第8話 アリシア=ハンバード⑧

 昼まで眠った二人は、起き上がるのと同時に気だるさに襲われた。


「クソっ、変な時間に寝ると身体が重いな」

「やる気も起きないしね」


 ため息を吐きながら立ち上がった。


 窓から外を見てみるがヘトラのような監視はいない。ここから見えない位置で入り口だけ監視をしている可能性はあったが、宿屋に入ってしまった以上はそんなことを考えても仕方がなかった。もしも見張られていたとしたら、二人がこの宿から出るまで監視は動かない可能性が高いからだ。


「監視は?」


 くしゃくしゃになったトウヘッドの髪の毛を指先で弄びながらクラリッサが言う。


「今は大丈夫そう。出入り口を見張られてる可能性は十分あるけど」

「監視してないと思わせておいて出てきたところを捕まえるってか。隠密部隊が監視対象に逃げられたとなれば、次はちょっと強引な手に出るかもしれないな」

「無勢に多勢。今ここに踏み込まれただけでもかなりキツイよ」

「そんときは戦うしかないだろ」

「相手の目的もわからないのに? 無用な戦闘はしたくない」

「襲われてんのはこっちだぞ。こっちにやる気はなくても向こうにはあるんだよ。まあ、目的はアタシだとは思うがな」

「まだ確証はないよ。もしかしたら、別の要因があるのかも」

「別の要因って?」

「それがわかれば苦労しないって。それにあれが本当にウチの隠密部隊かも怪しいし。バッジとか腕章くらいじゃ証拠にならない」

「偽造は可能だしな。それでもそこそこの人数だった。偽造にしても組織ぐるみってのは確実だ。相手を殺さないにしても戦うかもしれないくらいは考えててもいいだろ」

「武器を向けあって殺さない自信なんてないんだけどね。ちょっと狙いがズレただけで人間なんてすぐに死ぬ。太い血管一本切っただけでも致命傷になるんだから」

「そこはまあ、腕で」

「私弓兵なんだけど」

「もう剣は取らない、か」


 クラリッサは退屈そうに言った。


「剣はね、私に合わないから」


 アリシアは窓から離れ「お昼、食べに行こ」とドアに向かった。クラリッサは「あいよ」と立ち上がる。


 二人で宿屋を出ると、向かいにある酒場の看板が若干違うことに気がついた。夜は酒場だが昼間はレストランになるようだ。


 酒場に入ってカウンターに座ると店主が鼻で笑う。


「また来たのか」

「お腹減っちゃって」

「ちょっと顔色がよくなったな。よく眠れたか?」

「さすがに限界でしたからね」

「起き抜けに飯が食えるっていうのは若い証拠だな。飲み物は?

「アタシはコーヒー。とびきり苦いの」

「私は紅茶で。砂糖は一杯」

「わかった、ちょっと待ってろ」


 店主は今朝のように店の奥へと入っていった。そこから十分ほど経ってから、いくつかの料理をオボンに乗せてやってきた。


「気が利くなあ。まだ注文もしてないのに飯が出てくる」

「するせえ嬢ちゃんだな。もうひとりの嬢ちゃんを見習って欲しいもんだ」

「アタシとアリスは二人で足して割るといい感じなんだよ」

「仲がいいことで」


 出されたのはスープ、サラダ、オートミールだった。スープからは魚介類の匂いがして食欲をそそられる。



「もっと精がつくようなもの出してくれよ」

「夜ふかしして寝不足でしかも起き抜けだろ。消化が良い物の方が身体に無理をさせなくていいぞ」

「アタシらは年寄りかよ」

「いいから食え。金は払えよ」

「勝手に出しておいて金をふんだくるのか。きたねえ商売だな」

「今朝は奢ってやっただろ」


 クラリッサと店主のやりとりを横目に「いただきます」とスープに口をつけた。火傷しない程度に温かく塩分が身体に染み渡るようだった。オートミールにも味付けがしてあり卵が落としてあった。サラダは野菜を切ってドレッシングをかけた程度のものだが、野菜そのものが新鮮なのだろう、臭みもなく歯ごたえもよかった。


 オートミールを食べている最中、汗を拭うために内ポケットからハンカチを取り出した。そのとき、一枚の似顔絵がテーブルの上にひらりと落ちた。オメガの似顔絵だった。


「お前さん、なんでこの似顔絵持ってんだ?」


 似顔絵を拾ったのは店主だった。


 なんと説明したらいいのかと思考を巡らせるが、特にこれといった言い訳が思いつかなかった。というよりも魔王オメガのことは全世界のことが知っているから言い訳をする理由がない。


「私たち軍人なんです」

「軍人? 新しい駐屯兵かなんかか?」

「いえ、軍務庁勤務の兵士です」

「王都の兵士さんがいったいなんのために? もしかしてオメガを探してるってわけじゃないよな。オメガは死んだって聞いてる」

「死にましたよ。私の目の前で」

「それでも肌身離さず似顔絵を持ってるのはなんでだ? オメガに気でもあったのか?」

「そういうわけじゃないんですが、まあ、いろいろ気になることがありまして」

「気になること?」

「まあまあまあ、いいじゃねーか魔王のことは。今は飯を食うことに集中したい」


 クラリッサが割り込んで無理矢理会話を終わらせた。はずだった。


「もしかして深夜に馬を走らせて来たのもオメガが理由なのか? 軍人が死んだオメガのことを追うってなりゃ、その親族を探してるって考えるのが自然なんだが」


 話は終わらなかった。それ以上に思わず言葉に詰まってしまうほどに店主の察しが良すぎる。

クラリッサの顔を見ると「あーあ」と諦めたように片方の眉根を下げていた。


 どこかで話を訊かなければいけないとは思っていた。オメガのこと、オメガの親族のこと、エセットのこと。酒場の主人であれば旅人や商人たちからの話を聞いたことがあるかもしれない。


「確かに私たちはオメガの親族を探してます。というか、オメガが生きてきた軌跡を追っていると言った方が良いですね」

「そりゃなんでだ。捕まえるためか?」

「捕まえるつもりはありません。私たちは軍人ですがオメガの家族を捕まえたいわけじゃないので」

「じゃあなんでだ? 機密事項って感じでもないんだろう? オメガを探してるってことを俺に言ったわけだしな」


 少し迷いながら、どうやってどこまで話したらいいかを考える。


「おかしな話なんですが、その、個人的な興味で」

「たしかにおかしな話しではあるな。世界最大の厄災である魔王に興味を持つなんて。邪教崇拝みたいなもんだぞ」

「興味っていってもそういう感じじゃないんです。彼にも家族がいたはずです。でもその家族を置いてまで魔王になった。その理由が知りたいんですよ」

「それが興味か」

「そうです。それでオメガを知っている人に話を聞きました。オメガの娘であるレイチェルが死んだこと、そして他殺の可能性があったことも」

「それでエセットに向かってる途中ってことか」

「そういうことです。なにか知ってることとかありませんか?」

「あー、うん、そういうことか」


 店主はアゴヒゲを触り、斜め上を見た。


「じゃあ、俺がエセットの出身だから接触してきたわけじゃないんだな」


 思わぬ告白に、つい紅茶を吹き出してしまいそうになった。


「エセットの出身なんですか?」

「二十年前にここに引っ越したけどな。オメガが魔王になる瞬間は今でも忘れない」

「知り合いだった、とか?」

「知り合いと言えば知り合いだな。家が隣だったから」

「魔王になった瞬間も目撃しましたか?」

「したよ。すごい地響きがして家を飛び出した。そしたらオメガが苦しみながら町の中を歩いててな。そのまま町の出口まで歩いていって、暴風を巻き起こしながら飛び立っていった。あんなに遠くにいたのに強風でふっ飛ばされたのはいい思い出だ」


 店主は「ハハッ」と笑いながらグラスを拭いていた。


「オメガは泣いてましたか?」

「なに?」


 怪訝そうなその目に後ずさりそうになった。実際はイスに座っているので後ろに下がることはできないが、顔が厳ついのでどうしても気圧されてしまいそうになる。


「オメガが泣いていたのかを教えて欲しいんです」


 グラスを置き、先程と同じようにアゴヒゲを触った。


「苦しんでたのはわかったが、泣いていたかまではわからんな。そういえば左手で目頭を覆っていたような気はするが」

「見えたんですね?」

「まあ二十年以上前の記憶だから確実とは言えないがな。そんなことを聞いてどうする」

「オメガが魔王になったきっかけを探してるんですよ。きっと彼はレイチェルを失ったショックで心神喪失し、その後なにかが彼の身に起こって魔王になったと私は考えています」

「レイチェルの死が引き金じゃないのか」

「そのへんがちょっとよくわからなくて。レイチェルの死後、オメガが魔王になるまで約四年の時間差がありますから」

「それを調べてるってことか?」

「ええ、まあそういうことになりますね」


 魔王の自害のことはさすがに言えなかった。そこを曖昧に表現するとなれば、どこかに終着点を作らなければならなかった。


「レイチェルの死か。おかしな点がなかったって言えば嘘になるな」

「おかしな点?」

「当時の軍部の調査だとレイチェルは自殺で片付けられたがな、レイチェルは自殺するような人じゃなかったんだよ。当時俺は二十だったんだが、年が近いからちっちゃい頃からよく世話になってたんだよ。それに自殺するような素振りはなかった。楽しそうだったし常にウキウキしてた」

「ウキウキ、ですか?」

「そりゃもう。あれは男だな、間違いない」

「レイチェルの恋人……見たことありますか?」

「隠してたみたいだから家には連れてはこなかったな。ただ、逢い引きの現場を目撃したことはある」

「相手は?」

「軍人。王都から派遣された駐屯兵だったはずだ。でも逗留してたのは数週間だったから顔はよく覚えてない」

「短期派遣ですか? その町の駐屯兵が諸事情で仕事ができなくなった場合にとられる処置の一つですね。レイチェルと軍人が逢い引きしていたのはその軍人が町に来てどれくらいの頃ですか? 覚えている範囲で教えてください」

「さすがにそこまで覚えてねえよ」

「まあそうなりますよね……」

「あー、ちょっと待てよ。たぶん一週間以内だったはずだ」

「覚えてるんですか?」

「駐屯兵がいつ来たかはわからんが、俺の誕生日があったんだよ。両親から腕時計を貰ったからよく覚えてる。で、ある日レイチェルが山の方に行ったのを見て追いかけたことがあった」

「それはなぜ?」

「んなの決まってんだろ。俺もレイチェルに惚れてたってことだ」


 店主は「ガハハ」と豪胆に笑った。


「そこで見た。間違いなく言えるのは、軍人が町を去る寸前の出来事じゃなかったってことだ。アイツが来て間もなかったと思う」

「となると二人は元々知り合いだった可能性がありますね」


 一週間以内で恋仲になるのはさして難しいことではない。しかし、二人が元々知り合いであったと考えた方がずっと理屈が通る。数日で恋仲になったとすれば他の人間に見られていてもおかしくない。恋は盲目という言葉があるように、男女どちらかがどこかでボロを出す。けれどレイチェルたちはわざわざひと気のない山を逢い引きに選んでいる。隠す意思があったということとそれをキチンと守っているということ。お互いに分をわきまえていると考えても不自然ではない。


「それがわかったところで、その恋人がレイチェルを殺したとは考えられないだろ?」

「ですが怪しいというのは代わりありません」

「まあ、役に立ったならよかった」

「ちなみにその軍人の年齢とかってわかりますか?」

「レイチェルに比べたら結構年はいってたような気がするな。一回りくらい違ったと思うぞ」


 当時二十三歳であったレイチェル。一回り近くというと三十代ということになる。こんなところで情報が得られるとは思わなかったが、少しずつレイチェルの恋人を絞り込めるようにはなってきた。


 紅茶を飲み終わってから「それじゃあ失礼」と簡単な挨拶をしてから外に出た。店主は「ああ、またな」と歯を見せて笑っていた。

気を張って左右を見渡すが監視がいるような気配はない。


「心配しすぎだって。完全に撒いた」

「それも時間の問題だと思う。私たちはヘトラに泊まっていたんだから、追手もヘトラから近い町を探すと思うし」

「でも森の中も一応探すだろ? 森の中を散策してから周囲の町に行くとなればそれなりに時間がかかる」

「そこがネック。人数をかけられるってことは、森を探す役と町に向かう役に分担できるはずだよ」

「それを言われちゃおしまいだ。今すぐにでも町を出るか?」

「正直それでもいいと思ってる。追手がどんな目的で私たちを追っているにしても、捕まったら間違いなく時間をとられる。追手が隠密部隊のフリをしている謎の組織である場合は捕まったら最期と考えてもいい」

「はー、今日も夜はちゃんと眠れそうにないな」

「帰ってから荷物をまとめよう」

「今のうちに馬舎にも話してくるか。だいたい何時頃にする?」

「昨日と同じくらいでいいかな。九時とか十時とか。早すぎると人通りが多いし目立つ。遅すぎると追手がこの町に来る可能性があがってしまう」

「九時まであれば時間は十分だな。テキトーに保存食でも買って、風呂入って飯食って寝る。で出発」

「あんまり昨日と変わらないなあ」

「森の中でやり過ごす可能性も考えれば毛布やおが屑なんかも買っておくか。お前火の魔法使えたっけ?」

「私ができるのは風魔法だけ。知ってて言うな」

「一応な。ほら、年食って別の属性が使えるようになるやつもいるだろ」

「それは魔力が高い人限定ね」

「私は光属性だけなんだよな。マッチも買っておくか」


 宿に戻る前に町を散策し、干し肉、バター、パンという保存がききそうなものやマッチや毛布などを買った。宿に戻る際にも周囲に気を配り、できるだけ道の端を歩くようにした。


 宿に戻り荷物をまとめた。出入り口付近に荷物を置き風呂に入った。ヘトラで泊まった宿よりも風呂は狭かったが、脚を伸ばせるというのは心地が良よかった。


 風呂から上がって向かいの酒場で晩御飯を食べた。店主にはまた鼻で笑われた。だが味は悪くない。最後にフィラの実の漬物を十個ほど袋に詰めてもらった。


 部屋に戻ったあとは少しだけ本を読み、手紙を書き、そして二人で同じベッドに入った。今から眠れば四時間は眠れる。


「どっかでアイツらを捕まえて、なんでアタシたちを追いかけてんのか吐かしてやりたいところだな」

「だから多勢に無勢だって」

「十人くらいならなんとかなるでしょ」

「安直」

「そういうとこが好きなくせにー」

「いやー、正直そういうところは直してほしい」

「うそ、だろ……?」

「嘘だったら幸せだったのにね」


 そう言って瞼を閉じた。クラリッサが腕に縋り付いてくるが気にせず呼吸を整えた。深い呼吸を繰り返しながら、自分の身体が布団に沈んでいくイメージを浮かべる。こうすると眠りやすくなるのだと昔教官に教わった。


 しばらくするとクラリッサの寝息が聞こえてきた。呑気だな、と思いながらもアリシアの意識はしだいに遠のいていった。

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