第19話 エルヴィン=マインカート⑤

「レオの言うことが正しいな。今は、だけど」


 声がした方に顔を向けた。出入り口の横の壁にクラリッサが寄り掛かっていた。


「おま、なんでここにいるんだよ」

「いろいろあるんだ、こっちにもね」


 コツコツと、ゆっくりとこちらに近づいてきた。彼女が王族であることを忘れるが、こうして優雅に歩く姿を見ると王族としての教育を受けてきたのだと思い知らされる。


「それより、レオの言う通りこのへんで引きなよ。アンタたちには協力してもらった借りもあるけど、その借りはこれかたちゃんと返すからさ」

「しかしアリスが欲しているような答えにはたどり着いてない」

「さっきも話題に上がってたが、これ以上首を突っ込めば面倒なことになる。上からの圧力でアンタは軍を追いやられるし、家族がどうなるかもわからない」

「脅しか? それよりなんでそんなことを言われなきゃいけないんだ。どんな権限があるってんだ」

「王族の権限に決まってるだろ? アタシは第三王女だ。王位継承権はないに等しいけど権力は持ってる。でもまあ、圧力でぶっ潰されるのは私も好きじゃない。だから取引をしよう」

「なんだよ、取引って」

「ここで引いてくれるならなんでもいうことを利いてやろう。当然アタシができる範囲でだがな。そうだな、一生アンタの慰みものになってもいいぞ」


 そう言いながら、クラリッサはシャツの首元を下に引っ張った。その動作に嫌悪感を抱き、思わず眉間にシワが寄る。


「なに言ってんだよお前! からかうのもいい加減にしろよ!」

「知ってるか? アタシの方がアリスよりも胸も大きいし腰も細いんだぜ? 手軽に抱くにはちょうどいいだろ?」

「お前、ホントにどうしたんだよ」

「なんだ不服か? じゃあ金か? まあアタシは王族だし金には不自由しない。お前の財布になることも当然できる。もしかして両方欲しいってか、欲張りだな」


 クラリッサは顔を近づけ、エルヴィンの頬に手を当てた。


 しかし、エルヴィンは依然として彼女を睨み続けていた。


「どっちもいらない」


 手を離したクラリッサは不機嫌そうに腕を組んだ。


「アタシには魅力がないってことか? そりゃないぜ、アタシだってドレスを着れば立派な淑女だぞ?」

「お前が淑女だろうがなんだろうが俺にとってはどうでもいいことだ。友人であるということ以外、俺はお前に興味はない」


 驚いたように目と口を見開き、クラリッサはフフッと微笑んだ。


「ありがたいんだか、残念なんだか」


 そう言いながら頭を掻いた。


「そんなにアリスのことが好きか?」

「そういうんじゃない。単純にイヤなだけだ」

「私を抱くことが?」

「全部だ。真実を諦めることと引き換えにお前の自由を奪うなんて間違ってる」

「本気で言ってるのか?」

「当たり前だろ」


 クラリッサは途端に吹き出した。資料室を満たすような大きな笑い声だった。


「なんで笑うんだよ」

「おかしなやつだと思ってな。アタシほどのいい女を抱きたがらない男がいるとは正直びっくりだ」


 涙を拭い「それでも」と続ける。


「これはアリシアの問題なんだ。それだけはわかって欲しい」

「アリスの問題ってどういう意味だ? これは魔王オメガの問題だろ?」

「そう思ったから協力したんだろうが、目に見えるものだけが真実じゃないってことだ。同時に、知っていることだけが事実じゃない」


 そのとき、廊下の方が騒がしくなった。資料室に兵士が飛び込んできてクラリッサに耳打ちをする。


「そうか、わかった」


 クラリッサは背を向けて手を上げた。


「それじゃあ私は行くよ。アリスのことを思うなら今回のことは忘れろ」


 兵士数名を先頭にしてクラリッサは資料室を出ていった。置き去りにされた二人は顔を見合わせた。


「なんなんだ、あれ」


 レオナルドが言うことももっともだった。いきなり現れて、抱くだの金だのと勝手に取引を持ち出し、好き勝手に話を展開したかと思えば嵐のように去っていった。


「わからない。わからないけど、なにかがおかしいのだけはわかった」


 彼女は言った。普段は使わない「アリシア」という呼び方をした。クラリッサはなにかを知っている。しかしなにを知っているのかまではわからない。


「その顔、行くのか?」


 自分がどんな顔をしてるかは自分ではわからない。顔を触って見るがまったくの無意味だった。


「馬を用意するぞ。今すぐクラリッサを追うんだ」

「はいはい。楽しそうでなにより」

「散々付き合わせておいて、用がなくなったらはいさようならなんて許せるか」

「わかったよ。また厄介事か」


 二人は資料をかき集め、足並みを揃えて資料室から出た。出ていく直前に笑顔だったような気がするが見なかったことにした。


 彼が言うように、もしかしたら自分は笑っているのかもしれない。だが楽しいから笑っているわけじゃない。嬉しいから笑っているわけじゃない。


「ここまで来たんだ。のけ者にされてたまるか」


 アリシアのためにやったこと、それは間違いない。けれどお人好しだから手伝ったわけでもなければ、雰囲気に流されてやったわけでもない。手伝いたいと、協力したいと思ったから彼女の手紙に従ったのだ。友人として、想い人として。

ここからは協力関係じゃないと、そう自分に言い聞かせてクラリッサのあとを追うのだった。

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