ドイツはどこですか?




 高速道路を無事におりて、叔父さんの道案内を頼りにどんどん入り組んだ道へと進んでいく。

 酔尾えのお市にはあまり馴染みがないので、目的地に着く頃にはもう自分の現在地もよく分からなくなっていた。


「ここで停めて下さい」

「ここ?」


 駐車するように言われたのは、奥深い山に続く入り口だった。


「どうしたの叔父さん、今から登山でもするの?」

「まさか。そんな風体ふうていに見えますか?」


 叔父さんの服装は、いつもの革の肩掛け鞄にスニーカー、ジーンズ、シャツ、そしてベスト。見慣れた姿だ。


「……見えない」

「すぐ済みますから、えっちゃんはここで待っててくださ……」

「僕も行く!」


 行かなければならない。

 叔父さんが何を思って何をしようとしているのか、見届けないと。


「……良い、ですけど。車が路上駐車になってしまうので……」

「あ、そっか。登山者向けの駐車場とかないかな?」

「では、もう少し走らせて下さい」


 砂利と落ち葉に覆われた狭い道を悪戦苦闘しながら進むと、簡易的にロープで仕切られた小さな駐車場にたどり着いた。


「駐車料金はいらないようなので、ここに停めましょうか」

「わかった」


 駐車場には僕らしか居なかった。

 誰もいない駐車場は、それはそれで停めにくいと思うのは僕だけだろうか?

 何度か切り返しをして、ようやく目当ての場所に停めることができた。


「ふぅ、なんとかできた」

「ありがとうございます。運転、ほんとに上手になりましたね」

「そうかな? まだまだだよ。友達はみんなもっと上手いから……」

「全く出来ない身からすれば、十分ですよ。じゃあ、行きましょうか」


 車から降りてスタスタと歩き出す叔父さんを慌てて追いかける。


「……また、妙なものを見せてしまうかもしれませんよ?」


 脳裏に、以前いきなり見せられた千切れた耳が蘇る。


「大丈夫だって。心構えがあれば……うん、たぶん」

「心構えですか。じゃあ、事前に言っておきましょうかね。今回、受け取りに行くのは『わらくち』……と、呼ばれるものです。お察しの通り、口に関する当人剥とうにんはぎですね」


 当人剥……。

 やはり、それなのか。

 叔父さんの双子の姉である赤間加々美あかまかがみさんとの会話が蘇る。




———倫他りんた当人剥とうにんはぎを『わら〜』と称して、不必要に世に広めたわ。

一時の痛みさえ我慢すれば悲願成就間違いなしって吹聴して。

まぁ、大多数の人間にとっては与太話よたばなしよ。

けれど、にっちもさっちもいかなくなって、それこそ藁にも縋りたい想いの人間の背中を片っ端から押す行為には、なったようね。


そうして蒐集しゅうしゅうした供物たちをひたすらに回収して、もう一度ワイラハイラを満足させようとした。

それはたぶん、えっちゃんの為だと思う。

化け物が身体の中にいるなんて、いいことのワケがないからね。


……でも、倫他はどうにも……なぜかやることなすこと、全部裏目にでる性質なのよ。


だから、もしもえっちゃんから見ておかしなところがあったら、拝み屋としてひとつだけお願いしたいことがあるの。


もしも倫他の得体えたいが知れないと感じる時があれば、それは静穏せいおんゆえだから。

日々を淡々と過ごしてこそ、異界の扉は開きやすくなる。

だから、倫他のペースを乱してみて。

倫他の感情を揺さぶるような、そんな何かを……えっちゃんなら、わかるはずよ。


え?

ウチから言えばいいじゃないかって?

無理よ。

倫他がウチの言うことを聞くわけないもの。

だってウチらは双子で、なんでも共有しているからこそ……互いの意見が聞けないの。

大人になって、一応の線引きとして『相手のやることに口を出さない』としたけどね。

そうでもしないと、相手を自我を持った別人格だと区別できない。

情緒の生育環境も最悪だったから。

倫他はウチのやることに口を出さないし、ウチも倫他のやることに口を出さない。

だから、ウチの望みを倫他は聞いたしウチも倫他の望みを叶える。

その善悪は問わない。

……ま、歪んでるとは思うけど、もうそういうふうにしか生きられないからね、仕方ないのよ。

だけど、ウチにだって思うところはある。

だから、こうしてわざわざ会いに来たの。

ウチの話を聞いて、えっちゃんがどう思うのか……それは、貴方に任せるわ。

当事者として……何も知らない子供でいたくないんでしょ?

幸運な子供でいられる間は、甘んじていてもいいと思うけどね。

でも、自分が幸運かどうかは、自分で決めることだから———



 自宅二階で見た当人剥の山は、どれも天井に届きそうなほど堆く積まれていた。

 まだ、足りないのだろうか……。


「まあ口と言っても部位に分けると様々ですよね。唇部分、歯茎部分、歯の部分、舌の部分……」

「……細かいね」

「剥ぐ方も、できるだけ被害は最小にしたいでしょうから。あ、えっちゃん、コッチですよ」


 まっすぐ駐車場から登山口まで戻ってきたから、てっきりこのまま登るのかと思っていたら叔父さんは看板に記された山頂への方向とは全く違う場所を指さした。


「山には登らないって、言ったでしょう?」


 叔父さんが示す先は藪だらけで、道らしきものなんて見えない。


「心配しないで下さい。ここは正規の道ではありませんが、一部の地元の方が使用しているので……あ、でも虫がでるからやっぱり車で待っておきますか?」

「む、虫くらい別に平気だし……」

「そうですか。蟷螂カマキリにビクついていたのは昔の話でしたね」

「あ、あれは叔父さんがいきなりみせるから! 誰だって、あんなの最初は怖いって!」


 うんと子供のころ、庭で叔父さんと遊んでいたら唐突に目の前に臨戦態勢の大きな蟷螂を突き出されたことを思い出す。

 大きな鎌首を擡げて威嚇する様子は、なかなか衝撃的だった。


「男の子ですし、恐怖の前にかっこいいが先にくると思ったんですけどね」

「……そういうの、べつに性別関係ないから。古い価値観だよ」

「おじさんですので」

「そんなこと言って、まだ二十代じゃない」

「もうすぐ三十になりますよ、一区切りつきます」


 健脚っぷりを発揮して獣道を進む叔父さんを追いかける。

 何度か蹴躓きながらも、すぐに崖の上に続く階段が見えた。

 その階段は見るからに人工物で、しかも、手入れが行き届いて安全そうだった。


「こんなところに……階段?」

「そうです。ここを登った先に、『わらくち』があります。たぶん、歯の部分だけだと思います」

「は?」

toothトゥースです。おそらく複数あるので、 teethティースでしょうか」

「いや、そんな詳細はいいから」

「大学では、もうあんまり英語はやらないのですか?」

「僕の学部は第二外国語の方に力を入れてるんだ」

「へぇ。なにを選択したんでしたっけ?」

「ドイツ語」

「ふーん……ドイツ……って、どこでしたっけ?」

「冗談だよね?」


 階段を上り始めた叔父さんは、真面目な顔で振り返って僕に問いかける。


「いえ、わりと本気です。あまり、国外のことに学がないので……。えっちゃんは、結構好きですよね?」

「世界史選択するぐらいだからね。でも、人並みだよ。詳しい人は本当詳しいし。えっと、ドイツはね、ヨーロッパの西のほうにある国で、森・川・山・海岸に恵まれた綺麗な場所なんだって」

「素敵ですね。私たちの日胤村には、川しかありませんから」

「まあそうだね……川も川で落ち着くけど。じゃあさ、いつか一緒に行こうよ」

「どこにですか?」

「ドイツ。べつに、ドイツじゃなくても外国じゃなくてもいいけどさ。叔父さんと旅行って、そういえば今まで一度も……」


 したことが、ない。

 自分で言って自分で驚いている。

 周りの友達が当たり前に経験しているであろう家族旅行を、小籠家はしたことがない。

 母親がいない時点で『普通』の枠からは外れているという自覚はあったから、これまで特段旅行に行きたいなんて思わなかった。

 そういえば、家族旅行の思い出話をする友人を羨んだこともなかったな……。

 長期休みは宿題をするか、友達と遊ぶか、叔父さんと過ごすか、それが常だった。

 僕にとっての日常だった。


「……外国に行くには、パスポートが要りますよね」

「もちろん」

「パスポートには、戸籍が必要ですよね」

「たぶん」

「それじゃあ、ちょっと無理ですね……」

「なんで!? 戸籍あるでしょ!?」

「ありますけど……、でも」


 叔父さんは少しだけ、言いにくそうに言葉に詰まる。


「……でも?」


 いつもなら、言いたくなさそうなことなんて無理に追求しない。

 でも、頭の中に残っていた赤間さんの言葉に従って、叔父さんのペースを乱す糸口を探るべく声掛けを続けた。


「私は生まれてから、しばらく誰からも無視されていましたから。出生届を出すときに適当に設定された生年月日と、顔も知らない母親の名前を知りたくないんですよ」

「えっ?」

「戸籍というものは、時として残酷ですよ。ねぇ、えっちゃん。アレを見れば、望まれて生まれてきた子供か、望まれぬ子供か、一目で分かってしまいます。養子縁組、同居人、認知、出生、続柄、養母養父……私はたぶん、いろいろ変更しすぎたせいで、一枚では収まらないでしょうねぇ。はぁ……」


 苦々しく呟いて、階段で切れたのか精神的に疲れたのか判断のつかないため息を吐き出す。

 僕もたぶん、戸籍を取り寄せたら顔も知らない母親の名前を知ることになる。

 でも叔父さんほどの嫌悪感は持っていなかった。

 そうなんだ〜、くらいの認識。

 だって僕の人生には、あまり関係のない人だし……。

 僕は母がいなくてもこうして元気に生きてるわけだし……。

 ん?

 もしかして……僕がおかしいのか?

 でも、これって異常なことなのか……?


「……さ、着きましたよ」


 自問自答のループに入ってしまう前に、目的地に到着した。

 階段を上った先には少し開けた場所があって、そこには……所狭しと小さなお墓が並んでいた。


「墓地……?」

「古くからこの辺りに住む方々にとっての、大事な場所です。この辺りは、古くから魔を祓うことを生業としてきました」

「ま?」

「加々美さんみたいな、拝み屋さんのような感じと言えばわかりやすいですかね? ……科学的な根拠はないんですけど、主な手法として、こう、上下の歯を打ち鳴らすことで退魔の仕上げとしていたようです」


 カチカチと、叔父さんは軽く自分の歯の根を噛み合わせる。


「そんなことでお化けを祓えるの?」

「人間の身体は、全身が祈りの道具かつ呪いの道具でもありますから。歯である必要性はあまりないのかもしれません。この辺りの風潮、風俗、それこそ、口承こうしょう……と、いったところでしょうか。皆に支持されて、信仰を集めた方法こそが、唯一無二の力を持つのです」


 叔父さんはお墓の奥へと入っていく。


「あっ、勝手に行っていいの?」

「許可は取っていますから」


 迷いなくたどり着いた最奥のお墓にしゃがみこんだ叔父さんは、これまた迷いなく墓石の上半分を持ち上げた。


「よっ……と」

「なにしてるの!? 手伝うよ!?」


 左手のない叔父さんに、墓石の重量を持たせるのは危険すぎる。


「ああ、ありがとうございます。いつもの癖で、一人で居る気でいました」


 ソッと墓石を地面に置いて、残された下半分をのぞき込む。


「………」


 事前にナニを回収するつもりか、聞いていて良かったと思う。


「歯って、火葬しても一部が残るぐらい人体の中で強い強度を誇りますけど……、歯と歯同士を衝突させると、意外と脆いんですよね。自然に抜け落ちる前に、溜まった穢れの浄化も兼ねて、こうして自ら抜いてしまう方が多かったみたいですよ」


 内部には、一面にびっしりと……が敷き詰められていた。

 どれぐらいの深さがあるのか分からないけれど、相当な量だと思う。

 経年劣化を経て黄ばんでいたり黒く変色したものもあれば、まだ真新しく白く輝いているものもある。……いつ、抜いたのだろう。


「たくさんあって、うれしいですね?」


 どう返していいのか分からない。

 叔父さんは嬉しそうに、また鞄の中からいつもの『本』を取り出す。


 それはいつもと違って、なにか禍々しい気配がした。



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