特別出張版・禁俗口承案内
ポケットに両手を突っ込んだままヒラリと身軽に荷台から飛び降りる叔父さんは、やっぱり助手席に乗るときに僕の手なんて借りなくてもいいのだろう。
いつもの左右非対称でにこやかな笑みはどこへやら、珍しくポーカーフェイスで僕と対峙する。
「……ソラユフタ」
「えっ?」
「他人の家の福の神を呼び込む際、自分の家の茶釜の蓋を地中深く埋めておく技法のことです。古来より、人間は他人が自分より裕福になることを嫌う生き物ですから。あえてお金持ちの家の近くに住んで、ソラユフタを実行した者も多かったそうです。その際、福の神への供物として、ある特徴を持った人間が毎年惨たらしく犠牲になったとか。福の神は、一年ごとの契約更新制ですから」
車を支えになんとか立っているだけの僕にはお構いなしに、叔父さんは続ける。
「
オカルトライターらしい話題を、その後もふたつみっつ一方的に喋り倒した叔父さんは満足したのか、ポケットから手を出して芝居がかった調子で両手を広げた。
左腕の袖は、もう縛られていない。
「……これ、連載していた雑誌でいつか書こうと思ってあたためていたネタなんですよ。禁俗口承案内、知ってます? 書籍も三巻まで刊行されたんですけど、あのまま打ち切りですね。もう、クビになっちゃったので……ここで、えっちゃんだけに教えてあげます」
「そ、そう……」
こんな状況じゃなかったら詳しく聞きたいような気もしたけれど、左手以外の激痛でそれどころじゃない。
「毎日毎日、このような愚にもつかない消えゆく口承を、砂漠に落とした針を探すような心地で探していました。それでも、最後の祝詞はなかなか読み解けなかった。お兄さんは、なにか手がかりを掴んだようでしたが……決して私には、教えてくれませんでした」
「………」
「ですが、とうとう見つけたのです。だから、えっちゃんは何の心配もしなくていいんですよ」
「そ、それなんだけど……!」
息も絶え絶えに僕は話の腰を折る。
いつもなら、僕がこんなに苦しんでいたら駆け寄ってきてくれるはずの叔父さんは、僕から一定の距離を保った状態を崩さない。
「……こたえ、あわせをしようよ」
「こたえ?」
「うん。……わいらいはいらいけふうしかわず、の意味は……、前に
「もちろんです。あの邪悪な意味を、えっちゃんには悟られたくありませんでした。やっぱり、疑問に思いました? あんな、意味を持たない部分が後世に伝わるなんておかしいですよね。もっと練ることが出来ればよかったのですが……私の足りない頭ではあれが精一杯で……」
「いや、べつになんにも疑わなかったけどさ……。僕、さっき父さんに本当の意味を聞いてきたから、それと、叔父さんの気が付いたことが合っているのか、たしかめ……」
「お兄さん、えっちゃんには、教えたんですね」
僕は自分がどうしようもなく失言してしまったことを、叔父さんの反応を見て思い知る。
「ぼくがどんなに頼んでも、決して教えてくれなかったのに……。やっぱりぼくは徹頭徹尾信頼なんてされていなくて、お兄さんはぼくとは違うマトモな人間だから、ただの海より深い同情でやさしかっただけなんですね。えっちゃんは……自分の息子は、そんなに軽々と信じて秘密を託すのに。ああ、でも腹違いの兄弟と自分の息子とでは、雲泥の差ですよね。比べようとするのも、実に
早口でまくし立てる叔父さんの背中で、次第に太陽が山間に沈んでいく。
橙色を背負った叔父さんは、まるで血塗れで途方に暮れているようだった。
「……いや、あの、父さんが僕に教えてくれたのは、叔父さんを助けたいからで……。普通だったら、僕にだって絶対に言わなかったと思うよ?」
「ケラナアオナ」
また聞き慣れないキーワードを紡ぐ。
「ワイラハイラに、音がとてもよく似ているでしょう? 日胤村以外にも、必ずこのような因果に手を染めた村があると思って、私は長年探し求めました。僅かながら残された手がかりをかき集めると、ヌストゴシ、サリタオリタ、ビョウヒハレ……などという名前で似て非なる因習は各地に散らばっていて、そのどれもが現代では完全に風化していました。彼ら彼女たちは、人間の都合なんて全く考慮する気がない邪眼の魔の手から逃れ、いたって普通に生活していました。現代までノロイに縛られているのは、私たちの村ぐらいでしたよ」
「そうなんだ……。でも、なんで……」
「日胤村はとても臆病だったので、ワイラハイラの器を即抹殺してしまいました。他の村は、まさか化け物が人間の体に入り込むなんて奇術を信じなかったので、受肉した後もコミュニティの一員として迎え入れ、そしてことごとく自殺に追い込んでいたのです」
「じ、自殺……?」
「信じないと口では言いつつも、化け物と同化しているかもしれない存在なんて、気味が悪くて仕方ないでしょう? だから、コミュニティ全体で当事者を追い込んで……と、いった
「……そうか。みな、いったか」
痛みに耐えながらも叔父さんの話を聞き漏らさないよう耳を傾けて、それでいてどうにか会話を試みようと荒い息を繰り返していたら、また自分の意志とは関係なく声が漏れた。
「残念ながら、そのようですね。もう、疲れましたよね。終わりにしましょうか」
「………」
おい、いま大事なところなんだから頼むから静かにしてくれ、という気持ちで自分の喉を強く掴む。
爪がやわらかい皮膚に食い込むほど力を込めたけれど、そんな抵抗むなしく身体は叔父さんに背を向けて地面を蹴っていた。
「あーぁ、逃げるんですね」
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