うそつきはなおらない





「『本』を使えば、単純なことです」


 叔父さんは新しく取り出した本を開く。

 中身は、何度も見た本と同じく中心がくり抜かれた紙の束。

 ただ、真円の奥は全てを飲み込むような暗闇だった。


「この中に入れるものは、生体反応があってもいいんですよ。突き落としてしまえば、簡単に凄惨な現場の完成です」

「………」

「私はあの日、出張に行っているはずでしたよね。でも、どこに行っていたか……えっちゃんに、思い出せますか?」

「………」

 

 思い、出せない。

「……えっ?」の言葉も言えず、ただうなじの毛が強ばる。

 唐突に全身から汗が噴き出して、絶え間ない頭痛に襲われた。

 どこを見たらいいのか、どこに行けばいいのか皆目検討もつかない。

 頭が割れそうなほどの痛みに苛まれる脳内では、雑音に紛れて妙な景色がたくさん見えた。

 何度も何度も、意識が世界に産まれたと思った瞬間に頭を潰されたり、喉を切られたり、心臓を一突きにされたり、全身の骨という骨を曲げられたり、埋められたり、焼かれたり、流されたり……そして、顔をグシャグシャにして泣きながら僕の首を締め上げる、叔父さんによく似た顔の子供も見えた。

 これは、誰の記憶……?

 ……いや、何、の記憶なんだ?

 まさか、これが……。


「へぇ、そうなんだ」


 聞き慣れた声が耳に届く。


「うそつきは、なおらないんだね」

「………」


 自覚なく、勝手に口が動いた。

 慌てて手で口を押さえようとしたけれど、全く身体が動かない。

 僕の身体は、直立不動のまま叔父さんを冷静に見つめている。


「……えっちゃんの口調を、真似るのはやめてくれませんか」


 今度は、叔父さんが僕から一歩下がった。


「真似たつもりはない。四六時中一緒にいるのだから、似てしまうのは仕方ない」


 気持ち悪い。

 自分の声なのに、自分の意志じゃないなんて。


「執着の原因は、そんな理由か。歴代で一番、下らない」


 くだらない、という単語を聞いて、叔父さんの顔色がサッと変わった。

 手にしていた本は裏返しに地面に落ちる。


「はじめて、殺されなかった。だから、ココでずっと、見ていた」

「………」

「年月を重ねるごとに、人間はどんどん下らなくなる。最初に邪眼の主と契約した頃は、もっと魅力的に思えたが」

「……そうですか。それなら、もう、アナタこそ執着を手放してはいかがですか。邪悪な目的はもう、果たしたでしょう?」

「肉体との共生は、長年の悲願。はじめたものは、終わらせなければならない。正しい、手順で」


 手順?

 なんのことを言って……いや、話しているんだろう?


「呪われているのは、お互いさまだ」


 自分の顔の表情が、勝手に変わっていく。

 両方の口角は限界まで持ち上がり、歯がむき出しになっているのが分かる。


「わいらいはいらいけふうしかわず、しゅじょうさいどのかたはいのう……と、願っただろう? 念じただろう? 乞うただろう? ゆえに、来たまで」


 だんだん眼の焦点が合わなくなってきた。

 叔父さんが目の前にいるのに、どこか遠くにいるような気がしてならない。

 それとも、僕が遠ざかっているのだろうか。


「嘘は、嫌いと言ったはず」

「嘘じゃありません。私は……」

「もう、リンタのことは信じない」


 しんじない、と発声した途端、それまでずっと詰めていた息が解放される。


「……ゲホッ!! はぁ、はぁ……」

「………」


 いつもならすぐ「大丈夫ですか」と気遣ってくれるはずの叔父さんの声はなかった。

 喉を押さえて見上げると、叔父さんは虚空を見つめたまま何事か呟いている。


「お、おじ、さ……」

「そうですね、えっちゃんは……えっちゃんであると同時にワイラハイラなのですから……ええ、そうですね、それなら、もうとっくに……」

「叔父さん!」

「……父親を襲った犯人にも、優しくあろうとするなんて、やっぱり、共生は、人を狂わせるんですね……」

「ねぇ! ちょっと!」

「えっちゃんと過ごすときだけ、私は人間になれたような気がしていたのですが、それも……私の、愚かな、勘違いでしたね……」


 僕は叔父さんの両肩を掴んで、強く揺さぶった。

 身体を揺らされて、ようやく叔父さんは僕と眼を合わせる。

 僕の瞳越しに自分自身と見つめ合った叔父さんは、そこでやっとどれだけ酷い顔をしているか自覚したらしく、体勢を立て直すように軽く頭を振った。


「……すいません、ごめんなさい、申し訳ないです、私は、私は……」

「謝らなくてもいいから、父さんのことは驚いたけど、でも……なにか方法が……」


 あるはず、と言い終わらないうちに叔父さんは僕の手を跳ね除ける。


「……ッ!?」

「えっちゃんを、こんなに狂わせてしまって、ごめんなさい」

「そ、んなこと……」

「父親を襲った相手に、唯一の肉親を奪った相手に、どうしてそんなに優しくできるんですか? 感情が正常に発達しているとは思えません。ずっと疑問でした。父も母も不在の家で、どうして毎回、あんなに明るく私を迎え入れることができるんですか? どうしてそんなに聞き分けの良い、手の掛からない、素直な子供でいられるんですか?」

「だ、だって、それは……、叔父さんだから……」

「私は自分一人のことでさえ、抱えきれず周りを巻き込んでどうしようもなくなっているのに? 私とえっちゃんと、どちらが普通の人間から遠いと思いますか?」


 掠れた声で、叔父さんは続けた。


「……信じてもらえないかもしれませんが……えっちゃんに罪滅ぼしをしたいのは、本当なんです。きみの父親を奪うつもりなんてなかった……。なぜ、あの時お兄さんは……ぼくを死なせてくれなかったのか……。きみの、きみのしあわせを、私は……。どうして、こんなことになってしまったのか……」


 叔父さんは一度遠ざけた僕に向けて右手を伸ばすけれど、自分にはその資格はないとでも言うようにすぐに手を引っ込める。


「もう、私は後戻りできません」


 落とした本を震える指先で拾い上げて、叔父さんはいつものように鞄に仕舞う。


「今日はこれ以上、感情を揺さぶられたくないので……ここで解散にしましょう。えっちゃんは、車に乗って先に帰ってください」

「じゃあ、叔父さんはどうやって帰るの?」


 ここは叔父さんの家から高速道路を使ってようやく到着する場所だ。

 時刻も日が暮れかけているし、この辺りにすぐに利用できる公共交通機関があるとは思えない。


「何時間かかっても、歩いて帰りますよ。慣れてますから、大丈夫です」

「そんな……」

「えっちゃんも、私みたいな得体の知れない存在を助手席に乗せるのはおそろしいでしょう? あぁ、本当に気にしないでください。大通りに出たら、タクシーでも拾いますから。じゃあ、おつかれさまでした」


 言うが早いが、叔父さんは僕に背を向けて歩き出した。


「一応、言っておきますが……追ってこないで下さいね。私が平静を保てなくなれば、異界の扉は遠ざかってしまいます。そうすれば、また、一からやり直しですから。同じことを、また繰り返せるほど……私は気が長くありません。を、とってしまうかもしれません」


 ゆっくりと僕を追い越しながら、叔父さんは喋り続ける。


「でもその前に私を殺したいなら……いつでも、排除してもらって構いませんよ。えっちゃんには、その権利があります」


 脳を揺さぶるような不気味な頭痛は、いつの間にか消えていた。

 妙にスッキリとした頭で叔父さんの言い分を纏めてみようと試みるけれど、どうにもとっちらかってしまってなにも組み立てられない。


「私の悪手の一番の犠牲は、えっちゃんですから」


 中古の軽トラックの前に取り残された僕は、去っていく叔父さんの背中が小さくなるまでただ呆然と見つめることしかできなかった。

 最後に聞いた台詞を、僕は噛みしめる。


 悪手?

 犠牲?


 ……なに、それ。

 叔父さん……僕のこと、今までそんなふうに見ていたの?

 罪悪感で、僕に優しかったの?

 使命感で、僕に構ってくれていたの?

 家族として過ごした今日までの日々は、叔父さんにとって重荷でしかなかったの?


 それなら、それなら僕は……。




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