わいらいはいらいけふうしかわず





 叔父さんが、またワケの分からないことを言い出した……。

 オカルトライターゆえに熱の篭もった怪奇話をするのは毎度のことだけれど、いつもは叔父さんがその手のことを話し始めたら、途端に眠くなるか意識が遠いて、ほとんど頭に入ってこなかったのに。

 なぜか、今は驚くほど脳内に染み渡る。


 『イナエタ』と『生人剥しょうにんはぎ』だけでも手一杯なのに、それに……『ワイラハイラ』だって?

 もちろん、僕はそんなモノになった覚えはないしなるつもりもない。


 だけど……聞き慣れない単語が、どういうわけかひどく懐かしく感じられて戸惑った。

 もう、手元に残してあるパスタのことなんて気にしていられない。

 とりあえずフォークをテーブルに置く。

 椅子ごと身体を引いて、少しだけ叔父さんと距離をとった。

 叔父さんは、まだ結び目のある左袖を僕に向けている。


「………」


 明らかに不自然な沈黙の中にあっても、叔父さんは全く動じていない。

 僕はその姿に何度も安堵して、時には救済とさえ感じていたのに……。

 今や、一抹の不安が足下からり上がって、気を抜くと嘔吐えずきそうだ。


「………」


 現状打破のため、とにかくなにか言葉を発しようと思い口を開く。

 すると、耳元で微かに何かが擦れるような雑音が聞こえた。

 なんだ……?

 なにが……、聞こえて……?

 次第に数を増やして近づいて来るそれが、足音だと気がつくまで時間はかからなかった。

 音はするのに、気配が全くない。

 足音に取り囲まれた恐怖で椅子から動けなくなった僕の両耳に、老若男女のどこにも属さない不気味な声が……届く。

 



 ——わらみみわらはなわらくちわらめ——

 ——わらくびわらかたわらむねわらし——

 ——わらふわらほとわらまらわらあし——

 ——わいらいはいらいけふうしかわず——

 ——しゅじょうさいどのかたはいのう——




「……ぅぐッ!?」


 鷹揚おうような男から聞いたものと同じく、歌とも呪言とも祝詞のりとともとれるような……けれど、そのどれとも違う珍妙なリズムとおかしな規則性が、無理矢理僕の脳髄を揺さぶる。




 ——わらみみわらはなわらくちわらめ——

 ——わらくびわらかたわらむねわらし——

 ——わらふわらほとわらまらわらあし——

 ——わいらいはいらいけふうしかわず——

 ——しゅじょうさいどのかたはいのう——




 両手で耳を塞いでも、頭を振っても、椅子から転げ落ちても……その声は止まなかった。


「うう……っ、い、いた……、痛い痛い痛い!!」

「えっちゃん、しっかりして下さい」


 経験したことのない激痛に、矢も盾もたまらず叫び散らす。

 叔父さんの前でこんなにも醜聞を晒したのは半年ぶりだ。

 そうだ、叔父さん、叔父さんがいた……。


「た、たすけて、おじさん……」

「えっちゃんだけは、なにがあっても巻き込みたくありませんでした」


 一縷の希望を求めて叔父さんを見遣る。

 無様に転げ回る僕に合わせて、床に膝をついた叔父さんは僕の両肩を右腕でやさしく抱いた。


「本当は、眠るように安らかに逝かせてあげたかったんですけど」

「……えっ?」

「邪眼の声が聞こえるぐらい、同一化してしまっているのなら、なにもらない方が危険ですね」


 ひたすらに繰り返される奇妙な言葉の羅列に飲み込まれそうになって、叔父さんの言っていることがよくわからない。

 ええと、でも、つまり、要約すると……。


「ぼ、僕……、おじさんに、殺されるの……?」


 なんでそんなことを言ったのかわからない。

 でも、単純に言葉の意味を考えるとそうなる。

 苦痛による涙で濡れた瞳で叔父さんを見あげると、彼は驚いたように吹き出した。


「あはは! まさか、そんな。えっちゃんだけは……私が、護らなくちゃ意味がないですから」

「いみ……?」

「ホラホラ、今はちょっとビックリしているだけです。ゆっくり息を吸って、吐いて……頭の声は聞き流して下さい」

「む、むりだよそんなの……」

「じゃあ、私の心臓の音を聞いて下さい。他人の鼓動は、参考になりますよ」


 右腕で抱き寄せられた叔父さんの胸は見かけ通り細くて、もたれ掛かるには心許こころもとなかったけれど、こんな状況でも規則正しく鐘を打つ心臓の音は僕を徐々に落ち着かせた。

 平常通りのリズムは、やっぱり異常さを抑える力があるらしい。その逆も、起こりうるけれど。


「はー……、はー……」

「そうです、上手ですね。……まだ、聞こえますか?」

「……いや、もう、大丈夫、たぶん」


 本当はまだ微かに耳に残っているけれど、僕は強がってそう言う。


「ごめんなさい、もっと順序立てて教えてあげたかったんですけど……やっぱり、邪魔されてしまって、こんなに唐突になってしまいました」

「ううん……っげほ、ごほ……げほげほっ!」


 椅子から転げ落ちた痛みが遅れてやってきたらしく、変な咳が止まらない。


「うん、まあ、それは、いいよ、うん、いいんだよ」


 ようやく少しだけ落ち着いた僕は、叔父さんの心臓から身体を離す。

 のたうち回ったせいで乱れた髪が視界を遮っているのは分かっていたけれど、整える前にこれだけは言いたい。



「……これで、僕も当事者……だよね?」



 もう、「あなたは知らなくて良い」と切って捨てられることはない。

 この台詞は、僕のことを気遣っているように見えてそのじつ内心は突き放されているようで本当はイヤだった。

 叔父さんにとっては僕は庇護すべき子供かもしれない。

 でも僕だって、毎日確実に成長している。

 いつまでも、庇護対象でいたいなんて思わない。

 それに、好きな相手の役に立ちたいと願うのは当然のことだ。

 これでようやく、対等になれる気がした。


「そうですね……私が、いえ、私たちが……きみを当事者にしてしまいました。本当にごめんなさい」


 また額を地面に擦り付けそうになった叔父さんを慌てて制する。


「い、いいから! そ、そんなことより……」

「はい」


 二人してみっともなく這い蹲ったまま、互いの足が触れ合うような距離で、叔父さんは僕の眼を瞬きひとつせずまっすぐに見つめて言った。


「なにから、聞きたいですか?」


 少しクセのある髪をかき上げ、露わになった形の良い耳を僕の方へ軽く傾ける。


「私に聞きたいこと、たくさんあるでしょう?」



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