出す魔力を自分で抑えることができない。
「いや、交渉したんだ。被害を抑えるためにね」
カエサルはアリシアの手を離し、小さくため息をついた。
「君に手を出さないと約束するならば、自分は無闇に力を振るわないと」
「交渉材料が、私……?」
「そうだ。だから魔王オメガは二十年という月日の中でも三百人程度の死者しか出さなかった。その死者も兵士に襲われた際の自衛や犯罪者ばかりだった。一般人に被害がなかったわけではないが、それでも死者はかなり少なかった。彼は最後まで、人の親で、お人好しの男だったんだよ」
疑問に思ったことはあった。あれだけ強大な力を持っていながらも、魔王オメガはその魔力を不用意に振るうことはなかった。いくつかの山は吹き飛ばされ、数え切れないほどの森や野原が焼き払われた。しかし死者は極端に少なかった。それがまさか自分のためだったとは思わなかった。
「魔王は魔獣を作り出す。しかしそれは彼の意思ではなく勝手に生成されてしまうものだのだ。それに彼自身は基本的に威嚇しか行わない。彼はその誓いをキチンと守った。だから私も、もう一つの約束をちゃんと果たそうと思った」
「もうひとつの、約束?」
「被害を最小限に抑えるため、ガイエル=ノイマンを魔王討伐課の責任者として任命し前線に送り出すこと。元々魔王討伐課というのは、私とオメガが考えたものだ。創設当初はまだ犯人もわかっていなかったが、犯人がわかったらそこに送るという話になっていた」
「じゃあこれは陛下とオメガの茶番だったというんですか?」
「私と、オメガと、君だ。レイチェルを殺した犯人がガイエルであるということはわかっていた。だからオメガはガイエルを心底憎んでいた」
ここで疑問が生まれる。オメガが魔王になったのはレイチェルが死んだ四年後。その四年の間にハイドとミラが殺されたのだと思っていたがカエサルはその件について触れなかった。というよりもガイエルがハイドたちを殺す理由が見当たらないのだ。
「口を挟むようで申し訳ないんですが、ハイドとミラはどうなったんですか? 私はてっきりガイエル中佐に殺されたものかと」
カエサルはため息を一つついた。
「こうなるだろうと思ってな、お前に会わせたい人間を連れてきた」
カエサルが手を叩くと、暗い森の中から兵士が一人現れる。その隣には一人の女性。暗がりで正確な年齢はわからないが、だいたい五十歳程度と推測できる。なにより、その顔には見覚えがあった。老けてはいるが、間違いない。
「お、かあさん……?」
家族絵の中で見たミラがそこにいた。
「テレサ……?」
伸ばしたミラの手をカエサルが制した。戸惑うミラに「もう少し待て」と言って手を降ろさせた。
「どうして生きているのか、どうしてここにいるのかなど訊きたいことはたくさんあると思う。だがまず彼女の話を聞いてはみないか?」
ミラは体の前で手を組んで、どこか居心地が悪そうにしていた。その気持ちはわからないでもない。生き別れのようになった娘と一国の王様が一緒にいるのだ。
ミラは咳払いを一つして、ポケットから一枚の紙を取り出した。正確には封筒だ。
「アナタには悪いことをしたと思ってる。でもこれはハイドと私と、そしてお義父さんが決めたことだから」
「どういうこと?」
細く長く深呼吸してからミラは口を開いた。
「レイチェルが死んでからオメガさんの様子がおかしくなっていったのは事実よ。でも最終的にオメガさんを魔王にしたのはハイドの死と貴女の存在だったの」
「お父さんは、もういないんだね」
「ええ。仕事の関係で他の町に出て、帰り道に土砂崩れに遭って死んだわ。確証はないけれど、おそらくガイエルに殺されたんだと思う。ハイドはレイチェルとガイエルの仲を知っていたから」
「じゃあ魔王も最初から犯人を知っていた……?」
その問に、ミラは小さく頷いた。
「でもそれをう訴えたところで軍部にもみ消されるだけだとオメガさんは強く憤っていた。オメガさんは目撃者であるハイドを軍部の手から逃れるようにと私たちを遠方へと送ったの。そして月日が経ってハイドが死に、その事実を手紙にして送った。これがその返書よ」
差し出された封筒を受け取り、中身を読み始めた。
【ミラへ
手紙ありがとう、君もさぞ辛いことだろう。
しかしこのままでは君も危ない。今すぐ別の町、どこか遠くへ行きなさい。
生きていればテレサに会うこともきっとできる。
本当であれば軍部へと赴いてレイチェルとハイドの死について言及するところだ。
だがそんなことをしてももみ消されるだけだ。軍部を根底から変える必要がある。
その方法を思いついた。
どうやら魔王の血統のようでもう我慢できそうにない。衝動が抑えきれないんだ。
妻とも話したが俺ができることを最後までやり通そうと思う。
俺が魔王になることで、養子に出したテレサのことも少しは誤魔化せるはずだ。
俺は魔王になり、王家に一世一代の取引を持ちかけるつもりだ。
ガイエルを差し出せというのは簡単で、ヤツを殺すのもまた簡単だ。
それだけではなにも解決しないとわかっている。だから俺はここで人をやめる。
それでは、元気で。
オメガより
これを読んでようやくすべての点が繋がったような気がした。
「魔王はレイチェルとハイドの死によって魔王に覚醒した。でもそれは憎しみを発散させるためのものではなく、軍部そのものに影響を与えたかった。軍人が罪を犯しても隠蔽できないように」
「それだけじゃないわ。あの人はアナタを守ろうとしたの養子に出したのもアナタを守るため。魔王になったのもアナタのため。全部全部、最後に残った最愛の孫のためだったのよ」
ミラに言われて思い出す。
「あの人、最期に私を見て笑ったんだ」
大きくなった孫の姿を嬉しそうに見ていた。
「私を見て、泣いたんだ」
せっかく出会えたのに別れなければいけなかったから。
「私は、なにも言えなかったのに」
魔王オメガのあの眼差しが自分に対しての愛情だと気付き、思わず涙が溢れてきた。
そんなアリシアを抱きしめたのはミラだった。髪の毛を撫で、背中を擦り、愛おしそうにしていた。もう思い出せない、本当の母のぬくもりがそこにあった。
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