新しい日常
「ごめんごめん、お待たせしました」
「ううん、大丈夫。じゃあ行こうか」
叔父さんの遅刻癖は変わらない。
専属運転手(時給500円)としての今日の仕事は、少し遠出になる。
久しぶりに高速道路を利用するので、事前にしっかりエンジンオイルやタイヤはチェック済みだ。
車間距離を多めにとって、追い越し車線で無理な運転をしなければ、あとは合流地点に気をつけるだけで軽トラックでも高速道路を安全に走行できる。
僕が叔父さんから貸してもらっている愛車は、軽トラのわりにはなかなか性能が良い。
どうやらもともとは叔父さんの父……つまり僕の祖父からの贈り物だったらしいことが最近分かって、経年劣化はあるものの手入れが行き届いていたことに納得した。
「シートベルト、締めた?」
「ちょっと待って下さい……」
いつも片手で器用に締めているのに、今日はなんだか手間取っている。
「いいよ、やってあげる」
傍観するより手を貸した方が早いと思って、運転席から腕を伸ばす。
ほんのちょっとの手助けで、あっという間に金具は
「えっちゃん、ありがとうございます」
叔父さんは律儀に頭を下げる。
「気にしないで。えっと、今日の目的地を確認しても良い?」
「遠方で申し訳ないんですが、
「了解。高速は久々だから緊張するなぁ……」
「よろしくお願いします」
大事そうに肩から掛けた革の鞄には、またいつもの仕事道具としての『本』が入っているのだろう。
一つ前のアルバイトと今とでは、僕の心持ちは随分違う。
変わらぬ顔で助手席に座って、流れる景色を眺めてうれしそうにしている叔父さんの腹の中は、ずいぶん複雑らしい。
正直、よく分からないことの方が多い。
これまで、叔父さんは僕にとって、叔父であり兄であり父代わりの大事な身内であると信じて疑わなかったし、今でも疑ってはいないけれど……。
……このままじゃ、いつか、なにかが決定的に変わってしまう気がする。
それぐらい、叔父さんは危うい存在だということをようやく僕は知った。
「………」
それでも、叔父さんが『いつも通りの日常』を望むから、僕は請われれば拒むことなくアルバイトには応じる。
ワイラハイラ
さんざん聞いたし、夢みたいな現象も体験したけど……イマイチ実感がわかないのが本音だ。
だって僕はこれまで普通に生きてきたつもりだし……父さんの事件さえなければ、きっとあのまま何も知らずに生きてしまっていたかもしれない。
全てが終わった後に後悔することだけは嫌だから、当事者になれたことだけは良かったと思う。
叔父さんからの情報だけでは、どうしても偏ってしまうから……だから……。
「えっちゃん?」
「ん? なに?」
「大丈夫ですか? そこを曲がらないと、高速に乗れませんけど……」
「あっ! 本当だ! ひ、久しぶりだから忘れてたや。ありがとう」
僕は叔父さんに
左右非対称に微笑む叔父さんの姿からは、何も読みとれなかった。
それでもアクセルを踏み込んで、高速道路に乗る。
***
……眠れない。
当たり前だ。
生家とはいえ、どうして父親の関係する事件現場で安眠できるというのか。
いや、これまでの僕なら普通に安眠できていた。
事実から目を逸らして、ただ一時的に客間で寝ているだけ……という体裁を保っていた。
時刻はもう午前三時。
六時間ほど前に、自宅二階で信じられない出来事を目の当たりにしたばかりだ。
僕の中に、ワイラハイラというばけもの?かみさま?が、いるらしい。
それは人間の願いを叶える代わりに人間の身体を求める存在で、際限なく求められた強制的で自主的な供物の果てに、人間とワイラハイラには歪な呪いが結ばれてしまったと聞いた。
それがなにがどうなって僕と同化しているのかはよく分からなかったけれど、僕の身内が取り返しのつかないほど巻き込まれているということはよく分かった。
意識をなくした僕が再び目覚めた時は、すでに客間に敷かれた布団の上に寝かされていて、叔父さんの姿はどこにもなかった。
ただ一言、『おだいじに』と書き置きだけが残されていた。
あんな恐ろしいモノがいる家なんて、裸足で逃げ出したってもおかしくない。
でも、僕はそれをしないままおとなしくまた布団で眠りにつこうとしている。
現実味がない。
意味不明の言葉の羅列で脳内を犯されても、去ってしまえばもう名残はない。
幻聴だった、と言われればさほど気にしないだろう。
僕の中の恐怖を感じるべき部分が、どこか枯渇しているみたいだ。
これも、身体の中にいるワイラハイラという存在のせいなのだろうか。
でも……話に聞いているわりには、そんなに凶暴そうには見えなかった。
顔は見てないからわからないけれど、どちらかというと、聞き分けがよさそうというか……叔父さんを信じようとしてたし、ああ、でも指は床に投げ捨てていたけれど……いや、こうして人外の存在に同情するのが一番良くないってなにかで読んだことがあるよな……。
僕はいったい、どうすればいいんだろう?
叔父さんが言うように、このままなにもせず庇護の対象であることに甘んじて生きていくのだけは嫌だ。
失ってからの後悔は、もうしたくない、
でも、じゃあ何をどうすれば?という段階になると……全く思いつかない。
「はぁ……」
目が覚めて何回目になるのか分からない嘆息を漏らして、僕は立ち上がった。
ボンヤリする頭をスッキリさせるために顔でも洗おうかと洗面所に向かう。
「………」
鏡に映るのは、19年間見慣れた僕の顔。
父さんにも叔父さんにも似ていない、同級生に比べれば少々子供っぽい顔だ。
容姿に関して特にひどいコンプレックスは持っていないつもりだけれど、そのかわり特に自信があるわけでもない。
ああ、改めて見ると……髪の毛の癖が、ちょっとだけ叔父さんと似てるかもしれない。
あの化け物、いや、かみさま?は、僕の口を借りて叔父さんと話をしていたんだよな……。客観的な自分の声なんて受話器越しにしか聞いたことがなかったから、すごく気味が悪かった……。
「あー……」
不安になって適当に声を発してみる。
うん、大丈夫だ。
今はちゃんと元に戻っている。
あんまり長時間、鏡を見てるのも精神衛生上悪い気がしたので洗面所を後にする。
もちろん二階になんて行く気になれない。
今行っても、おそらく僕だけではあの部屋はただの荷物部屋にしか見えないだろう。
……そうだ、僕は全然面識がなかったけど、祖父もなにかに関わっていたと聞いた気がする。
仏壇のなかになにか、手がかりがあるかもしれない……と、方向を定めたところで真夜中にも関わらずインターホンが鳴った。
___ピ、ンポーン___
反射的に肩が跳ねる。
こんな時間に誰だろうか……。
きっと叔父さんかな?
忘れ物でもしたのかもしれない。だって、彼以外にこの家に来る人物なんか……。
「うわ、本当に開けた」
玄関先に立っていたのは、叔父さんの元カノである
「……えっ?」
「ごめんごめん、随分な挨拶だったわ。……夜分遅くにごめんなさいね、えっちゃん」
「いえ、……あの、赤間さん、どうされたんですか?」
赤間さんは足首まである黒いワンピース姿で、小柄な体型も相まってよく目を凝らさないと夜の闇に溶けてしまいそうだった。
叔父さんの元彼女という微妙な関係性と強烈な初対面のシーンが頭の中に蘇ってきて、うまく赤間さんの顔を見れない。
「実は道に迷ってしまって……とか、そんなまどろっこしいことは今更もういいわよね。あのね、ウチは……」
彼女はただの、真子の家庭教師で拝み屋という不思議な職業に就いている叔父さんの元カノ。
それだけの人だったはずなのに。
「ワイラハイラに、遭いにきたのよ」
目の上で綺麗に切り揃えられた黒髪から覗く意志の強そうな
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