第23話 アリシア=ハンバード⑱

 オメガのことを考えると涙が溢れてくる。しかしまだ全てが解明できたわけではない。


 呼吸を整えて顔を上げてカエサルへと視線を送る。


「でもなぜあのタイミングだったんですか? ハイド……お父さんが殺されたのはだいぶ前のはずです。もっと早くガイエルを派兵することもできたはずです」

「それにも理由がある。ガイエルが本当にレイチェルとハイドを殺したのか、それをまず突き止めなければいけなかった。確実性のある証拠はなかったが、状況証拠だけでもガイエルが犯人だと考えられた。レイチェルの件はクラリッサと調べたと思う。ハイドの件に関してはガイエルに手を貸して土砂崩れを起こした者を特定した。ガイエルは交友関係に富んでいたが、素行が良くないものが多かったのだ。その手の輩は金を積めばいろいろと話し始める者だ」

「でも土砂崩れを起こした人たちが自白するでしょうか」

「実行犯とは別に誘われた者がいたんだ。断ったそうだがね」

「何人くらいいたのかわかりませんが、ガイエルにそんなお金があったんですか?」

「彼にではなく彼の父に金と権力があったのだ。金もそうであるように、当時ガイエルの父親は軍部の大佐だったため、レイチェルの殺人を隠蔽することもできた」

「だからオメガは軍部のあり方を変えようとしてたんですね」

「だがこちらの動きを悟られてしまえばガイエルの父がどういう手を打ってくるかわからなかった。元々反皇族派でこちらがなにを言っても反発する恐れもある。反皇族派を焚き付けて王宮に攻め込むという暴挙の可能性も考えられた。だからガイエルの父が死んでから確実に処理したかったんだ。そして、一年前にガイエルの父が死んだ」

「そうやって手をこまねいているせいでたくさんの人が死にました」

「それはよくわかっているし申し訳ないと思っているよ。後々責任は取るつもりだ」

「責任、ですか?」

「それは追々わかる」


 カエサルは口に手を当てて咳払いを一つした。


「それで続きなんだが、本当であればオメガとガイエルを一対一で対峙させる予定だったが、物事そう上手くも運ばなくてね。結果が最終戦の自害だ」


 流れ弾を装ってガイエルを殺した。そして目的を達成したオメガは自害。それが魔王オメガが描いた最後のシナリオだった。


「オメガは私と取り引きをした。そのなかにある物を作る手助けをしてくれた」

「あるものとは?」

「魔王の力を抑制する薬だよ。そんなものできるのかと思うかもしれないが、オメガからの情報でその薬はより実用的になっていたんだ」

「魔王が魔王の力を無効化する情報を提示したと? そんな、バカな……」

「オメガは魔王になりたくてなったわけではない。そして魔王が持つ力の危険性もわかっていた」

「でもそんな薬どうやって?」

「古い文献とオメガの情報だよ。この世界で魔王は近づくことができな場所があるのだと言われた。魔王の魔力が弾かれる場所でもある。南にある入り江、そこの洞窟だ。特別な鍾乳洞になっていて、魔王の魔力が減衰する場所のようなんだよ。そこを調べて、薬を作っていた」

「じゃあそれがあれば、私は助かるんですか?」

「そうだよ。でも魔王という存在は君一人しか存在しない。魔王の血族の行方もわからない。意味はわかるかな?」

「治験、ですか」

「そう。あの薬はまだ理論段階であって実地段階ではない。投与する相手がいなかったからだ。文献によれば、あの薬は魔王化発症初期までしか効果がないようだ。これは君にしかできない」

「なぜそんな文献があったのに魔王化を完全に止められなかったんですか?」

「製薬の理論だけが完成していたからだ。薬を作り出すだけの技術がなかったということだな。一度は生成に成功したが、その後どうやっても上手くいかなかったらしい」

「待ってくれ。アリスを実験動物にしようってのかよ?」


 ここでクラリッサが割り込んできた。


「それしか方法がないんだよ。わかってくれ、クラリッサ」

「わかんねえよ! その薬の作用だって未知なんだろうが!」

「じゃあお前ならどうする? アリシアとこの場から逃げるか? 銃弾の嵐をすべて躱して逃げ切れると思うか?」


 クラリッサが周囲を見渡す。兵士たちは今すぐにでも銃撃できる体制だった。いつでも引き金を引けるぞ言わんばかりにこちらを睨みつけている。


 アリシアにはここにいる全員の気持ちが手に取るようにわかった。それは魔王だからではない。人だからだ。兵士たちは魔王という驚異を排除したい。同僚や家族を殺された者もいるかもしれない。カエサルもまた魔王を排除したいが、オメガとの約束、娘の親友を殺したくないという気持ちが大きいのだろう。もとより懐が深い人物であることはアリシアも知っている。クラリッサも迷っているのだろうと感じていた。どうやっても逃げ切れない状況だが、逃げるための算段を考えては消し、考えては消しを繰り返しているに違いなかった。それぞれが思いを抱え、それぞれが別々の思考を持ってここに立っている。


 深呼吸をして、胸の中にある熱を調整するように努めた。自分の結論が人の生死を左右する。おそらく人生で最大の岐路であることは十分に承知していた。


「その薬が効けば、私は人としてまた暮らせるようになりますか?」

「おいアリス!」


 右手を上げてクラリッサを制した。


「陛下。答えを聞かせてもらえませんか」


 カエサルは目を閉じた。数秒後に目蓋を開き、真剣な顔でこう言った。


「上手くいけば戻れるよ」と。


 であれば悩む必要などない。死ぬか生きるかなんて選択肢はどうでもよかった。大切な人たちを殺すか、自分が死ぬかの二択でしかないのなら――。


「じゃあ、試薬の被検体になります」


 アリシアは爽やかに微笑んでみせた。


「本気か? どうなるかわからないんだぞ?」

「なにもしないよりはましでしょ? それにアナタが言ったんじゃない。まだ一緒にいたいんだって。私もクラリスと一緒にいたいから可能性に賭けたいよ。それが理由じゃだめかな?」

「上手くいかなかったらどうするんだ。力が暴走するかもしれないし、そうなったらお前を殺さなきゃならなくなる」

「結局このままでも同じだよ。でもそうだな、もし暴走しそうになったら、そしたらこの命はクラリスに預けるよ。完全に魔王になる前にアナタが私を殺してよ」


 くしゃりと、クラリッサの顔が歪んだ。


「ふざけんなよ……そんなの、できるわけねえだろ……」

「他の誰かじゃイヤなんだ。お願い、私を、殺して」

「そんなこと言われたらアタシはどう返せばいいんだよ」

「一つ、頷いて」


「泣かないで」とは言えなかった。彼女の今の顔は、自分に対しての愛情の証拠だからだ。


 クラリッサは奥歯を強く噛み締めながら大きく頷いた。そんな彼女を抱きしめて、背中を何度も何度も撫でた。


「行こうか、アリシア」


 カエサルが手を差し出すが、クラリッサがその手を下げさせた。


「アタシが連れてく。アタシの、役目だ」

「わかったよクラリッサ。明後日、城で会おう」


 ハーシアから王都イルファンドラまでは数時間もあれば到着する。にも関わらずカエサルは予定を明後日にした。その意味がわからないほど、アリシアもクラリッサも鈍感ではない。


「ありがとう、父上」

「ちゃんと戻ってくるんだよ」


 カエサルはクラリッサの頬にキスをし、森の中へと消えていってしまった。


「フラン! おいで!」


 クラリッサの声を聞き、愛馬であるフランがやってきた。大柄であるため目の前にすると威圧感がある。


「行こう、アリス」

「うん、お願いね」


 二人が馬に跨ると、クラリッサが手綱を小さく打ち付けた。


 フランが走り出すと、冷えた空気が頬に当たる。風は冷たいのに、抱きしめたクラリッサの身体は温かかった。その奇妙な温度差がやけに心地よかった。


 徐々に速度が上がっていく。森を抜け、ハーシアの横を通過した。その先が王都でないことはわかっていた。むしろ逆方向だ。


 クラリッサの背中に顔を擦り付けた。王都に帰ったら自分はどうなってしまうんだろう。幽閉されて薬漬けにされるんだろうか。いや、だろう、ではない。そうなるのだ。


「これが最後だなんて認めないからな!」

「当たり前でしょ」


 それ以上速度を上げず、なにもない草原を走っていた。空は満天の星空で、夜明けまではまだ時間がある。


 しかし時間が有限であることは考えないようにした。考えてしまえば終わってしまうから。今はこの時間を大切にしたかった。親友との、最後の思い出になるかもしれないからだ。


 二人は夜の草原を駆け抜けていく。この先になにが待っているかなどわからない。けれど明るい未来があると信じるのだ。信じるしか、なかった。

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