鷹揚な男





「アタシ以外の……って、なんでそんな言い方するのさ」


 僕をめ付ける視線はそのままに、盛大に口をヘの字に曲げた真子は手に持っていたオレンジジュースをドンとテーブルに叩きつけた。

 半分ほど中身の残っていた橙色がグラスの中で跳ねる。


「だぁって!! アタシの友達は越生えつおくんしかいないのに! 越生くんは私以外の友達がいるなんてずるい! あのね、さっき一緒にいた上中くんなんて私は幼稚園の頃からずっと同じクラスなんだよ? なのに……なのに一言もお喋りしたことがないのに、越生くんったら、もぉ〜」


 真子は頭を抱えんばかりに突っ伏す。

 いつものことだけれど、真子には絶望的に友達が少ないのだ。

 見た目も性格も、僕からみたら突出しているようには思えないけれど、なぜか。

 真子になにか特別な欠陥があるわけではない……と、思う。

 だけど、真子が人の輪の中に入ろうとするとどういうわけか誰かが体調を崩す。都合が悪くなる。さらには怪我をしたりする。

 村長の娘とはいえ、そんな不気味な現象が続けば皆遠巻きになるのは当然だろう。

 僕にはヒソヒソと内緒話をする保護者がいなかったから、ただ普通に接していただけなのに、気がつけば真子の唯一の友人になっていた。

 「越生くん以外のお友達がほしい」というのは真子の口癖だ。

 曰く、僕にはもう飽きたのだとか。

 そりゃ、長く腐れ縁してたら仕方ない。

 だから、叔父さんや周りが冷やかすような男女の甘酸っぱいアレコレなんて、絶対にないのだ。……なに言っても照れ隠しにしか受け取ってもらえないから、あまり言及はしないけれど。


「比奈夫と友達になりたいのなら、喜んで紹介してあげるけど?」

「……いい。どうせ、トイレから戻ってこないもん」


 何度か真子と周囲の仲を取り持とうとしたけれど、悉く不可抗力で失敗に終わってしまった経験が尾を引いているのか、真子は最近では挑戦もせずにふてくされることが多い。


「それに、上中くんは男の子でしょ。友達になるなら、女の子の方がいいもん」

「そういえば、あれから大学で友達はできたの?」

「………」


 真子は僕の問いかけを見事にスルーして、オレンジジュースの残りを一気に吸い上げた。


「……あぁ、でも真子がファミレスにいるなんて珍しいね」


 仮にも真子は村長の娘で、蝶よ花よと育てられた箱入り娘でもある。

 放任主義の比奈夫と違って、成人間近でも厳しい門限と細かい規制があるのだとか。


「今日は、先生が一緒だから」

「先生?」

「習い事の先生。ほら、あそこにいるよ」


 真子が指さした先には、四人掛けボックス席の端っこにすっぽりとおさまった黒髪がのぞいていた。ずいぶん小柄な先生だなぁ……。


「また新しく、何かはじめたんだ?」


 お嬢様らしく、真子は幼い頃から日々多種多様な習い事をこなしている。

 そして、その一つとして長続きしていない。


「まぁね。あんまり気は進まないんだけど……」

「いいじゃん。また上手くなったらみせてよ」

「見せるようなものでもないから……」


 なんだか歯切れの悪い真子を少しだけ不審に思う。


「……それより、上中くんとなに話してたの?」

「そんなに気になる?」

「だって、アタシは越生くんとしか友達との会話って知らないから……ちょっと興味があっただけ」


 真子の父親は村長だから、真子に話すと自動的に村長の耳に入るだろう。

 村長に伝わる前に、ある程度の解決は導き出しておかないといけない、という暗黙の了解が頭を掠めた。


「べつに、大した話はしてないよ」


 まず、叔父さんが受け取った藁人形の話はしないほうがいいだろう。生人剥やイナエタ、それに叔父さんへの風当たりのことについても。


「その『大した話じゃないこと』がアタシはしたくてたまらないのになぁ〜……」

「友達なら、僕がいるじゃないか」

「越生くんはなぁ……ちょっともう、行動が読めちゃうからつまんない」


 ひどい言いぐさだ。

 長年の友達でなければ、許されるものではない。

 長年の友達だから、許すけど。


「……でも、この間は大変だったね。お父さんが倒れちゃって。もう大丈夫なの?」

「ありがとう。あの時は助かったよ」


 半年前、父さんが突然倒れた時に村長にはお世話になった。

 ちょうど、叔父さんが長期出張で留守にしていた時だったから、僕1人で途方に暮れていたところに助け船をだしてくれたのだ。

 おかげで、大きな病院で適切な処置を受けて今も何とか生きながらえている。


「村長には頭が上がらないよ。どうもありがとう」

「そりゃ、あんな時ぐらい村長らしいことしてもらわないとね。いつも皆に助けてもらってばかりなんだから」


 真子も娘なりに、村長への暗黙の了解は感じているのだろう。ちょっとだけ呆れた表情と、同時に父親への親しみも滲ませる。


「パパがね、小籠の家は特別だからって」

「特別?」


 一人娘の唯一の友達だからだろうか。

 そんなことぐらいで、特別扱いしてもらわなくてもいいんだけどな……。


「これからも良くしてもらいたいから、って言ってた」

「言われなくても、こちらこそって感じだけど」


 真子とこうして話し込んでいても、一向に比奈夫は帰ってこない。

 次第に『先生』とやらの後頭部が神経質に揺れ出したのに気付いた真子は、「じゃあ、またね。困ったことがあったらいつでも連絡して」と残して僕の前から去っていった。

 そりゃ、お嬢様特有の空気の読めなさやわがままなところもあるけれど、それを補ってあまりあるほど真子はかわいいし愛嬌もあるのだから、僕以外の友達ができてもよさそうなのになぁ……。

 再び1人になった僕は、ドリンクバーでウーロン茶を入れてまた席に戻る。

 まだ比奈夫は戻ってこない。

 おかわりをゆっくり飲み干した頃にスマホをチェックすると、『すまん、先に帰ってくれ。便所から出られん。ここは奢ってやる。また話す』とメッセージが入った。

 ちょっと迷ったけれど、大学の授業の予定も迫っていたので僕はお言葉に甘えてファミレスを出た。

 愛車の古い軽トラックに乗り込んで、最寄り駅を目指す。

 途中、午後の日差しを反射させてキラキラと光る日胤川ひたねがわを横目に見ながら車を走らせると、胸の中の蟠りがほんの少しだけ解けたような気がした。


 ……叔父さんの運転手は、父さんが倒れた時期とほぼ同時期からはじめた。

 つまり半年前。

 今までは単純に現地までの送り迎えだけだったから、叔父さんが取材先であんな扱いを受けているなんて知らなかった。

 きっと、村の中だから……だよね。

 流石に村の外でもあんな扱われ方をされるなんて、意味が分からない。

 叔父さん本人に聞いたら一番早いんだろうけど、いくら身内でも聞きにくいことはある。

 まずは自分で調べてから……それから、それとなく解決の糸口を探ろう。

 なんでもかんでも疑問をぶつけるなんて、それこそもう子供じゃないんだし、うん。

 来年には成人式だ。

 ずっとお世話になっている叔父さんには、なにか目に見える形でお礼がしたいと思う。

 なにがいいかな……。


「……んっ?」


 昼下がりの田舎の国道は、本当に人通りが少ない。

 はるか前方の歩行者を見るともなく眺めていたら、その中の1人、頭に包帯を巻き付けた男がピタリと動きを止めて佇立ちょりつする。

 ひどく痩せたその男は、でもどこか鷹揚おうような態度で振り向いた。

 僕は軽トラックで、向こうは徒歩。

 あっという間に追い抜いてしまうその一瞬、男は僕が通り過ぎる動きに合わせてグルリと身体を捻る。


 ただそれだけだった。


 男が耳の辺りをどす黒く汚して、すれ違う瞬間に両方の口角を限界まで引き上げたのだって、きっと僕には関係がない。

 僕は瞬間的に飛び跳ねた心臓を宥めることに精一杯で、おそるおそるバックミラーを確認した頃には、男は綺麗に消え失せていた。


「な……なんだったんだ?」


 独り言には誰の返答もない。

 返事がないことにホッとするなんて、ちょっとどうかしている。

 ハンドルを握ったまま細く長く息を吐いて、吐いて、全て吐ききったとき。




 ——わらみみわらはなわらくちわらめ——


 ——わらみみわらはなわらくちわらめ——




「……えっ!?」


 誰の声にも似ていない、ひび割れた機械音で出来た単語が耳に届いた。

 まるで歌っているような、まるで呪っているような、まるで祝詞のりとのような……。

 聞き慣れないフレーズは二度くりかえされて、そして途絶える。

 思わず路肩に急停車させて車内を探ってみたけれど、音の出所は見つからなかった。

 そうこうしている間に、さっきの包帯男が追ってくるのでは……と馬鹿げた空想が頭を支配しそうだったので、僕はスマホで適当な音楽を流しながら駅への道を急ぐ。


「遅刻しちゃ、困るもんな……」


 これは気のせいだから、きっと大丈夫だ。

 ……来週、また叔父さんに会ったときに話してみよう。

 比奈夫との話は伏せて、このことだけ。

 叔父さんはオカルトライターらしく不気味な話を好むから、きっと喜んでくれると思う。

 叔父さんが喜んでくれると、僕もうれしい。




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