イナエタの呪詛綴り





「ああ、なんだアンタ、もう来たのか」

「すいません、早かったですかね」

「いいや、親父を呼んでくるから、待っててくれ。……って、今日は越生えつおも一緒か」


 目的地の胤待たねまち神社では、神主の息子である上中比奈夫うえなかひなおが箒を持って境内の掃除をしていた。比奈夫ひなおは僕の友達だ。ずっと同じ学校に通っていたけれど、仲良くなったのは高校で同じクラスになってからだったと思う。

 一見しただけでは神社の息子だとは分からない今風の見た目をしていて、当時から染めた髪をツーブロックにして緩いパーマをかけていた。酒も煙草も一通り嗜み、やらなかった事と言えば賭事ぐらい。でも比奈夫の父親は息子の奔放な生活態度に口を出すことなく、放任主義で済ませているようだった。

 今は神仏系の大学に籍を置いているものの、授業を頻繁にサボっては高校のジャージを着てダラダラと掃除をしている姿を見ると、変わらないなぁと思う。

 家業を継ぐことに関しては、特に不満はないらしい。

 胤待神社は日胤村のなかでは唯一の神社だし、みんな有事の際には胤待を頼る。

 比奈夫自身も、いい加減なところはあるけれど決して人をバカにするようなことはしない。約束は守るし、なかなか友達想いなところもある。


「うん、今は叔父さんの運転手なんだ」

「そういや、最近運転免許を取ったって言ってたな。てか、ようやくかよ。俺は高校卒業してすぐにとったぞ」

「それは比奈夫が、推薦で大学決めてセンター受けなかったからだろ」

「時間は有効活用しないとな」


 僕たちが雑談している間、叔父さんはただニコニコと少し離れた位置で微笑んでいた。友達が近くにいるとどうしても脱線してしまうから、だから僕はいないほうがいいかもって思ったのになぁ。


「……それより、親父さん呼んできてくれない? 叔父さんに用事があるみたいで」

「おっと、そうだった。じゃあ、これ」


 比奈夫は自分が持っていた箒を僕に押しつけると、本殿の方角へ駆けていった。

 仕方なく受け取った箒を見て、叔父さんが「おや」と言う。


「これ、高野箒こうやぼうきですね。珍しい」

「こうやぼうき?」

「ええ。かつて、高野山では真言宗の開祖さまのご意向で、一切の利益に繋がる行為が禁止されていたのです。清貧こそが、悟りに至る唯一の道だとして」

「利益……って、それがなんで箒と関係してるの?」

「竹箒をつくるために竹を植栽することが、それすなわち経済行為だとみなされたのですよ。同じ理由で、柿や桃も植えることを禁じられていたそうです。そこで、竹の代わりに竹に非常によく似た植物を竹箒の代替としたのです」

「ふぅん……。見た目はそんなに変わらないけどね」


 よく観察すると、たしかに竹箒よりも不揃いで細い気がする。でも、掃除するには支障はなさそうだ。


「そこがいいところなんですよ。たとえ己が信じる信仰上禁止されても、似ているけれど違うもので代替する。良い意味で機転が利く、悪い意味でずる賢い……そういう人間らしさを感じられますね」


 ウンウン、と独り言つ叔父さんを呼ぶ声がして、僕たちは神主が待つ本殿へと向かった。


「ねえ、本当に僕が一緒に行ってもいいの? 邪魔にならない?」

「まさか。えっちゃんが居てくれたほうが助かります。なにせ、私はコレですから」


 と、余った袖で作られた左腕の結び目を目の前でヒラヒラと振る。

 常々思っていたことだけれど、村の皆はなんだか叔父さんに冷たい。決して村八分にすることはないけれど……なんだか、下に見ている気がする。

 さっきだってそうだ。

 比奈夫は決してお行儀の良いタイプではないけれど、年上に敬語も使えないような奴ではなかったはず。

 今日はたまたま僕がいたから砕けた口調になってしまったのかも知れないけれど、きっといつもあんな感じなのだろう。

 村の異変は、最終的に胤待たねまちに集まる。

 そこで対応できる人間が対応して、解決の糸口が掴めた状態で村長へと伝えられる。

 村長の耳にはいるときには異変はほぼ解決しているべきである、というのが僕の村の風潮だ。

 村長が強烈なリーダーシップを発揮してまとめあげている村もあるだろうけど、僕らの村はそうじゃない。

 どちらかというと頼りない藤堂村長を、周りがサポートする形で今日までうまくまわっている。

 叔父さんはオカルトライターという仕事柄、いわくありげな物品が現れたときによくお声がかかるようだ。

 叔父さんの左指がないこと。

 叔父さんと父が、不自然に歳の離れた異母兄弟であること。

 本人は卑屈に思えるほど礼儀正しいのに、どこか村の皆が冷たい態度なのは、それらが原因のように思えるけれど……僕にはよくわからない。

 ひとつだけ分かることは、僕だけは僕の感性で叔父さんに接するようにしよう、ということだ。みんながどう見ているのか知らないけれど、僕にとっては叔父さんは大事な家族だから。


「失礼します」

「入れ」


 通された本殿の客間には比奈夫の姿はなく、父親の神主だけが座っていた。

 障子の奥に、お茶を出して去っていく奥さんの影が見える。

 挨拶や前置きもなしに、「コレなんだが」と神主は僕らの間に小さな箱を置いた。

 赤い紐で封じられたソレは、なんだか少し不気味だった。


「先日、神木に打ちつけられているのを見つけた。まったく、藁人形など罰当たりなことだ」

「しかし、珍しいことではないでしょう? いつものように清めればいいじゃないですか。私が呼ばれたということは、つまり……」

「いちいちまわりくどい言い方をするな。が」


 神主は紐の封を解いて箱を開ける。

 その苦々しい態度に、僕は内心かなり驚いていた。

 だって、神主さんは比奈夫のお父さんで、僕は息子の友人に対する優しい顔しか知らなかったから。「いつも比奈夫と遊んでくれてありがとう」と、ちゃんと僕に視線を合わせて言ってくれたことも一度や二度じゃない。

 人格者だと思っていた神主まで叔父さんにこんな横柄な態度をとるとは、なんだか少し、ショックだった。

 周囲が叔父さんに冷たいだなんて、僕のばかげた杞憂であってほしかった。

 それに……なんだって? 

 いなえ、た? ……なんか、そんなふうに叔父さんのことを言っていた気がする。

 聞いたこともない単語だけれど、どう考えても良い意味だとは思えない。


「はい、すみません」


 叔父さんは聞いている方が不安になるほど従順に頭を下げて、箱の中身を改めた。

 隣に座っている僕としては、非常に居心地が悪い。


「だがお前なら、現状以下になることもないだろう。私はもう、ソレを視界に入れたくない。金ならもう振り込んであるから、あとは金額分働いてくれ」


 神主はそう吐き捨てて、足早に客間から去ってしまった。

 結局、同行していた僕に一瞥もくれなかった。まるで別人のようだ。


「えっちゃんがついてきてくれたから、今日は客間に通してもらえました」

「えっ?」

「いつもは玄関先だからね。ごめんね、イヤな気持ちにさせてしまいましたか?」

「いや、別に……」


 叔父さんの仕事風景といえば、なにやら机に向かって調べ物をしている後ろ姿しか見たことがなかった。まさか、外ではいつもこんな感じなのだろうか……。


「耳かぁ。髪でいいのにね」


 だけど当の本人は全く意に介していないから、僕は自分の立ち位置をすっかり見失ってしまう。


「え? なに? かみ?」


 叔父さんの肩越しに封を解かれた箱の中身をのぞき込む。

 中には、当初の話にあった通り藁人形がおさめられていた。

 腹の中に血塗れの耳が押し込まれていること以外は、僕の想像通りの藁人形。

 ただの束ねた藁なのに、人体を模した位置に印象的な区切りがあるせいでゾクッと瞬間的に悪寒が走る。

 それが血に塗れて、さらに腹部からちぎれた耳を吐き出している様子は、無意識に「ヒエッ……」と小さな悲鳴をあげて仰け反らせるには十分だった。


「なっ……、な、ななななな……」

「あれ? こういうの、苦手ですか?」

「に、苦手、って……いう、か」


 えっ?

 ちぎれた耳と血塗れの藁人形が得意な人間なんている!?


「確かに、珍しいですよね。最近の主流は髪の毛ですから。まぁ、そもそも髪でさえ、本当は必要ないんですけどね。呪う相手の写真だったり、所持品だったりが有った方がイメージしやすいだけって話です。昔は写真なんて手には入りませんし、髪だって、きっちり結い上げられて簡単には抜けませんでした。先人たちは自分の頭の中のイメージだけで、ただただ相手の不幸を願っていたのです。すごいことですね。そのエネルギーは見習いたいものです」

「お、叔父さん……?」

「ああ、ごめんなさい。また退屈な話をしてしまいましたね。そうですか、えっちゃんはこういうのがお好みではないと」

「……叔父さんの中で、僕のイメージがどうなってるのか一度じっくり話し合いたいんだけど」

「あはは、そんなこと、する必要ないですよ。だって、えっちゃんのことは生まれたときから……いいえ、生まれる前からっているんですから」


 叔父さんはクスクスと含み笑いをしながら、鞄の中の古びた本を取りだした。


「じゃあ、いただいて帰りましょうか」

「えっ?」


 ずっと『本』だと思っていたそれは、中身がくり抜かれた入れ物だった。まるで騙し絵のようなつくりで、閉じてしまうと本にしか見えない。

 叔父さんはその中にポイと血塗れの藁人形と耳を入れると、また表紙を閉じる。


「はい、これでおしまいです」


 叔父さんは不気味な藁人形入りの本を大事そうに鞄にしまうと、さっさと立ち上がって玄関に向かう。もちろん誰も、出迎えになどこなかった。


「私はこれから野暮用がありますので、えっちゃんは先に帰ってください」

「う、うん……。あの……」

「私の仕事を手伝ってくれて、ありがとうございました。それじゃあ」


 困惑する僕を置き去りに、叔父さんはしっかりとした足取りで本殿を出ていく。

 左指はないけれど、それを補ってあまりあるほど叔父さんは健脚なのだ。10キロくらい楽々歩いてしまう。

 実は、運動神経が良い。

 左右非対称な身体のバランスをとることに長けている。車社会の田舎で、免許も持たずに生活しているのは伊達じゃない。本当は、僕の助けなんていらないのだと思う。

 だけど、父さんが倒れてから僕のことが心配で、様子を探る口実として運転手を頼んできているんだろうな……という推測が、より真実に近いのだと知った。


越生えつお


 名前を呼ばれて振り返る。

 そこには神妙な顔をした友人が立っていた。


「あいつの運転手、いつまで続けるんだ?」





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