存在の証明





 黙ったまま先を歩く叔父さんを追いかけていたら、いつの間にか駐車場に戻っていた。

 僕が先に乗らないと、叔父さんを引っ張り上げることができない。

 助手席の前で立ち止まって、叔父さんは視線で僕を促す。


「……あのさ、叔父さん。僕……」


 でも、僕はそれを無視した。

 叔父さんの背中を見つめながら、ずっと考えていたことを切り出す。


「最近、なんだか運転のコツが掴めてきた気がするんだよね」

「そうですか、それは良かったですね」

「うん。これまでは、なんだか車と自分の身体がチグハグな気がしていたんだけど……これってもしかして、僕の中の、その、ワイラハイラ?が……村から出て行くのを拒んでいたから、ってことかな?」

「そうかもしれませんね。高校卒業と同時に、村を離れる同級生が大半であるにも関わらず、えっちゃんは全くそんな素振りを見せませんでしたから」

「そりゃ、僕は日胤村ひたねむらが嫌いじゃないからね。出て行くことなんて、考えていなかった」


 これは本心だ。

 僕はこれまでの自分の人生に、在り方に、疑問を持ったことなんてない。


「でも、安心して下さい。もうすぐ、そのワイラハイラによる偏った思考から解放してあげますから。そうしたら、えっちゃんは自由ですよ。運転が上手くなったのも、私の考えが上手くいって、支配が緩くなっているせいかも……」


 叔父さんの言うことは、突拍子がなくてよく分からない部分も多い。

 赤間さんの言うことも、現実味がなくてドラマや映画の筋書きみたいだ。

 比奈夫とは連絡が取れないし、真子の邪眼なんて信じれない。

 僕にとって、真子はいたって普通の女の子だから。

 普通に回っていたはずの僕の日常は、叔父さんを起点に少しずつ変わってしまった。

 だけど。

 実際に、叔父さんに酷い態度をとっていた大人たちを見た。

 不気味な供物や、不気味な声を聞いた。

 自分の姿で話す、自分じゃない存在を見た。

 僕が見ていた叔父さんの姿は、ほんの一面にしか過ぎないと知った。

 僕に嘘ばかりつく、僕の大切な叔父さん。

 僕のことを、まだまだ自我のない子供だと思っている叔父さん。

 この思考回路が、僕一人のものであるという自信はないけれど……それでも、言わないといけない。

 僕が叔父さんの一面しか見ていないのだとしても……。

 叔父さんだって、僕の一面しか見てないはずだから。


「違う」

「えっ?」


 オカルト関連の話題に関しては、立て板に水を流すように話す叔父さんの勢いが止まる。

 僕はもう一度、否定の言葉を重ねた。


「違うよ、叔父さん」

「違い……、ますか?」

「運転が上手くなったのは、僕が練習したからだ。ワイラハイラなんて……関係ない」

「それは……そうかも、しれませんが……」

「僕は叔父さんのこと、全部信じるよ。叔父さんが、僕に嘘をついていたのだって、なにか理由があるからだよね?」

「嘘……ですか?」

「本当は、全部知ってたのに……自分の指を探すフリをしたり、生人剥と当人剥の違いだって、知らないフリをしていたじゃないか」


 赤間さんに焚きつけられたからじゃないけれど、これは、いつか僕自身から叔父さんに聞かないといけないと思っていたことだ。


「……そうですね、嘘をついていたのは、私でした。でも、それはえっちゃんを今以上に巻き込みたく、なかったから、で……、騙そうだなんて、そんなつもりは……汚れ役は、一人で十分なので、それで、その……」


 いつもの物わかりの良い甥っ子の面を剥いでみせたら、叔父さんは途端にオロオロとしてしまう。


「ううん、大丈夫。それは分かってる。全部、僕のために動いてくれたってことは」

「え、えぇ。そうです、その通り、で……」

「じゃあ、僕だって叔父さんのために動いてもいいよね」

「私のため?」


 会話の流れが全く読めないらしく、叔父さんはキョトンとした顔で小首を傾げている。


「……僕は、叔父さんに、こんなことやめてほしいと思う」

「こんなこと……、とは?」

「僕からワイラハイラを引き剥がすために……なんて理由で、誰かを巻き込み続けることだよ」


 一言では伝えきれなかった内容を、さらに上塗りする。

 たとえ必要であっても、好きな人を否定するような言葉を使うのは胸が痛む。


「そんな……。だって、あと少しなんですよ? それに、巻き込んでなんていません。私がなにもしなくても、きっと彼ら、彼女たちは近いうちに破滅したでしょう。どうせ棄てるものならば、有効活用しようというのはワイラハイラの最初の思想とも合致していますし、私のやり方は、間違っては……」

「うん。きっと間違ってないよ。間違ってないから……間違ってるんだ」


 いつも手のひらの上で転がしていた僕が思い通りに踊らないことにようやく気がついたらしく、叔父さんは空中にさまよわせていた右手をスッと身体の後ろに回した。


「どういう……こと、ですか?」

「叔父さんの言うとおり、僕の中には違うモノが居るんだと思う。この間、見せてくれたよね。でも、コレは……そんなに悪いものなのかな?」

「……加々美さんから、余計なことを聞きましたね」

「悪いけど、聞いたよ。そりゃ、経緯は驚いたけど……だけど、僕はやっぱり、いま、ちゃんとこうして生きてるじゃないか。父さんと、叔父さんと、一緒に暮らして、友達だっているし、ちゃんと学校も行ってるし、なにも困ってないんだよ。だから……僕には、叔父さんが『僕のため』って言って、みんなから酷い態度をとられたり、辛そうにしている姿なんて見たくないんだ」

「別に、辛いなんて思ったことはないですよ。当たり前のことで、仕方のないことで、それに、私は否穢多ですから」


 叔父さんは左右非対称の眼を見開いて、僕を見ている。

 いつもは笑顔しか知らないから、そのチグハグさに少しだけ怯んでしまう。

 でも、僕は続ける。

 

「……ッ実害なく、19年も生きてきたんだよ。このままその先を生きたって、なにも問題はないんじゃないかな? 父さんが目覚めたら、一緒にリハビリを頑張ろう? これまで通りは、無理かも知れないけどさ……」

「………」

「日胤村は故郷だし、嫌いじゃないけど……叔父さんに否穢多なんておかしな役目を押しつける村は、とてもじゃないけど好きにはなれない。すぐには無理かも知れないけど、いつか一緒に村を出たって良い。海外は行きにくくても、国内なら自由にどこへだって……」


 行けるよ、と言いたかった。

 でもその前に、叔父さんが突きだした左手に遮られてしまう。

 どうやら、後半に僕が言った言葉は全く叔父さんの耳に入っていないようだった。

 大きく俯いて、叔父さんは言う。


「実害が、ない……。そう、ソレが一番いけないのです」

「……どうして?」

「だって……」


 呼吸を静かに長く吐いて、叔父さんは首筋の後ろを右手でやたらとかきむしる。


「えっちゃんのことは、産まれたその日から……ずっと見てきました。きみに入ったワイラハイラが、いつどんな悪さをするか気が気じゃなかったから。そんなこと、どんな文献を漁っても、どんな口承を集めても、なにも分からなかったから。でも、絶対に……なにか、悪影響が出るはずなんです。はやく、また、供物を集めて……もう一度、今度こそ、えっちゃんを解放しないといけないと思いました」


 首筋は、一瞬にして遠目でも分かるほど赤く腫れ上がってしまった。

 突然、叔父さんは両腕をだらんと垂らす。


「でも、一年、二年と過ごすうちに……えっちゃんは、すくすくと育って……私には、普通が何か、なんて分かる道理はありませんが……それでも、きみは、とてもやさしくて、とてもまっすぐで、つよくて、素直で、かわいくて……。こんな私にも、無邪気に笑いかけてくれました。お兄さんは、同情が透けてみえていましたし、加々美さんは私の一部でしたから、私を掛け値なしに人間扱いしてくれたのは、えっちゃんがはじめてでした。だから、だから……」


 苦しそうに、ひとつひとつの言葉を吐き出す姿は正直見ていられない。

 でも、僕は逃げなかった。

 気を抜くと、僕の興味を叔父さんから逸らそうとする心の奥の何者かの誘導を必死で躱す。


「……実害が、ないのなら」


 フッ、と突然叔父さんの雰囲気が変わった。

 ゆっくりと顔を上げたその表情は、どこか虚ろで、左右非対称の眼が僕をとらえて離さない。


「……ワイラハイラの目的が、本当に、ただの共生だったなら。この因習が、もしも単なる人間側の不手際だったなら。なんで、どうして……ぼくたちは生まれて、そして、長年苦しみの中で、まだ、生きているのですか?」

「ぼく?」

「加々美さんにどこまで聞いたか知りませんけど、どうせ明け透けに全部話したのでしょう? そうなんですよ、ぼくは、狂った父親と壊れた母親から産まれた、ただの道具なんです。愛されない前提で、死ぬためだけに産まれてきたのに、死ぬべきときに死ねなかった、人間のなりそこないなんです。倫理観も貞操観念も、人道も常識も全部、ぼくにはわからない……。だから役目を、役目を果たさないと、ぼくは……」


 幼い頃の一人称に戻ってしまった叔父さんは、今にも泣き出しそうな声でか細く叫んだ。


「生きている意味が、ない」





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