とびきり上手なきらわれ方
「………」
極めて静かに
以前は、叔父さんが悲しいと僕もなんだか悲しくて……叔父さんが嬉しいと僕もなんだか嬉しかったのに。
どうしてだろう。
叔父さんの、知られざる一面をたくさん知ってしまったからだろうか。
僕に見せている顔だけが叔父さんではないと、僕と叔父さんは別の生き物だと、そんな当たり前のことにようやく気がついたからだろうか。
自問自答するばかりで、答えは出ない。
少し前の僕なら、辛そうに足元へ視線を落とす叔父さんに追い打ちなんてかけなかっただろう。
……でも、今は違う。
「お、叔父さんの役目って……なに?」
「まだ、聞きたいですか?」
これまでにないほど、ひどく自嘲した調子で叔父さんはため息を噛み殺す。
「存外と意地悪ですね。えっちゃんが、憐れな人間にそんなに興味があるなんて知りませんでしたよ」
「憐れんで、なにが悪いのさ。僕が叔父さんのことをどう思うかなんて、僕の勝手だ。僕はただ……叔父さんの、力になりたいだけなんだ」
「それなら、ただ黙ってボンヤリしていて欲しいんですけど」
「それなら、どうして僕に『わらみみ』なんて見せたの? 叔父さんだって、僕に気づいて欲しかったんじゃないの?」
ワザと口調を真似て問いつめてみたら、叔父さんはちょっとだけ息を呑んで怯んだ。
「僕がどうするかは、僕が決めるよ。ノロイとか風習とか、そんなの関係ない。あったとしても、それに縛られるなんて嫌なんだ」
「………」
「でも、決めるためには知らないといけないことがある。たとえそれが、苦しいことだとしても……たとえそれが、大事な人を苦しめることだとしても」
「………」
「今までは……言わなくても、僕たちは全部分かってると思ってたよ。無口な父さんと、ちょっと変わった叔父さんと、僕で構成される家族はうまくいっていると思っていた。でも、違った。僕はぜんぜん、誰のこともなんにも分かっていなかった。わかってなかったんだ……」
「………」
「そりゃ、僕の家は
「………」
「父さんから褒めてもらったことも、頭を撫でてもらったこともない。その役割は、いつも叔父さんが担ってくれたよね。でも、そのかわり父さんはちゃんと毎日僕のところに帰ってきてくれて、いつも見守ってくれていた。それぐらい、気がついていたよ」
「………」
「無言の食卓だって、僕にとってはそれが当たり前だから、居心地が良かった。ぜんぜん、さみしくなんてなかったよ。だって、そこに居てくれるだけでよかったから。誰も信じてくれないけど……それでもいいんだ。父子家庭でかわいそうって星の数ほど言われたけど、そうかなぁ?って思うだけだった。僕にいつも構ってくれる、やさしい叔父さんと遊ぶのが好きだった。時々よくわからないこと楽しそうに話す姿だって、愛おしい日々だったよ。それが、僕が知る限りの……いや、求める限りの『家族』だったから」
「………」
「僕が知らないところで、叔父さんはもちろん、きっと父さんも苦しんでいたんだよね。僕は、自分の名字がそんな過酷な系譜を辿っているなんて知らなかった。いや、知らせないようにしてくれたんだよね」
「………」
「たぶんだけど、叔父さんも父さんも、自分たちでかなしい連鎖を止めようとしてくれたんじゃないかな? 僕がこの歳まで幸せに生きてこられたのは、叔父さんたちのおかげだと思うんだ」
「………」
「今度は……僕が、叔父さんの幸せに手を貸したい。だから、もう、全部知りたいんだ。……教えて、ほしい」
「……わかりました」
上手く喋れたかどうか分からないけれど、相槌も打たずにただ俯いて聞いていた叔父さんは観念したのか、長い沈黙を破った。
「神社までついてきてもらったのは、不安だったからです。順調に供物は集まっているのに、全く音沙汰のない進捗に焦って、えっちゃんの中にいるはずのワイラハイラに提示したかったのです。てっきり、いつもと同じようにえっちゃん自身は興味など持たないと思っていましたが……誤算でしたよ」
「あの時は、本当に驚いたんだけど……」
そうでしょうね、と叔父さんはちょっとだけ左右非対称に笑った。
「私の役目は、産まれてきた意味は……」
一人称も元に戻ったらしい。
「ワイラハイラのため、です」
「ため……?」
「はい」
叔父さんは肩から掛けていた鞄から、さっき消えたはずの本を取りだした。
「えっ!? な、なんでまた……」
「さっき消えた本とは、別のものですよ。すごい手品ですよね」
「叔父さん?」
「嘘です。手品なんかじゃありません。供物を喰らった本は、えっちゃんの家の二階に積み上がります。あれだけ積み上げても、まだ足りないようなんですよ。これは、ワイラハイラが満足するまで否穢多の元に出現しつづけるのです。これが出てくる限り、また、捧げなければなりません。……裏を返せば、出現しなくなった時が、仕上げの時ということです」
ここで一拍置いて、叔父さんは再び続ける。
「私が産まれたとき、もう本は出現しなくなっていました。最後の仕上げの、『要らない人間』候補として、私は……すぐに死ぬはずでした。でも、双子で産まれてしまったので、どちらを捧げるかという
過去の記憶を思い出すように目をつぶるけれど、その眉間には深い皺が刻まれていた。
「……お兄さんは、無口でしたよね」
「え? あぁ、父さんのことだね。うん、心配になるほど無口だった」
いきなり話題が変わったのかと思って、少し反応が遅れる。
「たまに、いるんです。私みたいに、狂った家系に相応しく狂った人間と……狂った家系なのに、マトモな神経を持って産まれてしまう人間が。お兄さんは、間違いなく後者でした。そして、それゆえに私たちを護るためにえっちゃんを授かったことが、とんでもなく命を弄んだことのように思えて、自責の念に苛まれていました。本当はえっちゃんのことを、息子のことを抱きしめたいのに、自分にはその資格がない、と……」
「………」
知らなかった。
言葉はなくとも、父さんの視線はいつも優しかったから、愛情を疑ったことなんてなかったけれど……実際に言葉にされるとちょっと恥ずかしい。
そして、ちょっと嬉しい。
そして、その全てがかなしい。
「……ごめんなさい、えっちゃん」
「な、なんで謝るのさ……」
突然、深々と頭を下げる叔父さんに戸惑う。
「加々美さんから、最後の仕上げの条件を聞きましたか?」
「……ええと、誰からも愛されない人間の死体、だっけ?」
「そうです。死体、が必要なんです」
嫌な予感が、する。
足裏の土踏まずに、冷たい氷柱を押し当てられたような不快な焦燥感だ。
「えっちゃんの中には、間違いなくワイラハイラがいましたね」
「う、うん……」
「きみは一度、死んでいるんです」
先ほどまで取り乱していたのが嘘のように、叔父さんは淡々と事実を僕に告げる。
「そして、きみを殺したのは、私です」
「………」
「うまれたばかりの赤ん坊の首を絞めて殺せ、と……誰かと関わって、誰かに必要とされる前に、無垢なまま父にも母にも求められない赤ん坊を殺せ、と父親に言われました。父親も、自分の孫をその手にかけるのは嫌だったんでしょうね、さんざん好き勝手やってきたくせに、よくわからない情緒ですけど」
軽トラックのドアに背中を預けていた叔父さんは、背筋を使ってドアから離れ、僕の方へ一歩踏み出した。
「確かに私は、きみを殺しました」
サクサクと砂利を踏んで、僕へと近づく。
「……なのに、きみはすぐに起きあがって……笑ったんです。赤ん坊らしからぬ、醜悪な笑みを目の当たりにした瞬間、私は自分の選択がはじめから全て間違っていたことを知りました」
僕より頭一つぶん背の高い叔父さんの吐息を感じるほど距離を詰められても、僕は動けなかった。
「だからもう一度、やり直すんです」
「やり直す……?」
「ワイラハイラは、私と共生するべきだった」
叔父さんの指のない左手が、僕の首筋をなぞる。
「あぁ、もう、この手では殺せませんね」
「じょ、冗談……言わないで、よ」
「あはは、えっちゃんが、本当のことを知りたいと言ったんですよ?」
「それは撤回するつもりはない、けど……」
次々と印象の変わる叔父さんの姿に目眩を覚えた僕は、思わず後ずさる。
ジワジワと後退する僕を、叔父さんは追わなかった。
「……でも、それは絶対に無理だよ」
「なぜですか?」
「だって、叔父さんのことは僕が絶対に必要としてるもん、それに、赤間さんだって……」
「確かに、双子の姉は私をそうそう嫌いにはならないでしょうね。でも、私が嘘をついていたと知ったら、きっと私のことを嫌います」
「嘘?」
「加々美さんは、出産することで拝み屋の力を捨てようと願っています。そして、その時産まれた子供を次のワイラハイラにするという約束でした。でも、私にそんなつもりはありません。私が死ねば良いだけの話です。……私が、無責任に子供を成すような人間だと知れば、さすがの加々美さんも私を見限るでしょう。もともと私に友人はいませんし、仕事関係でもずいぶん不義理をしました」
「……で、でも、でも僕はッ!!」
赤間さんの話から薄々想像していたものの、実際に聞くとなかなか衝撃が強い。
だけど、一旦それは不問にして叫ぶ。
「そうです、えっちゃんに嫌われるのは、一番難しいなぁというのは……もうずっと前から分かっていましたよ。どういうわけか、有り難いことに、えっちゃんは私にとても懐いてくれましたし。ですが、私しか親戚のいない状態では、無理もないことかも知れませんね……」
「いや、そんな消去法みたいな感情じゃなくて、僕は本当に叔父さんのこと……」
距離をとりながら言うには、全く説得力のない台詞だけれど……。
「だから、とびっきりの嫌われ方を考えました」
「えっ?」
「お兄さん……いえ、」
長年見慣れた叔父さんの左右対称の笑みに恐怖を抱いたのは、この時がはじめてだった。
「えっちゃんのお父さんを襲ったのは、私です」
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