稀有主【けうぬし】との別れ




「おにい、さん……どう、して……?」


 ここには来れないはずの人物の登場に、動揺を隠しきれない叔父さんは後ろを振り返りながら何度も瞬きをする。


「この場所は、失ったものも蘇る場所だと教えたのは、倫他りんただ」


 よく見ると、父さんは病院の入院着のままだった。

 ナイフの刀身部分を素手で躊躇なく握っているから、そうこうしている間にも叔父さんと父さんの間には血溜まりが増えていく。


「十九年前も……お前の腕ではなく、刃を持って止めるべきだった」

「やめてください、そんな、こと……。手が、手が切れますから、離して……」

「過去の己の中途半端を、貫くためなら構わない」

「……なんで……おにいさん……ぅ、ぅうう」

「お前が私の言葉を信じないのなら、行動で示すまでだ」

「ご、ごめん、なさい……ごめんなさぃ……」


 父さんの顔を見てから、叔父さんの瞳にはさらに涙が溢れて止まらない。

 二人に近づくため床を這ったら、真子から預かった貝のお守りがポケットから転げ落ちた。

 紐で綺麗に束ねられていた二枚貝が、いまや七転八倒した過酷な保存状況のせいで解けている。

 貝がらの隙間から見えるのは、赤茶けた糸だった。

 糸……?


越生えつお


 半年ぶりに立ったであろう父さんは、僕に向けて言う。


「一番最初の、『稀有主けうぬし』は、誰だ?」


 稀有主……。

 さんざん嘘を教えられて、遠回りした結果たどり着いた言葉。

 叔父さんは、その意味をワイラハイラの器であると推測した。

 父さんから聞いたことも、概ね同じだった。

 ただ、父さんは僕にこう教えていた。

 稀有主は、契約の主。

 交ス、の部分は自分がやるから……と。


「血縁を、交わせ」


 頭の中に、これまで見聞きしてきたことが蘇る。

 みんな本当のことを覆い隠すために、微妙に食い違う情報を吹聴していた。

 そのなかのほとんどは、僕の目隠しを増やすものばかりだった。

 だけどなかには、確かに、隠しきれない真実が含まれていたはずだ。

 稀有主……?

 この因習の、最初の起こりは、穢多えたに対する差別を、邪眼持ちと呼ばれる少数派マイノリティの力を借りて覆そうとしたから……。

 ワイラハイラが求めるのは、身体のパーツ……頭から、つま先まで……。

 ……『耳かぁ。髪でいいのにね』

 起点と終点が……交わる……。


「………」


 僕の足下に、突然一冊の本が崩れ落ちて大口を開ける。

 黒々と渦巻く渦の中心には、底知れぬ闇が広がっていた。


「い、今更……なにを、して……」


 全く引かない父さんに観念したのか、叔父さんの方が根負けしてナイフを離してしまった。

 切り落としたはずの左手のひらは、いつの間にか消えている。

 手首から上をなくして流血し続ける叔父さんの左腕を、父さんは止血のためにきつく縛りあげた。

 出血多量で意識が朦朧としているらしい叔父さんは、されるがままだ。


「……叔父さん」


 ここ最近、趣味の悪い悪夢みたいな光景を、浴びるように目にしてきた。

 それでも、僕の本質はやっぱり19歳の大学生だと思う。

 誰がなんと言おうと、それだけは譲れない。

 自分の意志とは関係なく、誰かの声を代弁してしまうとしても。

 僕のこれまでの19年は、父さんと叔父さんに護られてきたが故の仮初めの平穏だったとしても……。

 僕の中の本当は、真実は……。


「こっちに……僕たちのところに」


 朝起きて、ご飯を食べて、それぞれの日常をこなして、また同じ家に戻ってくる。

 叔父さんと同居していた時間は長くはなかったけれど、僕の中では鮮烈な光を放つ時間だった。

 自分のところに、迷わず帰ってきてくれる存在がいる。

 僕が望むのは……それだけだ。

 それだけのために、そう、たったそれだけのために……ずいぶん遠回りをしてしまった。

 それだけ……なんて表現では烏滸おこがましいほど、この願いは身の程知らずなのかもしれない。

 だけどそれなら……願う価値は、あるはずだ。


「帰って、おいでよ」


 周囲の思惑や生まれながらの運命に散々振り回されて、原型を留めることが困難なほど悪手にまみれて消耗しきった叔父さんは、僕の言葉に小さく頷く。


「かえり……たい、です……」


 弱々しくそう呟いた叔父さんは、父さんに抱き留められるように左右非対称の瞼を閉じた。

 叔父さんの意識が途切れたことを示すかのように、部屋は瞬く間に見慣れた物置部屋へと姿を変える。

 残されたのは、叔父さんが作った偽物の本と……僕の目の前で開け放たれた本物の本。

 僕は預かってたお守りを……おそらく、最初の稀有主の……邪眼の一族の、髪を。

 おそるおそる、先の見えない深淵へと投げ入れる。

 本はまるで生き物のように、髪を飲みこむと同時にバタン!と閉じた。

 そして瞬きの間に……消えて、しまった。


「……はぁああああぁぁ」


 無意識に詰めていたらしい息が漏れる。

 とめどなく襲っていた痛みも、今では全く感じない。


「契約主と、器が同じである必要はない。むしろ、別であることが多い。器がいくらなにをしたところで、契約主が動かないと……なにも、変わらない。もし、ここでお前が死んでも、倫他が死んでも、また同じことが繰り返されるだけだった」


 父さんは、再び足を失った状態でそこにいた。

 意識のない叔父さんを支えるように、頭を抱いている。


「邪眼持ちの一族は、日胤村ひたねむらの長だ。否穢多いなえたの役目を終えるためには邪眼の協力が必要だという不都合な事実を隠すなんて、造作もないことだろう」

「でも、髪でいいなら……きっと分けてくれるよね? もっと早くに、なんとかできたんじゃないの?」


 父さんの入院に関してアレコレと手を尽くしてくれた、いつも自信なさげな村長の顔が思い浮かぶ。


「見て見ぬ振りをしておけば他人に押しつけておくことができる厄介な問題に、わざわざ身の危険を犯してまで首を突っ込む物好きなんていないさ。ただ、今回の村長は自分の娘がお前をいたく気に入っていたせいか、たびたび私と顔を合わせる機会があった。隙を見て、髪でも爪でも拝借しようと思っていたが……」

赤間あかまさん、父さんのところにも来たんだね」

「そうだ、加々美かがみちゃんは、倫他より色々なことを割り切っていて……いや、あれも割り切っているように見せているだけかもしれないが……」

「赤間さんも、赤間さんなりに叔父さんのことが心配だったんだよ」

「そうかもしれないな。私は加々美ちゃんも倫他と同じように小籠こかごに引き取ろうとしたのだが……彼女は『いいです』と断って自分の道をいってしまった。この複雑に絡み合った問題を解くためには、ある程度の自由が必要だと分かっていたのかもしれない。私は、結果的に倫他を……小籠に、閉じこめてしまったのか」

「たとえそうだとしても……それがその時の父さんの最善だったなら、悔いることなんてないよ」

「……なんだ越生、一丁前なことを言うようになって」


 これまでの無口が嘘のように、饒舌に喋る父さんの姿に少し違和感を覚える。

 いつも高い位置から見下ろされていた父さんの顔が、僕の胸辺りにある光景も違和感だらけだ。

 だけど、これはなんとなく覚悟していた。

 父さんが立っている姿を見るのは、さっきまでの特殊な部屋の中だけだと分かっていた。

 とはいえ、……格段に目線の下がった姿をみるのはすこし、かなしい。

 でも生きていてくれることがその何倍もうれしいから、きっとなんとかやっていけると思う。


「……父さんの足、戻らないんだね」

「捧げてしまったからな。そのための当人剥とうにんはぎだ。倫他の左手も、もう戻らない」

「そっか……。でも、本当に、いったいなにがあったの? 叔父さんは、自分が父さんの足を奪ってしまった、って言ってたけど……」

「まあ、当たらずとも遠からずだが……それは事実を最大に悪意的に解釈したらそうなるだけで……」


 話の途中で、階段の下がなにやら騒がしいことに気がついた。


「え? なに?」

「ここに来る手段のせいかもしれない」

「手段? そういえば、父さん、入院中だったのにどうしてここに……?」

「階段は腕で上って、この部屋までは這って来た。病院からここまでは、胤待神社の息子に送ってもらった。そろそろ、親が気がついたのだろう」

比奈夫ひなおが!?」

「本がなくなったことと、私が目覚めたことを聞きつけて神主夫婦は血相変えて飛んできたよ。その時、年頃の息子も一緒に着いてきていたから珍しいなと思ったら……お前となにやら、おかしな企みをしていたらしいな」

「いや、企みだなんてそんな……」

「わかっている。そのおかげで、助かった……」


 父さんは子供のように眠る叔父さんの頬を撫でる。

 実際、父さんと叔父さんは歳の離れた異母兄弟だから、一般的な兄弟よりも思うところがあるのだろう。


「今度は、間違えずにすんだ。越生のおかげだ。……ありがとう」

「……そっか。よかったね。お礼なんていいよ。僕は僕がしたいようにしただけだから。……ところで、父さんって何歳だっけ?」

「なんだ、いきなり。親の年齢も知らないのか。……54歳だ」


 じゃあ、叔父さんと25歳差なのか……。

 そして、僕は35歳の時の子供か。

 子供の頃は親の年齢なんて意識したことはなかったけれど、自分に置き換えてみると身に染みる。

 もしも僕にあと六年後、弟か妹が出来たとしたら、それはそれはかわいがると思う。

 この子の人生に、かぎりない幸福があれと、願うだろう。


「……母親の、ことか?」

「えっ?」

「お前の生まれについても、たぶん聞いただろう。お前が望むなら……私は」

「いや、べつにいいよ?」


 即答した僕を見て、父さんは目を丸くする。


「19年間必要なかった人のことを、今更知りたいなんて思わないって。僕には、父さんと叔父さんがいてくれたら……もう、大丈夫だから」


 ね? と同意を促すように父さんに寄り添うと、父さんは微かに鼻をすすって小さく頷く。


 その仕草は、叔父さんによく似ていた。





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