共生と共有
「……はぁ」
カーナビも付いていない軽トラックで見知らぬ町をたっぷり迷った結果、夜の高速道路という恐怖を乗り越えてなんとか
休憩を挟みつつ運転したものの、疲労感は拭えない。
見慣れた道に戻ってきた安堵感で、思わずため息が漏れた。
だけど、しばらく何も考えたくなかった僕にとって、運転に没頭できるのは良かった。
考えても、考えても答えは出ない。
叔父さんと僕の思考回路が決定的になにか違うということは分かる。
なのに、具体的にどう違うのか、そして、どうすれば解決するのかが分からない。
いつも穏やかで優しい叔父さんが、どうにも今日は虚ろで、独り言ばかりを重ねていた。
そんな姿は……今まで、見たことがない。
一人暗闇に消えた叔父さんがやっぱり心配になって、あれから何度かスマホに連絡を入れたのに、既読にすらならなかった。
父さんを襲った犯人が叔父さんだと告白されたときは驚愕に支配されてしまったけれど、よくよく考えると半信半疑になる。
だいたい、あの『本』で、父さんの状況を再現できるのかな?
あの穴に、両足を飲み込まれたら、そのまま身体ごと消えてしまいそうな気がする。
加えて、叔父さんの自白は僕の中のワイラハイラによって嘘だと断言されている。
きっと、僕に嫌われるための、嘘だよ……と、いう気持ちと。
僕の未だ知らない叔父さんならやりかねない……と、いう気持ちで揺れ動いている自覚はある。
本当の共有とは、善いことばかりではなく悪いことも分け合うこと……と、いう赤間さんの言葉が蘇る。
叔父さんはずっと、僕に善いことばかり選び取って見せてくれていたらしい。
僕はそれを、叔父さんの全てだと思っていた。
あんなに複雑な出生だとは考えもしなかったし、どんな暮らしを歩んでいるのかも知らなかった。
本当にもう、どうして今まで気が付かなかったのか……不思議でならない。
それが、僕の中のナニカのせいだと言われればそれまでだけど……それなら、どうして今、気が付いてしまっているのだろう。
どうせなら、ずっと気が付かないままなら、こんなに苦しい気持ちにはならなかったのに。
……いや、違うな。
それじゃ、言い訳だ。
あまりにも欺瞞が過ぎる。
気が付かない僕は楽だけど、そのぶん叔父さんはずっと苦しいまま。
誰かに苦しみを背負わせておいて、自分だけのうのうと気楽に生きるなんて嫌だ。
それが、他人じゃなくて家族なら……尚更。
叔父さんは再三、僕が叔父さんの肩を持つのがまるでおかしいことのように言うけれど、そんなの、好きな人の味方をするのは当然じゃないか。
でも、家族だから……好きだから……なんて、そんな理由は叔父さんには通用しないらしい。
叔父さんは、自分なんて誰からも好かれるわけがないし、誰かの家族と名乗ることさえ烏滸がましいと信じて疑わない。
そう思うに足るだけの人生を歩んできたのだから、それを覆すのは難しいと思う。
人は、自分の経験・体験からしか学ぶことが出来ない。
いくら物語や伝聞で他人の人生の追体験をしても、生身の実感にはほど遠い。
他の動物は、互いの感覚を共有して経験則を積み上げることができるというのに、人間はあまりにも欠陥だらけの進化を遂げてしまった。
なのになぜ、我々から身体を奪ったのか。
人間は不完全で不鮮明で不合理な生き物でありながら、易々と神の領域に足を踏み入れ、踏み荒らして去っていく。そして究極の被害者面を引っ提げて、百回狂って死んでいく。我々が手に負えないものだと知りながら、手を伸ばす。十全を期して臨めないのならば、
「……ッ!?」
ぼんやりと考えていたつもりが、どんどん思いも寄らない方向へ思考が飛んでしまったことに驚いて思わず急ブレーキを踏んだ。
幸い、僕以外誰も走っていない道だったので、タイヤを少しだけすり減らす程度で済んだ。
ノロノロと、路肩に寄せる。
「な、なんだ、今の……?」
もう不思議な経験はお腹いっぱいだというのに、まだ終わらないらしい。
サイドミラーには、不安そうな僕の顔が映っている。
「………」
身体を乗っ取られるのは、もう二回済ませている。
僕は鏡の中の自分としっかり眼を合わせて、相手の出方を待つ。
「わいら、はいら……?」
禁忌とされる呼び名を唱えてみても、下がり眉の僕がそこにいるだけだった。
……これ、知ってる人には見られたくない光景だな。
なんて、冷静さを取り戻した僕は再び車を発進させる。
自分の中の、誰か……なんて、子供の頃に読んだマンガの中だけの話だと思っていたのに、今や当事者だ。
元々、僕は嫌なことがあってもあまり気にしない性格だった。
他人と自分を比べないから、嫉妬することもされることも少ない。
自分の力ではどうしようもないことについて、現状以上を望まないから、いつだって満たされている。
それを、身体の中の化け物のせいだと言われてもなぁ……。
これは単純に僕の性格なのだと、どうしたらわかってもらえるだろう?
まあ、証明するのは不可能か……。
叔父さんにとって、僕はどうしようもなくワイラハイラらしいから。
どうすればいい?
僕はただ、今まで通りに暮らしたいだけなのに……。
叔父さんがノロイの残滓でも、父さんが僕を望んだ理由が愛情じゃなかったとしても、そんなこと関係ない。身体を得て、生きているだけで、なぜ満足できないのか。人間以外の生き物は、生き甲斐などという考えすら持たないのに。本能以外の邪念を手にしたせいで、不安に苛まれて信仰が、因習が、妄執が……。
「あーー! もーーーっ!!」
また自分じゃない誰かに邪魔された。
頭の中にまで口を出されては堪らない。
今まで黙っていたくせに、なぜなのか。
もしかして……僕の中から、食い尽くそうとしている……?
いや、確か共生、共に生きることが目的だったはずだから、そんな真似はしないはず……。
でも、その共生って単語さえ、叔父さんからの受け売りなんだよな……。
叔父さんの特技は、真実を覆い隠して面白おかしく伝えることだし……。
「………」
もう、とても運転なんて出来る状態じゃない。
目に付いたファミレスに車を入れた。
深夜まで営業している、お馴染みの場所だ。
いつもの動作で車庫入れをしたら、少しだけ落ち着いた。
「おぅ、
運転席の窓を叩いて声を掛けてきたのは、僕の友人で
「比奈夫……」
思えば、比奈夫の提案でイナエタと
「なーんか、久しぶりだな〜」
「そうだね。でも、ぜんぜん連絡返してこなかったのはそっちだろ」
「悪ぃ悪ぃ。ゼミの合宿が重なってて、電波が届かない場所にいたんだって」
「電波が?」
「そう。すげぇ山奥。俗世から離れて、神格を学ぶんだってさ」
比奈夫の大学は神仏系だから、そんな授業もあるのだろう。
「ふーん……それで、ちゃんと学べたの?」
「木々の囀りは、抗い難く眠くなるということが分かった」
しみじみとサボりの結果を話す比奈夫の相変わらずさにちょっと苦笑して、僕は車を降りた。
「おっ、時間あるならダベろうぜ。どうせ俺はこのままオールだし」
「徹夜? なんで?」
「家の鍵をなくしたんだ。だから、親が起きてくるまで帰れない」
「なに子供みたいなことを……」
「落とし物に年齢制限なんてないだろ? それとも、ビジネスホテル代でも出してくれるのかよ」
「財布もないの?」
「あそこのファミレスでドリンクバーを支払うぐらいなら、ある」
自信満々に胸を張る比奈夫といると、さっきまでの非日常が嘘のようだ。
僕が比奈夫にお供することを告げると、比奈夫は嬉しそうにファミレスへと歩き出した。そして「そうだ、越生」と言いながら振り返る。
「俺、イナエタと生人剥について、完璧に分かっちゃったぜ」
「あ、あぁ、それなら……」
イナエタは
どう伝えるか言葉を選んで迷っていたら、比奈夫に先を越された。
「お前の叔父さん、もうじき、なくなるんだな」
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