【イナエタ】の真実



「……は?」


 なくなる?

 叔父さんが?

 どういうことだろうか?


「いや、俺も最初に聞いたときはビックリしたけどさ〜」


 比奈夫ひなおはまるで日常会話の一片であるかのように振る舞い続ける。


「分かってしまえば、まあ単純なことなんだよな」


 ファミレスの席について店員さんにドリンクバーを頼んだ比奈夫は、さっさとコーラを汲んで戻ってきた。


「どうした? 越生えつおも取って来いよ」


 僕は頬の内側を舌で軽く突いて、深く息を吸い込んでから問いかけた。


「……比奈夫。さっき、なんて言った?」

「え? だから、お前の叔父さんがもうじきなくなるって話……」

「叔父さんが? なくなる?」

「あー、違う違う、いなくなる、だわ。ちょっと言い間違えた」


 『なくなる』と『いなくなる』、じゃ意味がずいぶん違うんだけどな……。

 でも、どちらにしても聞き捨てならない。


「言い間違えにしても、酷いんじゃないかな? 僕はそんなこと、全く聞いて……」

「そうなの? イナエタなら絶対お前に言ってるもんだと思ってたけどなぁ」

「叔父さんのことを、そんなふうに呼ぶな!!」


 ブクブクと空気を入れながら遊ぶようにストローでコーラを飲んでいた比奈夫は、いきなり席を蹴って怒鳴りだした僕を見て目を丸くする。


「……え、越生?」

「なんにも知らないくせに! 叔父さんのこと、なにも、なにも……ッ」

 

 立ち上がったはいいものの、次の言葉が出てこなかった。

 比奈夫に詳細を話すには少々入り組みすぎているし、そもそも話す気になれない。

 どうにかして友人である彼に概要を伝えたいけれど、でも、これは……。

 比奈夫のことを信用していないわけじゃない。彼のことは高校生活を共にした、大事な友人だと思っているし、これからも友達でいたいのに。

 でも、僕の内心とは裏腹に、喉の奥で詰まった言葉が出てくることはなかった。


「……えーっと、その……ど、どうしたんだ?」


 比奈夫は少し伸びたツーブロックの髪を手持ちぶさたに引っ張りながら、わかりやすく狼狽えている。

 思えば、僕は誰かの前でこうして激高したことなんてなかった。

 だから、ここからどうしたらいいのかわからない。

 深夜とはいえ、ファミレスの中は喧噪が満ちている。

 だから、僕たちに気を向ける人は少なかったけれど、立ち上がったままの状態ではどうしても目立ってしまう。

 次第に顔に熱が集まってくるのが分かる。


「……比奈夫まで、叔父さんを……イナエタなんて、言わないで……ほしい」


 やっとそれだけ伝えて、僕は飛び込むように着席した。

 比奈夫は相変わらず目を見開いたままだけれど、それでも「うん、わかった」と頷いてくれた。


「おっけー、了解。もう言わない。そのかわり、ちょっと俺の話を聞いてくれるか?」


 比奈夫はいつかのように、紙ナプキンにアンケート用のボールペンでつらつらと何事かを書き始める。


「いやー、まさか越生に怒られる日が来るなんて思わなかったぜ」

「べ、べつに怒ってなんか……」

「いーや、怒ったね。高校の頃、どうしたらお前が怒るのか仲間内で賭けたこともあったのに、お前はなにをどうしても怒らなかった」

「……そんなこと、してたのか」

「ホラ、気付いてすらいないだろ? だいたい、学校なんて異質な存在を篩にかけるための場所じゃんか。皆が浮かないように戦々恐々としてるのに、お前ときたらマイペースで、からかい甲斐がないったら……」

「僕、比奈夫にからかわれていたの?」

「最初の最初はな。それは悪かったよ。なんつーか、その、越生って、欲がないんだよな」

「よく?」

「高校生ともなれば、いろんな欲求が出てくるだろ? でもお前はまるで霞を食って生きる仙人の如き面構えでさ、どうしたもんかと思ったよ」


 ぜんぜん身に覚えがない。

 もしかして、大学でもそんなふうに思われているのだろうか。

 特に不自由や嫌な思いはしていないけど……。


「ま、話してみると案外良い奴だって分かったから、友達になったわけだけど」


 比奈夫は紙ナプキンに大きく書いた文字を僕に向ける。


「こう言っちゃ悪いが、父親の事件で茫然自失になった姿にちょっと親近感を覚えたぐらいだった。だから、急に俗人らしくなったお前にこの件で声をかけたんだ」


 そこには、カタカナで『イナエタ』と書かれていた。


「これはな、やっぱり、どうしようもなくお前の叔父さんを示す言葉なんだ」

「………」

「睨むな睨むな。普段怒らない奴の睨みはマジこわいから」

「ごめん……そんな、つもりじゃ……」

「いい、いい。謝るなよ。きっと、俺らの間に齟齬があるんだ」


 比奈夫はイナエ、とタの間に線を引く。


「ほら、これで左手と読める」

「えっ?」

「人の左手。手、はテ、の読みの他に手向たむけとか、タ、と読めるだろ? つまり、イナエタは元々、漢字で書くと人左手。人と左が纏まって佐手になって、佐が分解されてカタカナでイナエ、そして手をタと読んで……」


 こうなったんだ、と比奈夫は紙ナプキンの『イナエタ』を指さした。


「お前の叔父さんは、左手がないだろ? つまり、そういうことなんだって。嘲ったり、差別したりするつもりはない。ただ、身体的特徴を呼称しているだけ」

「で、でもそれじゃ……村の皆の態度は?」


 僕は確かに、叔父さんが酷い態度をとられている姿をみた。


「親父から聞いた話だと、叔父さんを村から出すために必要なんだってさ」

「村から、出す?」

「ホラ、本当は大事な息子なのに『愚息』と表現したり、贈り物を『粗品』と読んだりするだろ? あれは、謙遜の意味はもちろん、あえて貶めることで目を逸らせる効果があるんだ」

「目を逸らせる……って、いったい、誰から?」

「そりゃ、神様だよ。人間より高位の存在にバレないようにするため。もしもバレたら、連れて行かれてしまうから。まあ、昔は子供の突然死や窃盗が全部神様のせいってことになってたみたいだから、その時の風潮だな」


 ここまで、分かるか? と比奈夫に促される。


「それは……分かる、けど。でも、それと叔父さんがどう繋がるのか……」

「まあ、そう焦るなよ、夜は長いんだから。あのな、叔父さんは子供の頃……そうだな、俺らが生まれたばかりの頃に、大事なモノを壊してしまったんだ」

「大事なモノ?」

「俺ンとこに預けに来た、あの不気味な本だよ。なんか、この村の設立に関わる大事なモノだったとか。親父も詳しくは教えてくれなかったけど、けっこう派手に壊して、それから20年近くずっと修理をしているらしい。壊したせいで神の逆鱗に触れたとされて、下手に叔父さんに関わると祟りがあるから……なんて理由で、村の外れに住まわされてるって」

「た、祟りなんて……そんな……」

「な、アホらしいよな? でも、叔父さんは公然と糾弾の対象になってしまった。あんま言いたくないけど……お前の父親と腹違いってのも、それを助長させたみたいだな。一度皆から『軽んじても良い存在だ』とレッテルを貼られると厄介なんだ。特に日胤村みたいな、村社会では」

「………」

「だけど、もう殆ど修理は完成したらしい! 越生の父親の事件をきっかけに、叔父さんは村から離れたいと村長や俺の親父に漏らしていた。だから、祟りに目を付けられずちゃんと村を出るために、愚息粗品と同じ要領で大人たちは叔父さんをわざと無視したりキツく当たったりして……」

「……それ、本当に信じてるの?」

「どういう意味だ?」

「比奈夫は……、本当に、父親から聞いたその話を信じてるのか、ってこと」

「そりゃ……、直接聞いた話だし。本が治れば、また村は元通りに……」

「叔父さんを追い出して得る平和に、なんの意味があるのさ」

「追い出すんじゃなくて、叔父さんは自分から出て行くんだろ? ずっと村で暮らしてきたけど、仕事も順調だし、気分を変えたいんだと思うぜ? 本が直れば、こんな村に執着する理由もないだろうしさ」


 比奈夫は不思議そうに首を傾げる。

 そうだ、比奈夫は叔父さんに纏わる話をまったく知らない。

 どんな出生で、どんな生き方をしてきたか知らない。

 当人剥を隠すための生人剥のように、真実を隠すための建前や嘘にあっさり騙されて、それを疑うことすら知らない。


「……っ、」


 これまでに知ったすべてをぶちまけてしまいたかったけれど、やっぱりどうしても言葉にならなかった。

 言いたくても、言えない。

 さっきみたいに、言葉に詰まっているわけじゃない。

 本当に言いたいのに、言えない。

 これは、ワイラハイラに発言を止められているということだろうか。


「生人剥もさ、もう名前だけが残って中身は形骸化してるって聞いたぜ。文献に名前が残っていたのも、たまたま選ばれただけだって」

「……じゃあ、なんで叔父さんの左指はないと思う?」

「それはなにかの事故だろ? お前も、昔はそう言って……」

「違う!!」


 思いっきり頭を振って、否定の言葉を叫んでしまう。


「ど、どうしたんだよ越生……。今日はいったい……」


 何十にも嘘が巻かれて、真実が覆い隠されている。

 僕の脳裏には、ボロボロに泣きながら赤ん坊の首を絞めあげる子供の姿が蘇った。

 叔父さんはずっと、こんな気持ちだったのかもしれない。

 もう自分一人では手がつけれないほど膨れ上がった嘘と虚飾によって、誰からも理解されない無力感。

 僕も少し前までは、比奈夫の立場だった。

 ちょっと不思議な疑問に、首を傾げて安全地帯で悩んでみせるだけ。

 それはぜんぜん、悪いことじゃない。

 わるいことじゃないけど……。


「比奈夫……」

「な、なんだよ」

「僕たち、友達……、だよね?」

「そう面と向かって言われると照れるが、否定はしない。この話をするのだって、お前の精神的負担が楽になればと思ったからだし。俺の好奇心でお前を余計なことに巻き込んでしまったけど、思い悩むのは父親の容態だけで十分だろ?」


 暗い顔の僕を安心させるように、比奈夫はワザと大げさに笑う。


「ありがとう。その気持ちはうれしいよ。でも、比奈夫が聞いた話は、たぶん、真実じゃない」

「マジかよ。親父が俺に嘘をついてるって?」

「嘘……では、ないと思う。きっと、比奈夫と同じように……、息子に余計な心配をかけないようにするための、大人の気遣いなんじゃないかな」

「……なんだよ、それ。お前も大人側なのか?」


 口を尖らせた比奈夫を宥めるように、僕も笑った。


「ううん、僕は子供だよ……、どうしようもなく。でも、足掻きたいと思ってる。この悪手に囲まれた現状を、どうにか抜け出したい」

「あくしゅ?」

「いや、なんでもない。……だから、比奈夫。お願いがあるんだけど……」

「金か? 女か?」

「両方要らないよ。僕が欲しいのは、情報なんだ」


 知るべきことと、識らなくてもいいこと。

 その違いが、ようやくわかってきたかもしれない。


胤待たねまち神社に、行かせてほしい」

「そりゃ、来ても良いけど、俺は家の鍵も持ってないから……」

「もちろん、今すぐじゃなくてもいいよ。そのかわり、ちょっと親父さんの気を引いていてほしい。ついでに、おばさんも」

「……なにする気だよ。犯罪なら手をかさねぇぞ」

「あはは、大丈夫。悪いことなんてしないよ」


 真実なんて、どの角度から見るかによって変わる。

 だけど、判断するための材料くらい……自分が納得するまで集めたい。

 僕は善良な友人に感謝しつつ、ちょっとだけ芽生える罪悪感を押し殺した。


「ただの、社会勉強だから」




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