臨時専属運転手(時給500円)



 人を、待っている。


「……ふわぁ」


 思わずあくびが漏れた。

 約束の時間はとうに過ぎているけれど、まぁいつものことだ。

 この遅刻癖を見越して、あえて遅れた時間に行ったときに限って相手が時間通りに行動したりするものだから、最近は待つことを前提に時間通りに集合場所に行くようにしている。

 待たせるのも、悪いからね。

 仮にも雇用主を。


 待ち人の名前は小籠倫他こかごりんた

 父親とは歳の離れた異母兄弟。

 僕とは10歳差で、兄弟同然に育った。

 そんな叔父さんには、左の全指がない。

 手のひらはある。

 曰く、遠い昔にとあるノロイの儀式に使われたらしい。

 もちろん、僕はずっと冗談だと思っていた。

 だって、この電波の飛び交う現代社会でノロイだなんてそんなの、正直馬鹿らしい。

 大方、事故で失ってしまっただけなのを、子供の僕を怖がらせるためについた嘘だろうと。

 しかし叔父さんは真剣そのもので、今では各地に散らばる奇談・怪談・民間伝承を集めて調べてまとめることで生計を立てている。

 残念ながら、叔父さんの指の行方はまだ見つかっていないようだけれど、その執念は凄まじいと思う。

 皆が当たり前にもっているものをもっていないということは、排除の対象になりやすい。

 叔父さんもその例に漏れず、ずっと一人で仕事をしていた。

 ペンネームは等端ひとはしりん。

 叔父さんが特に力を入れていたのが、文献には残らない口伝えの民間伝承。

 辺鄙な場所の現地に赴いて取材を重ねる必要があるにも関わらず、叔父さんは車の運転が出来ない。

 公共交通機関を駆使してなんとか乗り切っていたようだけれど、どうにも不自由を感じていたところに白羽の矢が立ったのが運転免許をとったばかりの僕だった。

 僕が暮らす村は車社会なので、運転が出来ないとお話にならない。

 でも、僕には免許はあれども車がない。

 叔父さんは、なぜか車はあるのに免許がない。

 利害関係が一致した僕たちはさらに雇用関係を結び、こうしてご用命に応じて運転代行のアルバイトをはじめた。

 時給は500円で、お小遣い程度。

 まだ教習所を卒業したばかりの僕にとっては、気負わない金額で助かった。

 そりゃ、お金はあればあるだけうれしいけどね。

 金額に見合う働きができないなら、負担なだけだから。

 

 最寄り駅まで徒歩で二時間。

 バスは一日に合計五本ほどしか運行しておらず(一時間に五本ではなく一日に五本だと言うと、大学の同級生には驚かれる)、それ以外の公共交通機関が皆無というのが、僕が暮らす日胤ひたね村だ。

 携帯電話の電波が入りづらかったり、ネット通販の配達に時間がかかるということを除けば、空は高いし空気の澄んだ良い環境だと思う。

 眼前には海から連なる大きな川が流れていて、穏やかな水面の動きを見ていると落ち着く。

 僕はわりと、この村が好きだ。

 村が嫌いな人は高校卒業と同時に村から出て行ってしまうし、大学進学後も長時間の通学時間を費やしてまで村に留まっているのはそういうことだ。


「ごめんごめん、お待たせしました」


 今や僕の愛車である古びた白い軽トラックに向かって悠々と歩いてくる叔父さんは、村の外れの一軒家で一人暮らしをしている。

 普段は自宅に引きこもって仕事をしていることが多いけれど、時折こうして僕を運転手の臨時アルバイトとして雇って外出する。


「ううん、大丈夫。待ってないよ」


 助手席の扉を開けた叔父さんから荷物を受け取る。

 いつも肩からかけている、妙に重い古ぼけた革の鞄を座席の間に押し込んで、叔父さんの手をとった。


「すいません」


 軽トラックのわずかな段差さえ、左全指のない叔父さんにとってはちょっとした障害だ。

 昔は剥き出しの断面図を見たこともあったけれど、最近は余った袖で括ってしまうから見えない。

 叔父さんの左手に関しては。親戚一同のタブーらしい。

 うんと小さな頃、一度だけ「おじさんのゆび、どこにいったの?」と本人に聞いたことがある。その時は近くに親もいたから、乱暴に口を塞がれたせいで叔父さんの答えは聞けなかった。

 でも、いつもにこやかに目尻を下げている叔父さんの表情に一際大きな皺が刻まれたのを、今でも覚えている。

 その後で、コッソリ「あのね、ぼくの指はノロイに使われたんだよ」と聞かされた。

 右と左で目の大きさが違う叔父さんは、眩しいものでも見るように目を細める癖がある。

 右が二重で、左が一重。

 右目はくっきりと線の入った平行二重で、睫毛も女の子みたいにクルンと上を向いている。対して左目はいつも腫れぼったく、誰かに殴られたのかと勘違いされることも多い。

 でも、そんな見た目の差異なんて、見慣れてしまえばどうということはない。

 僕にとって、叔父さんは叔父さんだ。

 両親とはあまり良好な関係を築けなかった僕にとって、叔父さんは叔父という役割だけでなく父であり兄のような存在でもある。ここ数年は、特に。


「さて、どこに行こうか」

「まずは胤待たねまち神社に行ってください。村の外れなので、申し訳ないんですけど……」

「了解。全然、大丈夫だよ。もっと遠くでもいいくらい。胤待には同級生が居るから、久しぶりに会えるかなぁ」

「お友達ですか。良いですね。友人は大事にしないと」


 叔父さんがシートベルトを装着したのを確認して、エンジンをかける。二人分の重みを乗せた愛車を操って、公道に出た。

 二車線しかない田舎道は、前方に車の陰すら見えない。叔父さんの家が村の外れだからこんな有様なのであって、中心部に行くともう少し車通りは多い。でも、僕はこうしてのんびりと誰もいない道を走るのは嫌いじゃない。

 運転できるようになって、行動範囲が増えて楽しかった。


「よいしょ」


 叔父さんが古びた鞄の中から取り出したのは、B5サイズのこれまた古びた本。

 でも、本と呼んでいいのかちょっとよく分からない。

 何枚もの紙を紐でまとめて、ブヨブヨの革で覆ったもの。

 常にどこか不気味な匂いを纏わせたソレは、叔父さんの大事な商売道具だ。


「今日はなに?」

「呪いの藁人形、だと聞きました」

「わらにんぎょう?」

「はい。藁人形に酷似した物品が神社の敷地内から発見されたので、一度見てほしいとのことです」

「へえ、今時そんなのやる人がいるんだ」

「藁人形は世代を超えて愛されていますからね」

「あ、あい……?」


 思わず吹き出してしまう。


「ただ、民間に伝わりすぎたせいでもはや正しいやり方は完全に消滅してしまいましたが」

「正しいやり方って?」

「ちゃんとした格好をして、顔にはおしろいを塗って、唇は濃い口紅をつけます。三本脚の金輪を逆さにして、各脚に蝋燭を立ててそれを頭にかぶる。首からは鏡を吊して、下駄を履いて、口には五寸釘か櫛をくわえて、右手に金槌、左手に藁人形を持つ。そして丑の刻……つまり午前一時から三時の間に神社のご神木に藁人形を打ちつける。これを誰にも見られず七日間続けると、七日目の帰り道に丑に出会います。それを無事に乗り越えることができれば、呪いは成就するって寸法ですね」

「ふーん……」


 自分から聞いておいて、僕は叔父さんの藁人形談義を右から左に聞き流していた。

 オカルトライターらしく、その手の話題を喋らせると長い。

 運転中の眠気をとばすにはもってこいだ。


「……すいません、つまらなかったですか」

「えっ!? いやいや、そんなことないよ!?」


 あからさまに生返事過ぎたか。

 年下の僕にかたくなに丁寧語を崩さない叔父さんは、こうして時々うなだれる。

 兄である僕の父親にもいつも遜った態度で一貫しているし、僕としてはもうちょっとフランクに接してほしいんだけど、叔父さんにとっては今更変えることのほうが苦痛らしい。


「ええと、神社のあとはどうする?」


 気まずくなって、話題を変える。


「野暮用がありますが、移動手段はアテがあるので、えっちゃんは先に帰ってもらってもいいですよ」


 えっちゃん、というのは僕のことだ。

 越生えつお、だからえっちゃん。

 もういい加減、この幼いあだ名で呼ぶのは叔父さんくらいだ。なんだかくすぐったいけれど、これもまた無理に変えてほしいとは思わない。


「わかった。迎えはいらないんだね」

「お父さんのお見舞いで忙しいでしょう? 私のことは気にしなくてもいいんですよ」

「だって、今や叔父さんが僕の唯一の収入源ですから」


 冗談めかして言う。

 父親は半年前に病気をして、それからずっと入院している。

 母親の顔は知らない。僕が生まれてすぐに、両親は別居した。

 不思議なのは、決して離婚はしていないということ。

 今でも、僕の戸籍を取り寄せれば母親の欄にしっかり顔も知らない誰かの名前が母の顔をして記載されているらしい。

 知りたいとは、あまり思わないけれど。

 

「そう言ってくれるのなら、遠慮はしません」


 叔父さんは無口で気難しい父に変わって、幼い僕にあれこれと世話を焼いてくれた。

 一時期は父と僕と叔父さんの三人で暮らしていた記憶もある。だけどある日、父と喧嘩をして叔父さんが家を出て行ってしまった時は悲しかった。

 僕の父親は、根本的に他人と暮らすということが困難な性質らしい。


「また来週、同じ時間から運転手をお願いしてもいいですか?」

「うん、もちろん」

「無理しなくても良いんですよ。彼女と予定があるなら、いつでもそちらを優先してください」

「かっ……、彼女なんていないよ」

「そうですか? いつも幼なじみの方と楽しそうに話しているじゃないですか」

「あれは……向こうがいつも楽しそうに話すから、僕もつい、つられて……」


 話題にあがっているのは、僕の幼なじみで村長の娘である藤堂真子とうどうまこのことだ。

 生まれつき赤茶けた髪と、色素の薄い大きな瞳が印象的で、絶望的に友達が少ない。小さな村だから、子供はみんな顔見知りだというのに真子と継続的な友好関係を結んでいるのは僕ぐらいなものだ。

 そのせいで周りからはよく冷やかされるけれど、真子にそんな気がないことは僕が一番よく知っている。


「仲が良いのは本当に美しいことですね。それじゃあ、このあとはなにも予定がないんですか?」

「うん。まあ、このあたりをドライブして帰ろうかなって思ってるよ。父さんのお見舞いはもう済ませてきたし」

「それなら……ほんの少しだけ、お時間ちょうだいしてもいいですか? 延長分もお支払いしますので」

「もちろん。でも、別にお金はいいよ、運転してる時間だけで」

「ありがとうございます。今回の依頼は、できればえっちゃんにも見てほしかったので」

「僕? でも、僕がみてもなにも……」


 力になれない、と言おうとしたところで赤信号になって停車する。


「いいえ、そんなことありません」


 叔父さんは商売道具の古い本を抱き抱えて、心底うれしそうに言った。

 左右非対称の顔が、見慣れない形に歪む。


「きっと、気に入っていただけると思いますよ」






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