エピローグ 畏ラ拝ラの追行




「……あのさ、いつまで黙ってるの?」


 朝起きて顔を洗うとき、寝る前にお風呂に入るとき、鏡に映る僕は相変わらず無表情だ。

 実際はこんな能面みたいな顔はしていないと信じたい。

 もしもずっとこんな顔なら、とっくに誰かに指摘されていると思う。

 試しに写真を撮ってもらったら、その時は普通の表情だった。


「……黙ってちゃ、わからないんだけど」


 鏡に向かって、何か言いたげな自分に問いかける。

 やっちゃいけないことらしいけれど、あんまりにも鏡の中の僕がなにか言いたげだから、つい定期的にやってしまう。


「あの時……、叔父さんに本の隠し場所を言ったのは、僕の意志じゃない」


 言ってしまえば、きっとよくないことが起こると思った。

 でも、僕の声は素直に叔父さんに隠し場所を教えてしまった。

 本を手にしたら、叔父さんがどんな行動にでるか、アチラに分からないはずはないのに。

 その他にも、逃走時の痛みを肩代わりしてくれたような、僕の行動へ助言をしてくれたような……そんな気もする。 


「なにがしたいのか、よくわからないけど……でも、結果的に誰も死ななかった。叔父さんがまだ目覚めないのが、気になるけど。もしかして、のせいなのかな?」


 半年を少し過ぎても、叔父さんは相変わらず昏睡状態だった。

 身体の傷はほぼ治ったらしいとお医者さんに聞いても、安心材料とは言えない。

 

「……なんてね」


 あんまり自問自答するもんじゃない。

 ここでいきなり自分の口が勝手に語り出しても気味が悪いので、僕は洗面台から目を逸らした。




***




 その日の夜。

 こんな、夢をみた。


「………」

「……ん?」


 布団の中で眠っている僕を、もうひとり、子供の僕が座って見下ろしている。

 子供……と、いうよりも赤ん坊に近いかもしれない。

 だから容姿もあやふやだったけれど、直感的に自分だ、と思った。


「……っうわ!?」


 思わず跳ね起きて、赤ん坊と向き直る。


「……な、なに……?」

「リンタが、言った」

「えっ?」

「人間がバケモノと話すと……気が狂う、と」


 姿形は幼いのに、喋り方は意外とハッキリしていた。


「やっと得た念願の共生主きょうせいぬしに、なにかあっては、困る」

「えっと……共生主、って……僕のことだよね?」


 赤ん坊はコクリと頷く。


「叔父さんに言われたことを気にして、喋りかけてこなかった……って、こと?」


 また、ひとつ頷く。


「リンタは、此方こちらをひどく嫌っている。でも此方は、リンタを嫌っていない」

「ど、どういうこと……?」

「何度も何度も、此方は生まれ落ちる瞬間に葬られた。だが、リンタのおかげで、ようやく目的を果たせた」

「目的……って?」

「有るはずだった肉体を得て、世界を観測することだ。リンタは、世界の醜さを説いて何度も諦めさせようとしたが、醜さなど、とうに知っている。此方は善い悪いもなく、観測したいだけだったのに」

「そうなんだ……まあ、でも手段が悪かったよね……たぶん」

「邪眼は、人間の事情を無視しすぎた」

「うまい話には裏がある……って、ことなのかな」

「その言い回しは、よくわからない」

「ああ、ごめん。えっと……」

「いい。もう、語るな」


 赤ん坊は妙に老練した動きで立ち上がる。


「助言をしたのは、此方なりに、最良の結果を期待して動いただけのこと。此方は今の共生主の存続を望んでいる。リンタの中にはいきたくない。リンタは此方と似て非なるものの情報ばかり集めて、此方に当てはめようとしていた。此方は此方であるだけなのに」

「………」

稀有主けうぬしとの契約は、もう途絶えた。あとは共生主と共に朽ち果てるのみ」

「もしかして……やっぱり、僕も死なないといけないの?」

「此方が完全に消え去るには、それが必要だ」


 冗談のつもりで聞いたら、赤ん坊は間髪入れずに答えた。


「長く見積もっても、あと百年以内には果たされる」

「ひゃ、百年?」

「共生主の肉体で120歳以上生きるのは、やはり難しい……」

「いや、そんなに生きるとは思ってないけど……」


 どうやら、死に対して物騒な方法をとらなくてもいいらしい。


「此方はただ、見ているだけだ。もう、邪魔はしない。語りかけない」


 赤ん坊の表情は、寝る前に見た鏡の中の僕と同じく終始無表情だった。


「其方に、狂ってほしくない。共生していたいから」


 だけど、その代わりに声色がどんどん僕とはかけ離れて情緒豊かになっていく。


「ずっと、みている」


 その仄暗い言葉は、聞く人が聞けば死刑宣告にも等しい絶望に感じられただろう。

 だけど、僕は20年間ずっと共に過ごした、双子の片割れにも等しい存在からの激励に思えた。


「……わかった。もう、喋りかけないよ」

「………」

「そのかわり、ずっと、みていてね」


 最近の習慣でつい右手を差し出したら、赤ん坊は僕の手を不思議そうに見つめながら消えていった。


 それから、鏡の中の僕はちゃんと僕の顔を取り戻した。

 時々誰かに見られているような気がするけれど、次第にそれも日常の煩雑さに紛れていく。




***





 そしてまた、僕は人を待っている。


 「……うーん」


 もう何度目になるか分からない欠伸をかみ殺して、車内で伸びをする。

 相変わらず、叔父さんに貸して貰った軽トラが僕の愛車だ。

 そろそろ自分の車が欲しいところだけれど……まあ、アルバイトを頑張るしかない。


「えっちゃん」


 遅刻の常習犯である僕の雇用主は、今日もたっぷり遅れてやってきた。


「ごめんごめん、お待たせしました」


 結局、叔父さんは丸々一年眠り続けて、加々美さんの子供が拙く喋り始めたころにようやく目を覚ました。

 僕たちに声と涙が枯れるまで謝り倒したあと、少しずつ安定を取り戻した叔父さんは、今は加々美さんたちと一緒に村外れの家に住んでいる。


「本当だよ、ずいぶん待ったんだから」


 右と左で目の大きさが違う叔父さんは、眩しいものでも見るように目を細める。

 左右非対称の動きは、人によっては不気味に思えるのかもしれない。

 でも、そんな見た目の差異なんて、見慣れてしまえばどうということはない。


「えっちゃんは本当に、我慢強いですね。頭が下がります」

「おかげさまで、鍛えられたもので」


 助手席の扉を開けた叔父さんから荷物を受け取る。

 いつも肩からかけている、妙に軽い古ぼけた革の鞄を座席の間に押し込んで、叔父さんの右手をとった。


「ありがとうございます」


 軽トラックの僅かな段差ぐらい、左手を全て失ったとしても叔父さんならヒョイと乗り越えられることを、僕はもう知っている。

 でも、僕は手を貸す習慣をやめるつもりはない。

 叔父さんも素直に僕に引き上げられて、助手席に身体を収めた。


「そうだ。ホラ、コレをみてください」


 叔父さんが鞄の中から文庫本を取り出す。


「じゃんっ! 禁俗口承案内の、最新刊です。四巻って、縁起が悪くて良いですねぇ」

「良いの? そっか、やっとできたんだ。おめでとう」

「もともと話は進んでいたんですけどね、不義理をしたせいで頓挫してしまって……でも、そのおかげで認知度が広まって、出版と相成ったわけです」

「なんか、それって炎上商法じゃない?」

「まあまあ、怪我の功名ですよ」


 さらに短くなった左手は、いつものように余った袖の中に結われて見えない。

 記念にあげます、と叔父さんは僕の鞄の中へ真新しい本を押し込んだ。


「これから色々と入り用ですし、仕事があるのはありがたいことです」

「そうだね。加々美さんたちは元気?」

「心配になるほど元気ですよ。赤ちゃんの世話は、えっちゃんで慣れたつもりでいましたけど……やっぱり個体が変わると全然違いますね。えっちゃんがいかに大人しい赤ん坊だったか、よくわかりました……」


 珍しく疲れを隠し切れていないと思ったら、意外と苦戦しているらしい。


「父さんがまた、僕らと同居すればいいのにって言ってたよ」

「そうですね……今の家は村の方のご厚意で貸していただいているだけなので、自分の家というものは魅力的ですね。ですが、まだ、私たちが戻るのは……」

胤待たねまち神社の神主さんがさ、今度の自治会でハイルって話をするらしいよ」

「いるはいる?」

「人の世の不浄を担ってくれる存在への感謝を忘れなければ、過去も未来も現在も救われるって……そんな話みたい。比奈夫から聞いたんだ」

「それって……、もしかして、あの……」

「そう、僕らにとってはワイラハイラのことだね」

「驚きました……まさか、本当にそんな、ことが……」

「真実を面白おかしく伝えるためには、似て非なる別のもので覆い隠すのが一番だって、叔父さんから教えてもらったからね」

「私も……考えないことは、なかったのですが……そんな夢物語、無理に決まってると、思っていました……」

「実際、僕一人の力じゃ無理だったと思うよ。でも叔父さんたちの行動と、比奈夫や真子の存在で……なんとか形になったんだ。神主さんも、息子が神社の経営にやる気をだして嬉しそうだったよ。僕も意外と、あることないこと組み立てるのが上手いみたい」


 叔父さんに似たのかなぁ?と笑いかけてみせたら、叔父さんは観念したように肩の力を抜いて座席に身を沈めた。


「……負けましたよ、えっちゃんには」

「あはは。やっと分かってくれたんだ」

「ええ。もう、嫌というほど理解しました」


 叔父さんが片手で器用にシートベルトを装着したのを確認して、エンジンをかける。


「さて、どこに行こうか」


 叔父さんはちょっと考えた後、今日の行き先を口にする。

 二人分の重みを乗せた愛車を操って、慣れ親しんだ公道に出た。


 僕の叔父さんはきっと、これからもノロイの残滓なのだろう。

 でも、まだ、生きてる。

 そして、これからも。

 僕らと一緒に、生きていく。








 おしまい。

 

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左手のための悪手 竹原穂 @ppdog

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