第20話 アリシア=ハンバード⑮

 オメガたちの家族絵をテオドルに返してから妙な違和感があった。正確には絵を見て感じた温かな感覚がどうにも解せなかったのだ。


 家に戻ってすぐに馬舎に向かい、アルに跨って走りはじめた。


 それから数時間休みなく走り続けた。ほぼ全力疾走に近い速度であったため、アルにも疲労が見える。


 時刻はすでに日付をまたいでいた。馬舎に明かりが灯っていたのが幸いだった。小さな町であるため、馬舎の利用もあまり多くない。それでも旅商人用に夜中までやっているのだろう。


「ありがとう。ここで休んでて」


 馬舎に預け、主人に金を渡した。水と食料と馬舎の賃貸料だった。少し余計に渡し、毛繕いも頼んでおいた。馬舎の主人は「アリスのお願いだからな」と気軽に引き受けてくれた。


 ここはハーシア。アリシアの実家がある町だ。


 家の前に立ち、二度、三度と深呼吸をした。けれどドアノブを握る勇気が持てなかった。


 実家に帰るのは七年ぶりになる。中等部は隣町の学校に通っていたが、成績がよかったアリシアは王都の高等部に通うことにした。高等部は寮生活であったため、その時点で実家から離れて暮らすようになっていた。そして上高等部に進学する際、親に反対されたことで半ば家出同然で王都に戻った。


 両親の気持ちはアリシアにもわかる。高等部の軍事科を出たら駐屯兵の試験を受ける約束だったからだ。駐屯兵としてハーシアに戻ること、それが軍事科に通う条件だった。


 しかしアリシアは常に上位十番までには入るほど成績がよかった。クラリッサといるうちにより上を目指してみたいと考えてしまった。アリシアが上高等部に進学したいと願うようになるのも時間の問題だった。


 それから七年以上、実家には戻っていない。上高等部の学費や今住んでいる場所の家賃などはクラリッサに借りた。


 七年の間に学費は返済し終わっている。両親に卒業の便りも送った。最初に軍部に配属された際にも手紙を送った。だが、魔王討伐部隊に配属されたときには手紙を送らなかった。心配をさせたくなかったのだ。


 両親のことを思い出していた。頑固者であり、ときに厳しく、ときに優しく、けれど愛情深いことが伝わってくる父トーレは、よく膝の上に乗って絵本を読んでもらった。母のバーバラは声が大きく料理が上手かった。勉強しなさいとは一度も言わなかったし怒られた記憶もほとんどない。ただし母が父を怒ることはよくあった。ズボラな父を怒鳴る母の姿は忘れられない。


 姉のエルサとは年が十離れている。非常に優しく、宿題をすべて終わらせると頭を撫でてから抱きしめてくれた。姉の胸は太陽の匂いがして、つい鼻をこすりつけてしまいたくなる。そんな姉の優しさはアリシアが上高等部に進むまで続いた。


 そうだ、すべて自分が壊したのだ。なかったことにはできないのに、自分のことだけを考えた結果、家族から逃げてしまった。ちゃんと話し合いをする前に、罵声を浴びせて飛び出してしまった。そのせいで実家には帰りづらくなったのだ。


「ア、リス……?」


 咄嗟に振り返った。そこにはバッグを持った姉エルサが立っていた。いや、夜中なので姉かどうかまではわからない。それでも声でわかった。月明かりの下で立つのは、あの頃と背格好が変わらない愛しい姉であると。


「お姉ちゃん、どうしてこんな時間に? それにマルクさんは?」

「ああ、山で崩落事故があってけが人がたくさん出たのよ。うちの病院も大忙しでこんな時間になっちゃった。今日は実家に帰るって言ってあるから、マルクは子供たちと一緒に寝てるわ」


 月が出ているおかげで姉が笑っているのがわかる。あの頃と変わらない優しい微笑みだ。


「そっか。まだ、病院で働いてるんだね」

「あの頃と変わらず働いてるわよ。そっちはどう?」

「うん、上手くやってるよ。お給料もちゃんと上がってるし」

「とにかく家に入りましょう。父さんも母さんも喜ぶわ」


 エルサが駆け寄ってきて抱きついてきた。十秒ほどそうしてから、ようやくバッグから鍵を出した。


 ドアが開いて懐かしい我が家の匂いがした。家の中は暗かったが、鍵が開いたことを聞きつけたのか奥の方から明かりが近づいてくる。


「今日は遅かったわね。怪我人の方はどう――」


 出てきたのはバーバラだった。アリシアの姿を見てランプを落としそうになったが、すぐに正気を取り戻してランプを支えた。


「アリス……アリスじゃない……!」


 ランプをテーブルに置いて抱きついてきた。恰幅がいいため押しつぶされそうになるが、抱きしめられたとき、その肉質が妙に懐かしかった。そういえば母の抱擁は常にこんな感じだったなと涙が出そうになった。


「おいどうしたんだ」


 そしてトーレも奥から出てきた。こちらもまたアリシアの姿を見て固まったが、顔が少しずつこわばっていった。


「なにしに戻ってきた」

「ちょっとお父さん」

「お前は黙ってろ」


 バーバラを押しのけ、トーレが目の前に立った。怒っているのはわかったが、その顔はどこか悲しそうな顔をしていた。


 あの頃よりも少し老けた。あの頃よりも少し痩せた。あの頃よりも、怖くなくなった。


「一応、ただいま」

「なんだ、もう軍の仕事に音を上げたのか」

「そういうわけじゃないよ。ちょっとね、訊きたいことがあって帰ってきたの」


 エルサが壁のランプに明かりをともした。これでようやくちゃんと顔を見て話ができる。


「座れ」


 トーレがドカッとイスに腰を下ろす。トーレの隣にはバーバラが座り、テーブルを挟んでアリシアとエルサが座った。


「話ってのはなんだ。金のことじゃなさそうだな」

「お金の心配はないよ。ギャンブルもしないし贅沢もしないから」

「じゃあなんだ」


 ここでもまた深呼吸をした。本当は言いたくない。言いたくないが、言わなければここに来た意味がない。


 生唾を飲み込み、ゆっくりと口を開いた。


「私、お父さんとお母さんの本当の子供じゃないんだね」


 バーバラが口に手を当て、エルサが小さく息を飲む。


 しかし、トーレだけはなにも変わらなかった。一直線にアリシアの瞳を見つめ、アリシアにはなにかを頑なに拒んでいるように見えた。


「家に飾ってあるあの肖像画。モノクロの家族絵だけど、私が四歳のときに描いてもらったって前言ってたよね」

「そうよ、それこそが家族である証拠よ」


 バーバラが唇を震わせてそういった。昔からそうだったが嘘が吐けない人だなと心の中でほくそ笑んだ。


「三人とも微笑んでるけど私だけ無表情なのがずっと気になってた。私は四歳だったから当時の記憶はないし、機嫌でも悪かったのかなって。でも違うんでしょ? あれは私がこの家に来たときに描かれたもの。違う?」

「これはねアリス――」

「そうだ」


 バーバラの言葉を遮ったのはトーレだった。


「言うか言わないか、母さんとエルサと話し合った。結果、お前には言わないことにしたんだ。最終的に決めたのは俺だ。文句は俺に言え」


 オメガとその家族の絵を見たとき、テレサの顔をどこかで見たような気がしていた。それが自分の家であることに気がついたのは、家に帰った直後だった。そうして、一番確実な手段として実家に向かうという方法を選んだ。だからなのか、真実を告げられてもショックはなかった。逆に「やっぱりか」という気持ちの方が大きかった。


「なんで言ってくれなかったの? 私はもう大人よ?」


 自分の出生に関する真実はすでに知っている。オメガの孫であり、ハイドとミラの子供だ。しかしながら隠されていたこともまた真実だ。その真実に対する解答がない以上、まだ納得したわけではない。


「お前は俺の子だからだ」

「本当の親子じゃない」

「家族ってのは血の繋がりだけか? 血が繋がってなきゃ家族じゃないのか? 何年も一緒に暮らして、それでもお前はうちの家族じゃないって言いたいのか?」

「そういうわけじゃないけど言ってほしかった。血は繋がってないけど家族なんだって、そうやって私の存在を肯定して欲しかった」

「普通の家族はお前は俺の子だなんて言わない。エルサもそうだしお前もそうだ。俺と母さんが育てた、俺と母さんの子だ。わざわざ誰が誰の子かなんて、普通の家庭で確認するわけないだろ」


 トーレはやはり目をそらさなかった。


 父が嘘を言っていないことはよくわかった。父も母も姉も嘘が下手だ。父の口から発せられる言葉が真実であることは、トーレの娘として生きてきたアリシアがよくわかっている。


「そっか。そう、なんだね」


 アリシアがテーブルに視線を落とすと、エルサの左手が強く肩を抱いた。身体が傾き、今度は両手で身体を抱きしめられた。


「なにも変わらない。アリスは私の妹だから。お父さんとお母さんの娘だから。なにも、変わらないから」


 エルサは静かに涙を流していた。アリシアの肩を擦りながら、強く、強く抱きしめていた。


 穏やかで優しい姉。そんな姉の涙を見たことは今まで一度しかなかった。アリシアまだ幼かった頃、近所の子供たちにいじめられたことがあった。ボロボロになって家に帰ったとき、姉は静かに泣きながら強く抱きしめてくれた。


 愛情は痛いほど感じている。両親からも、姉からも。しかしそれだけではどうすることもできない事実もある。そう、オメガの孫であるということ。それはつまり、魔王の血が流れているということである。


「私の本当の両親が誰か知ってる?」

「いや、俺は知らない。孤児院が拾ってきた子供をそのまま引き取ったからな」 

「じゃあ教えてあげる。父の名前はハイド、母の名前はミラ。そしてハイドの父の名は、オメガ」


 そこでようやくトーレが大きく息を吸った。さすがにこの情報だけは心の揺らぎを隠せないようだった。バーバラもエルサも口を押さえ、なにをどう口にしていいのかわからない様子だった。


「私ね、実は魔王が死ぬまでの一年間、魔王討伐課に配属されてたの。これは軍事機密なんだけど、その魔王は私たちの前で自分で首を刎ねて自害した。私はその理由が知りたくてここ数日オメガのことを調べてた。オメガと家族の肖像画に描かれている子供がね、実家の肖像画の子供にそっくりだったんだ。だから、ちゃんと話をしないとって思ったの」


 スッと、静かにイスから立ち上がった。


「どこに行くの……?」


 バーバラがそれにつられて立ち上がる。


「私には魔王の血が流れている。魔王の血族はいつどこで魔王になるかわからない。私は生きていてはいけない存在なの」

「そんなことない!」


 どこにも行かせまいとエルサが腕を掴んできた。振りほどいて出口に向かおうとしたが、エルサは更に腕を掴んでくる。


「離して、お姉ちゃん」

「イヤよ、離さないわ」


 ため息を一つ。エルサの手に自分の手を重ねた。


「私は本当の妹じゃない」


 強くその手を掴み、振りほどいた。駆け出してドアを出て、暗闇の中に飛び出していく。ランプも持ってこなかったが、この際そんなことはどうでもよかった。


「アリス! アリスー!」


 姉が背中の方で叫んでいた。日頃から訓練を積んでいるおかげで家族に追いつかれる心配はないだろう。

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