赤間加々美の告白




「……どうぞ」

「うんうん、ありがとう」


 いつまでも暗闇の中に女性を置いておくわけにはいかないので、ひとまず自宅に招き入れてお茶を出す。

 叔父さんほど丁寧に淹れることはできないから、パックのお茶だ。

 赤間さんは持参していた紙袋から、クッキーが入っている筒を取り出して蓋を開けた。

 この辺りのスーパーでよく見るヤツだ。

 自分のおやつは自分で用意する主義らしく、赤間さんはお茶とクッキーをモシャモシャと食べはじめる。


「えっちゃんも、いる?」

「いえ、僕は良いです……」


 今は食欲なんてないので、辞退する。

 赤間さんは仮にも叔父さんと縁のあった人だし、非常識な時間に訪ねてくることや小さな奇行を除けばきっと悪い人ではないんだろう。真子のことを邪眼から護ろうとしてくれたみたいだし。


「そんなに警戒しないでよ、ねぇ?」

「はは……」


 口元を拭ってからポーカーフェイスを崩してニヤッと笑う赤間さんの姿は、幼い見た目とのチグハグさでどうにも居心地が悪い。

 本当に叔父さんと同い年なのか?詐称してない?


「倫他と付き合ってたのはもう19年も前なんだから、昔の話よ」

「19年?」

「えっちゃんが生まれたから、別れたの」


 19年前っていうと……二人とも10歳じゃないか。

 なんだ、そんな淡い子供の付き合いだったのか……。


「それからは、セフレとしての付き合いだけど」


 淡くはなかった。

 赤間さんから聞く叔父さんの顔が、今のところ一番しっくりこなくて混乱する……。


「まぁ、互いの目的のために好きにやろうってことになって、わりと相性は良いの」

「そ、そうなんですか……」

「ウチは倫他の姉だから」

「そうですか……あね……。……姉!?」


 プライベートなことだし、あまり脳内に残さないように聞いていたのに、一気に引きずり戻される。

 姉!?

 そうか姉か……。

 いや、でも、それは余計に悪い気がするけど……。


「そうそう、双子なのよ。知らなかったでしょ?」


 僕が死ぬほど驚いてるのに、赤間さんは淡々と続ける。


「近親相姦だけど、べつに法律で捕まるわけじゃないし……昔はよくある話だったし、島崎藤村しまざきとうそんとか有名よね」


 顔は全く似ていないけれど、語り口や飄々とした雰囲気は、言われてみたら似てるかもしれない。

 恋人だから似てたんじゃなく、姉弟だから似ていたのか。


「し、知らなかったです……えっと、じゃあ、赤間さんは、その、僕の叔母さん……?」

「やめてよ、そんな言い方。赤間さん、及び加々美さんでいいから。あーあ、どうせ倫他はこんなこともきみには言ってないわね?」

「初耳……です」

「えっちゃんも、アイツの特技、聞いたでしょ?」


 赤間さんが持参したクッキーはあっと言う間になくなった。

 小さい身体なのに健啖家けんたんからしい。


「肝心なことを覆い隠して、おもしろおかしく他人に伝えるのが得意だ、って」


 お茶を飲み干して、僕に告げる。


「自分で決めて、自分で引き受けることなら、ウチは何も言わないつもりだった。……でも、勇気と無茶は違うでしょ? 諦めることと、優先順位をつけることも違うでしょ? つまり、判断に至るまでの材料が……圧倒的に、今のえっちゃんには足りていない。まぁ、いきなり色々知ったみたいだし、無理もないけどね」

「………」

「充分な推察なくして、納得のいく決断は下せない……と、ウチは思う。……えっちゃんは、どう思う?」


 赤間さんは自分の両手を組んで、その上に小さな顎を乗せた。

 僕がどんな反応をするのか、試しているようにも見える。


「……僕、は」


 出会って間もない人に心の内を明かすのは抵抗が芽生えるけれど、姉だと主張する赤間さんにしか、分からないこともあるのかもしれない。


「ずっと、叔父さんのことを信じてきましたし、今でも信じています。でも……」


 どこまで話したものか悩む。

 一度、口からでた疑念は次々と留まるところを知らない。


「なくした指を探すために、オカルトライターをしていると……聞いていました」

「表向きは、そうね。随分いろんなところで書き散らかしていたみたい」

「叔父さんは……自分の左指の在処もちゃんと分かっていて、当人剥と生人剥の違いもちゃんと知っていて、なのに……僕には全く違うことを言っていたのはなんでだろう……と、思います」

「倫他はそういう嘘の塩梅が、昔からうまかったから。あと……」

「……ッあと!」


 話を続けたそうな赤間さんの言葉尻を捕らえて、より強い声色で被せる。

 試されているばかりでは、良い気分じゃない。

 赤間さんの言葉にはなるほどと感じる部分もあった。

 だけど、信用に足る人物かどうか推し量るためには、この問いかけが必要だった。


「ワイラハイラは、口にするのも忌むべき禁名の筈です。なぜ、赤間さんが軽々しく呼ぶのですか?」


 扉を開けたとき、あまりにも驚いて流してしまったけれど赤間さんは確かに言っていた。【ワイラハイラにあいにきた】と。

 それは僕がソレの一部であることを知っている、あるいはこの家の二階に巣くう異界を知っているということだ。


「………」

「………」


 しばらく、僕と赤間さんの間になんともいえない沈黙が落ちる。

 時刻はそろそろ午前四時。地平線の彼方から、微かに日の兆しが見え始める頃だ。

 僕が赤間さんについて知っていることは、拝み屋というよく知らない仕事をしている、ということだけ。

 自宅の中とはいえ、僕は丸腰だ。

 言ってしまってから、早まったことをしてしまったかもしれないと不安になっていたら、赤間さんは綺麗なおかっぱ頭をグシャグシャにかき回しながら笑った。


「あははははは! なんでウチがワイラハイラを知ってるかって? そうね、そりゃあ、気になるわよね」

「……えっ、と。あの……」


 それは狂気的な笑い方ではなく、思わず吹き出してしまったと言った方が良いような自然な笑いだった。

 なかなか突っ込んだことを聞いたと思ったのに、想像より和やかな表情になった赤間さんは小さな手を膝の上に置いて語り出す。


「じゃあ教えてあげる。今は部外者だけど、ウチはもともと、当事者だったのよ」

「当事者?」

「倫他がボカしたのは、他に何があった? ワイラハイラ受肉の最後の仕上げって、なんだと思う? いいや、これは別にクイズじゃないから、考えなくてもいいわ。考えたって、これまで常識的に生きてきたえっちゃんには思いも寄らない方法だから。そして、聞いた後も信じられないでしょうね。でも、信じなくてもいいから否定はしないでほしい。だってウチは……ウチらは、それが『常識』だと思って、ずーっと生きてきたんだから」


 幼い印象だった赤間さんの表情に、途端に影が落ちた。


「……わかり、ました。何を聞いても、常識外れだなんて言いません」

「別にそんな律儀に宣言しなくても良いのよ。じゃあ、言うけど……」


 気のせいかもしれないけれど、赤間さんの大きな鳶色の瞳になんともいえない哀れみの色が見えた。




「ワイラハイラの最後の仕上げはね、誰からも愛されない人間の死体が要るのよ」




「……えっ?」

「父からも母からも、親類縁者全てから、もちろん他人からも……誰もかれもにとって【要らない存在】であることが、ワイラハイラ顕現の最終条件。当人剥の総括を任された小籠家は、もちろん最後の仕上げを担う義務を負った。代々、愛さないのに子供を産む家系として、さらに小籠の家は忌み嫌われる。だけど、役目を果たさねば村で生きてはいけない……と、いうワケ」


「………」


 えっ?


「小籠の全員が、血も涙もない連中ってワケじゃないのよ? その中にはもちろん、妻を愛し夫を愛し子を愛した人々もたくさんいた。たくさんいたから……小籠には恒常的に妾がいたのよ。それが、ウチみたいな赤間の家。金銭的援助をする代わりに、ビジネスとして子供を産んでくれる存在。今も昔も、お金さえあれば大抵のことはなんとかなるのよね。事実、ウチが義務教育を受けられたもの小籠のお陰だし」


 その節はどーも、と冗談っぽく赤間さんは頭を下げる。

 いや、ぜんぜん全く冗談にはできないんだけど……?


「えっちゃんのおじいちゃん……つまり、ウチや倫他の父親かな。その人はね、完全に旧時代の人間だった。うずたかく積まれた長年の供物くもつに異様なほど傾倒して、自分の代でワイラハイラを受肉させることが名誉とさえ思っていたの」


 仏壇に飾ってある写真でしか知らない祖父の顔を思い出す。

 色の濃い眼鏡をかけて、口をヘの字にして不遜な面もちだった気がする。


「えっちゃんのお父さんと倫他は年齢が20歳以上違うと思うけど……まあその頃にはウチの父親も相当疲れていたみたい。ウチらが生まれた時に、閃いたのよ。男女の双子なら、この間でまぐわえば良いって」

「………」

「ウチは初潮が早くて、8歳ごろからソレははじまったけど……倫他は死ぬほど嫌がったね。でもまあ、大人に護ってもらえる子供なんてこの世では一握りだから、仕方ないのよ。次第に慣れて、作業としてできるようになったけど」

「………」

「で、その姿を哀れに思った五六いつむさん、ええと、えっちゃんから見るとお父さんか。その人が、ウチらを助けたい一心でめとった人が産んだのが……えーっと……?」

「………」


 ちょっと待ってほしい。

 いま、ワイラハイラは僕の中にいる。

 それは、僕がこの目で確認したことだ。

 ワイラハイラが最後に求めるのは、誰からも必要とされていない人間の、死体?

 じゃあ、じゃあ僕は……。


「………」

「……ごめん、あの、一気に言い過ぎた、かな?」


 赤間さんが虚空の一点を見つめて動かなくなった僕を心配して、声を掛ける。


「ウチにとっては当たり前のことだけど、ウチの常識とえっちゃんの常識も、また違うもんね。ごめん、配慮がなかったかもしれない」

「……い、え……」


 それだけ絞り出すのが精一杯だった。

 齢19、今の今まで僕は周りにそれなりに……『普通』に愛されて生まれてきたと思っていたから。

 そりゃ、母さんの顔は見たことがないけれど。

 父さんとの会話だって必要最低限以下だったけれど。

 それでも、父さんとは男二人、僕らなりに仲良くやっていたと思う。

 言葉はなくとも、互いの存在を許容して暮らしていた。

 叔父さんだって、いつも僕を気遣って、心配して、さっきも……。


 あれ。


 でも。


 だって。


 ……愛されているって、どういう状態なんだろう?

 必要とされているって、どういう感覚なんだろう?

 それが、分からないなんて……つまり、僕は……。


「……っう、ぇ、ッ!?」


 突然空っぽの胃から何かがせり上げてきたから、椅子を蹴散らしてあわてて立ち上げる。

 幸い、すぐ後ろが流しだったので床を汚さずに済んだ。

 喉を焼きながら出てきた大量の胃液が目に入る。酸性の臭いでまた、嘔吐く。


「ごほ…ッ! げほ……」

「あらら、大丈夫?」


 赤間さんの小さな手が、僕の背中をさする。


「だ、だいじょうぶ……で」

「まあ、言葉だけでも強がるのはやめたほうがいいわよ」

「……すみません、大丈夫じゃないです……」

「よろしい。ウチにはいくらでも、崩れた姿を見せても構わないわ。拝み屋なんてやってると、こういう修羅場は慣れたものだから、気にしなくていいからね」

「は、はい……」

「でも、ウチはこの仕事、辞めたいのよ。そのためなら、


 赤間さんは、足首まである黒いワンピース上からお腹のあたりをソッと撫でる。

 小柄な赤間さんにふさわしく、何の起伏もない平面かと思いきやほんの少し膨らんでいる。さっき食べたクッキーのせいだろうか?


「ウチと倫他は、双子として生まれてきたわ。そして、なんでも共有して生きてきた。えっちゃんが生まれてから、倫他だけ小籠に正式に引き取られてからも……」


 胃液で焼けた喉に触れながら、赤間さんを振り返る。


「ねえ、えっちゃん」


 いつの間にか赤間さんの手が、僕の背中から首筋に回されていた。


「共有するっていうのは、善いことばかりじゃない。悪いことも分け合ってこそ、本当の共有と言えるのだと思うのだけど……これは、えっちゃんの中の『常識』と相違ないかしら?」


 ゆるい力で引っ張られただけなのに、僕より数段背の低い赤間さんとの距離は一気に縮まる。

 限界まで腰を曲げた僕の唇を、赤間さんの丸めた指の関節が掠めた。






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