煎茶とチョコレート





「わらみみわらはなわらくちわらめ……ですか」


 叔父さんの運転手をする時は、約束の時間に家まで迎えに行くのがならしょうだ。

 村の外れに居を構える叔父さんの家は、平屋の庭付き一戸建てと一人暮らしにしては広い。

 もともと誰かが住んでいた場所をそのまま使っているらしく、叔父さんの意志で選んだわけではないと聞いたことがある。

 叔父さんが僕らの家を飛び出したとき、叔父さんはまだ未成年だったから、村の大人が手頃な空き屋を紹介したのだとか。

 それにしても、こんなにも村の端っこの家を充てがわなくてもよかったのに、と思う。

 子供の頃は疑問に思わなかったけれど、よく考えたら左手が不自由な叔父さんを、雑草が生い茂り禄に舗装もされていない悪路の果てにあるような隅っこに追いやるなんて、ちょっとおかしいかもしれない。

 まるで、臭いモノに蓋をするようだ。

 慣れない運転で無事に叔父さんの家にたどり着くことにばかり気を取られて、僕はそんなことにすら思い至らなかった。

 なんでだろう……。

 とにかくだと、ずっと思ってきた。

 食パンを買いすぎてしまったからお裾分け、なんていう適当な口実で、わざと早めに到着して叔父さんの家の門を叩く。

 叔父さんは約束の時間を守らなかった僕にちょっとだけ驚いた顔をしていたけれど、すぐに柔和な笑みを浮かべて室内に招き入れてくれた。

 いつ来ても綺麗に整頓された室内なのに、今日は少し荒れているようだ。仕事が忙しいのだろうか。

 ソファの上に乱雑に重ねられた毛布をどかして、空いたスペースに座らせてもらう。

 叔父さんは電気ケトルのお湯で湯飲みを温めている間、真新しい茶筒をキュポンと開けた。

 左手の指がなくても、器用に関節や脇を使うので、日常的な動作はお手の物だ。

 叔父さんの家に行くと、大体いつも煎茶を出してくれる。

 子供の頃はあの独特な味を奇妙に思ったのに、何度も飲むうちに慣れてしまった。

 十分に湯飲みが温まったら、お湯を捨てて急須から澄んだ淡い緑色を注ぐ。

 この、温める一手間が大事らしい。

 残念ながら僕は猫舌なので、淹れたてはしばらく手を付けられない。

 適温になるまでの時間を使って、僕は先週の奇妙な出来事をかいつまんで話した。

 相槌を打ちながら最後まで聞き入ってくれた叔父さんは、僕が聞いた奇妙な言葉を何度か舌の上で転がす。


「どうかな? 叔父さん、なんのことか分かる?」

「ええ、分かりますよ」


 叔父さんは僕のぶんだけの煎茶をローテーブルの上に置いて、自分はその場に正座している。

 昔から正座が好きだと言って、椅子に座っている姿はあまり見たことがない。

 

「わかるの!?」

「私はそれが専門ですから。大丈夫です、えっちゃんは関係ありません。気のせいですよ」


 あっさりと杞憂を指摘されて、肩の力が抜けた。

 叔父さんに会うまでの一週間、車窓越しに見た鷹揚な男のことを生活の端々で何度も思い返しては背筋を凍らせていた僕がバカみたいじゃん……。

 ホッとした僕は、ちょうど良い温度になった煎茶に口をつける。


「……あれ、これ美味しいね。いや、いつも美味しいけど」

「やっぱりお目が高いですね。ついさっき、新しい茶葉をいただいたんですよ。えっちゃんが来てくれて、ちょうど良かったです」

「なんで?」

「1人だと、なかなか新品を開封しようと思えないんです。つい、有りモノで間に合わせてしまうので」

「そういうものなの? 別に、1人でも美味しいもの飲めばいいのに」


 叔父さんの右側の二重瞼が、痙攣したように数回瞬きを繰り返した。

 左側の一重瞼は全く動かない。

 結び目のある左袖でちょっとだけ目頭を押さえて、叔父さんは両目を閉じるように極限まで細める。


「叔父さん? 見えてる? それで」 

「……見えてますよ。えっちゃん、今日はパンをありがとうございました。私、あそこのパン屋さん好きなんです」

「それならよかった。家の近くのお店なんだけどさ、前に一緒に住んでたときよく買ったよね」

「はい。引っ越してからは足が遠のいていたので、うれしいです。それじゃあ、ちょっと早いですが支度しましょうか」

「いやいや、ちょっと待って!?」

「待ちますよ? お茶のおかわりでもいりますか?」


 今にも台所に向かおうと立ち上がろうとした叔父さんをあわてて引き留める。


「そうじゃなくて……えーっと、その……詳細が知りたいな、っていうか」


 比奈夫ひなおと約束した手前、この一週間僕なりに記憶を辿ったり調べたりしたものの『イナエタ』についての収穫はゼロだった。

 それは比奈夫も同じらしく、何度かスマホでやりとりした後は返信が途絶えて久しい。

 どうして叔父さんが周囲から疎まれるのか、誰も教えてくれないのが日々少しずつストレスになっていた。

 本人に聞いたって教えてくれるわけがないから、こうして遠回りでも糸口を探る。


「……『えっちゃんは関係ない』、だけ、じゃ、不服ですか?」

「不服って、いうか……まあ、もうちょっと気になる、かな」

「そうですか。それじゃあ」


 叔父さんはローテーブルの下からテレビのリモコンを取り出してスイッチを入れ、そのままいくつかのチャンネルをザッピングしはじめた。

 何を見せられるのだろうと動向を見守っていたら、叔父さんの指はあるニュース番組で止まる。




【……で、身元不明の男性の遺体が発見されました。遺体は身長180センチ、体重およそ53キロで年齢は不明です。遺体は死後数日経っていると見られ、頭部に外傷があるとのことです。警察は司法解剖をして死因を調べるほか、行方不明者の届け出などを含め遺体の身元を…】




 叔父さんはそこでブツンとテレビの電源を切った。

 報道されていた場所は、聞いたこともないぐらいここから遠く離れた県。

 黒い鏡になったテレビに、ソファの上で呆然とする僕と正座を続ける叔父さんが映る。


「あの方が、藁人形に入っていた耳の持ち主ですよ。もうこの世にはいませんが」


 え?

 なに?

 僕は何を見せられたんだ?

 ただのニュース?

 よくある身元不明者のニュース?

 当日だけ騒がれて、明日には誰もが忘れてしまうような、そんな……。


「ね? 関係ないでしょう?」


 叔父さんはずっと細めていた両目をゆっくりと大きく開ける。

 片側だけの二重瞼が今にも裏返らんばかりにめくれ上がって、血走った白目が蒼く光った。

 これ以上迫るな、というはっきりとした拒絶の意志。

 二人の間に流れる空気がヒリついて、嚥下を忘れた唾液が下顎に溜まっていく。


「呪われた人間の詳細なんて、きみはらなくていい」

「………」

るべきことと、らなくていいことを見誤らないで下さい」


 普段は全く見せない叔父さんの峻烈しゅんれつな一面に気圧されて、僕は何も言い返せなかった。


「でも、私に興味を持っていただけてうれしいです。『わらみみ』がお気に召さなかったようなので、もうこの件に関してはきみに語らない方がいいかと思っていました」


 言葉をなくした僕をみて満足したのか、叔父さんはいつものように目尻を下げる。


「つまらない話になるかもしれませんが、興味があるなら事の顛末についてお話しましょうか?」


 まだ言葉を思い出せない僕は、ただ首肯することで意志を伝えた。

 限界まで溜まった唾を、呼吸困難になる前にやっとの思いでゴクンと飲み込む。


「じゃあ、誰にも言わないでくださいね。私と、えっちゃんだけの、秘密にして下さい。絶対に、破らないで下さい」

「……わか、った」


 叔父さんは嬉しそうに口角を持ち上げて、「それじゃあ、お茶請けも用意しましょう」といそいそと立ち上がった。


「まだ時間はありますよね。美味しいチョコレートもいただいたんですよ。アーモンドが入ったチョコレートです。意外に思うかもしれませんが、チョコレートに一番合う飲み物は煎茶なんです。お茶の渋味と甘いチョコレートが良い塩梅でして……。元来、チョコレートもお茶も薬として扱われていた過去があったとなれば、それもまた頷けるかと」


 目の前に一粒ずつ綺麗に飾られたチョコレートの箱が差し出される。

 叔父さんがニコニコと笑いながら僕がどのチョコレートを選ぶのか延々と待つので、適当に手を伸ばして口の中に入れた。

 カラカラに乾いた舌の上で溶けるカカオの味はまるでよくわからなかったけれど、冷めたお茶でなんとか流し込んで好意に応える。


「うん、美味しいよ。ありがとう」

「たくさん食べて下さいね。持って帰ってくれてもいいんですよ」

「いや、大丈夫だって。叔父さんも食べてよ」

「私はもういただきましたから」


 箱の中のチョコレートは、僕が食べた一粒分しか減ってないのに?

 食べ物に限った話じゃなく、叔父さんはいつも僕に気を使って、でも気を使っていることすら僕に気付かせない。

 自分が飢えてでも、相手に与えようとする。

 成人を間近にして、やっと少しだけ叔父さんの気配りがわかってきた。

 もしも『無償の愛』なんてものが本当に実在するなら、きっと叔父さんの形をしていると思う。

 血塗れの藁人形に押し込まれた千切れた耳が脳裏を掠めるけれど、不穏な身元不明遺体のニュースも背筋を凍らせるけれど……叔父さんが僕に伝えようとすることには、なにか意味があるのだと信じたい。

 左右非対称の、見慣れた叔父さんの顔を見つめた。

 叔父さんを取り巻く全てが今は怪しく蠢いているのに、なぜか当人だけが昔と変わらずあたたかくて穏やかだ。

 コホン、と一つ咳払いをして叔父さんが語り始める。


「『わらみみわらはなわらくちわらめ』というのはですね。わらみみ、わらはな、わらくち、わらめ、と区切ります。どういうものかは、えっちゃんも見たとおりで、藁人形に身体の指定部位を押し込んだものです。通常、藁人形は他者への呪いですが、『わらみみ』は自己への呪いなんです」

「自己への……呪い?」

「例えば、程度は違いますが何か大事な出来事に挑戦するとき、自分で自分を励ますために両手で頬を打ったりしますよね?」

「そういうときもあるね」

「自分で自分を傷つけることで、鼓舞に繋がるという考えは昔から根付いています。それを極端に解釈して広まったのが、『わらみみ』たち。これだけ苦痛を受けたのだから、これだけ覚悟があるのだから、必ず満願成就するはず、という誓いです」

「……は?」


 思わず気の抜けた声が漏れる。

 

「耳も、鼻も、口も、眼も、一つ差し出しても生きていくことは出来ますよね? 耳や眼は二つありますし、口だって上唇と下唇の二つがあります。どこまでを口と定義するかは諸説ありますけど。鼻は削いでも死にません。後の生活は不自由になりますが……身体の一部をなくしても、慣れれば案外と大丈夫ですよ」


 叔父さんが言うと、実感がこもりすぎてリアルだ。


「で、でもそんなの……聞いたことがないし、そんな、まさか自分の身体を進んで傷つける人なんて……」

「……ない、なんて言わないで下さいね。名の知れた芸術家も次々と手を染めている行為ですし、ある種の中毒患者だって広義では同じです。自分の身体をちゃんと大事にできるのも一つの才能なんですよ。多数派が居るということは、少数派もいるということですから。歴史を紐解けば、目的達成のために自傷を厭わない人間の存在は複数確認出来ると思います」

「………」


 言葉が出てこない。

 世界史や日本史の授業で、チラッとそんな人の話を聞いた気もするけど、全く馴染みのない倫理観に僕はついていけなかった。

 黙り込んでしまった僕を叔父さんは心配そうにのぞきこむ。


「えっちゃん? 大丈夫ですか? やっぱり、つまらなかったですか?」

「つ……つまらない、っていうか……その、ビックリしてるだけで、えっと……」


 考えが全くまとまらない。

 でも、これは僕が自分自身で望んで知ったことだから、逃げられない。

 逃げるつもりも、ない。


「……叔父さんの『仕事』って、そういう……怖い話を集めることなの?」


 等端ひとはしりん、というペンネームで怪奇系フリーライターをしている、という肩書きは知っていたけれど、もっとライトでメジャーな題材を扱っているものだとばかり思っていた。


「まあ、平たく言うとそうですね。『怖い話』になる前の雛を集める……と、言った方がいいかもしれません。世に出る前の、誰も知らない本物の呪いを知りたいんです。……私の、左手のために」


 叔父さんは左袖の結び目をソッと撫でる。

 かつて存在していたものを慈しむように、惜しむように、讃えるように。


「……私の指がなくなったのは、生人剥しょうにんはぎのせいだと、聞きましたね?」

「っ……!?」

「隠さなくてもいいですよ。いつから知っていたのかはわかりませんが、狭い村ですから、いつかはえっちゃんの耳に入ったでしょう」

「ご、ごめん、僕……」


 少なからず隠し事をしていた罪悪感で、思わず謝罪の言葉が口をついた。


「そんな!? 謝らないで下さい。むしろ、知っていながらも変わらず私と関わってくれて、本当にありがとうございます」


 叔父さんは土下座せんばかりに僕よりもさらに深く頭を下げる。


「でもね、私は生人剥なんてやってないんです」

「……えっ?」

「このとおり、左指は失っていますが……生人剥をされた記憶なんてありません。それに、生人剥なら指だけではとてもすまされないでしょう」


 頭をもたげながら、確信に満ちた眼で叔父さんは僕に告げた。


「誰かが嘘を、ついています」



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