Evil eye of Love
「あっ、いたいた」
タクシーに乗り込む真子を見送って、病院の敷地内を
「叔父さん、おまた、せ……?」
身体を隠すように肩を寄せて、腕を組んだ叔父さんは瞼を伏せて動かない。
俯いたまま規則的に聞こえる微かな呼吸から、どうやら寝入っているのだと知る。
すぐに起こそうと思ったけれど、居眠りしている叔父さんなんて珍しいから、良い機会だとばかりに、のぞき込んでまじまじと観察してみた。
叔父さんの顔で特徴的なのは、左右非対称な右の二重瞼と左の一重瞼。
睫毛の長さも違うらしく、ふさふさの右目とは違って左目はほとんど睫毛が見えなかった。
ちょっとだけ癖のある髪、日に焼けたことがないような白い肌、控えめに通った鼻筋……うん、別に普通だなぁ。
いたずら心で顔の左右をそれぞれ隠して比較する。
眼の印象が違うだけなのに、受けるイメージは全然違った。
そして、どちらの顔も兄である父さんとは似ていない。
お母さんが違うらしいし、似てない兄弟なんてこの世にごまんといるから大したことじゃないけど、精神的な繋がりだけではなく肉体的な繋がりも欲しくて、今度は両目を手で隠してみる。
うん、口元だけならなんとなく、父さんに似てるかも?
「……ッ!!」
「ぅわっ!?」
叔父さんの顔で遊んでいたら、血相を変えた叔父さんに目元を隠していた手首を掴まれた。
細い身体のどこにそんな力があるのかと思うくらい、凄い力だった。
「ご、ごめんね。起こしちゃっ……た?」
「……は、ハァ、ハァ……」
もしかして、狸寝入りだったのかな?と思って軽く謝罪を述べたら、僕の手首を掴む叔父さんの右手が微かに震えていることに気がついた。
「……ぅ、あ……」
まだ寝ぼけているのか、叔父さんの意識はハッキリしない。
肩で息をして、ここではないどこかにいるようだ。
「どうしたの? イヤな夢でも……見てた?」
不安になって問いかけると、僕を掴んでいた右手からゆっくりと力が抜ける。
「ゆめ……? あ、あぁ、そうですね……はい、夢、ですね。夢、でしたね。……こんなところで居眠りなんて、行儀の悪いことをするから、変な夢を見てしまいました」
「どんな夢?」
決して良い夢ではないということは、火を見るより明らかだけど僕は聞かずにいられなかった。
「ごめんなさい。もう、覚えていないです」
こういう時、叔父さんはいつものように穏やかに微笑むだけだって知っているのに。
「でも、叔父さんが居眠りなんて珍しいね」
もう眠りから覚めたのだから、はやく軽トラで送り届けたほうがいいとは思いつつも僕は叔父さんの隣に座る。
古いベンチは、二人分の体重を受け止めて哀しげに鳴いた。
「恥ずかしながら、最近、あまりまとまった睡眠時間をとれていなくて……」
結び目のある左袖を口元に添えて、叔父さんは小さく欠伸をする。
こうやって日常生活でも自然に左手を使うから、僕は時々叔父さんに身体的ハンデがあることを忘れてしまいそうになる。
「仕事、忙しいの?」
「大きな仕事が、そろそろ大詰めなんです。なかなか日程調整が難しくて、つい……」
「珍しいね、いつもは計画的にやってるのに」
「私は引く手数多なライターではないですから、普段は件数自体が少ないんですよ。それに、今度の仕事は私だけの一存でどうにかできない部分も多くて」
「へぇ。知らない間に、そんな中間管理職みたいなことをするようになったんだ」
「……えっちゃんの中で、私はどんな印象なんですかね?」
「えー? なんか……家にいるか、何か書いてるか、あとはブラブラしてるか……」
物心ついたときから傍にいた叔父さんは、基本的に家にいて僕の面倒を見てくれた。
父さんと別居してからも、望めばすぐに会いに来てくれたし、叔父さんが僕の訪問を断ったこともない。
父さんが僕と叔父さんの交流についてなんて思っていたのかは、知らないけど。
「人をニートみたいに言わないでくださいよ。……まぁ、自由業であることは間違いないですけどね。これでもそれなりに仕事をして、自分で自分を喰わしているんです」
寝不足らしい叔父さんは、左右非対称の長さの腕を伸ばして伸びをする。
「さて、驚かせてしまってすみません。手首、大丈夫でしたか?」
「あぁ、べつにこれくらい……」
叔父さんに掴まれた右手首を何気なく見やって、僕は絶句する。
一瞬の出来事だったから痛みはあまり感じなかったけれど、僕の手首には叔父さんの右手の形が赤黒い痣になってくっきりと残されていた。
「………」
流石にフォローしきれず黙り込む僕に、叔父さんはまたすまなさそうに頭を下げる。
「ごめんなさい、不注意でした。油断していたんです」
「い、いいよいいよ、僕がふざけたのがいけないんだし。……あ、それより聞いてよ叔父さん、さっき真子が……」
凍り付いた空気を変えたくて、僕は真子の口から飛び出した不可思議で不謹慎な発言について語って聞かせる。
痣には驚いたけれど、全く痛くないし、こんなことで気に病んで欲しくない。
「……と、いうわけなんだ。不思議だよね。前にも変な言葉が聞こえたし、いよいよ耳鼻科に行った方がいいのかなぁ?」
「耳鼻科に? どうしてですか?」
「どうして……、って。よくないところはお医者さんに治してもらわないと」
「医師が治療できるのは、人間だけですよ?」
叔父さんは至極単純な疑問に対峙するかのように、コテンと小首を傾げる。
「えっ?」
「……あぁ、ええと、そうですね……まだ、私は寝ぼけているようです」
言うが早いが、僕を置いてベンチから立ち上がった叔父さんの表情は見えなかった。
いつもの健脚ぶりでサクサクと駐車場まで歩いていく。
「自己管理は、キチンとしないといけませんね。私は、大人なんですから」
「ま、待ってよ叔父さん!」
本格的に僕の耳はおかしくなってしまったのかもしれない。
小走りで追いついた叔父さんは、僕と競うように歩幅を広げた。
「歩いたら、なんだか頭が冴えてきました」
「そ、それは……はぁ、よかった、けど……」
涼しい顔で歩く叔父さんの速度は、もはや競歩の域だ。
「だらしがないですね、えっちゃん。そんな様子じゃ、私と鬼ごっこで勝てませんよ」
「最近、車ばっかり使ってるからなぁ……はぁ、な、鈍ってるのかも。……だから、ちょっと、緩めてほしいんだけど……」
確かに運動量は高校生の時よりも減ったけれど、こんなに急に体力は落ちるものだろうか?と、微かな疑問が残る。
父さんが凶事に倒れた半年間で、僕の身体にもなにか異変が起きているのかもしれない。
「あはは、はい、意地悪してごめんなさい」
ピタリ、と叔父さんが足をとめた頃には僕らは駐車場にたどり着いていた。
愛車に乗り込んで、叔父さんを家に送り届ける。
ついでに冷蔵庫の余り物で作った豚肉と舞茸のワサビ醤油パスタを一緒に食べていたら、僕のスマホに連絡が入った。
何気なく画面を開く。
「……叔父さん」
在庫処理のために必要量以上投入されたワサビの塊を運悪く摂取したせいで、右手で鼻を覆いながら涙を浮かべる叔父さんを呼ぶ。
「どうしました? ……えっちゃんはとても料理上手ですが、調味料の加減を覚えていただければもっと高みにいけると思います。かひゃい……」
「ま、真子が……事故に遭ったって……」
真子の乗っていたタクシーが原因不明の故障で、ガードレールに単独で突っ込んだらしい。
幸い、命に別状はないけれど
「そうですか、それは心配ですね」
叔父さんは、とうとう耐えきれず粒になって流れ出した涙を
「でも、命が助かったのは加々美さんの教えを護っていたお陰ですね。あまり真面目では、なかったようですけど」
目元を拭った後で、叔父さんだけがいつもと変わらずに微笑む。
「『似て非なる』ものなんて、
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