第27話 予約したケーキ

「いらっしゃいませ。……おや? 広谷君じゃないか。今日はデートかい?」


 何故だが急に一緒に行くと言い出した柿木と二人で、ケーキを予約した喫茶店にやってきた俺達。


 どうせ外に行くのなら、ついでにケーキを受け取って来てよと柿木には言ったのだが、それは私の仕事ではありませんときっぱりと断られてしまった。なんだか今日の柿木は俺に厳しい。


 店内に入ると、顔馴染みのダンディな髭を生やしたマスターがコップを磨きながらこちらに挨拶。


 この店は知る人ぞ知る名店と言う感じで、いつもならチラホラとお客さんがいるのだが、どうやら今日はいないらしい。


「まぁそんなところかな。予約してたケーキを受け取りに来たんだ。あとついでに〈スパイシーカレー 広谷スペシャル〉と〈イチゴパフェ〉をお願い。あ、〈ほうじ茶〉も欲しいな。勿論、熱々で」


 ケーキというのは非常に奥が深い。ケーキ屋さんに行けば、ある程度のクオリティが約束されたケーキが必ず出てくるが、こうしたケーキをメインとして取り扱っていないお店でも時折素晴らしいケーキに出会える。


 これがあるから俺は、毎週毎週ケーキがメニューに載っている様々な店を練り歩き、どこのお店のケーキがどのように美味しいのかデータを取っているのだ。


 ちなみにこの喫茶店のケーキは自家製の生クリームをふんだんに使っているのが大きな特徴。なんでも実家の牧場から取り寄せた新鮮な牛乳を使って作っているらしい。


 さらに使用するフルーツも、その年の平均気温、最低気温、降水量と様々なデータからケーキ作りに最も適した産地を毎年見極めて購入しているそうだ。


 冷静に考えると、ちょっとこの喫茶店のマスター、ケーキ作りに本気出し過ぎじゃなかろうか? いや美味しいケーキが出てくるなら俺はそれで構わないんだけどさ。


「それでは私は〈エスプレッソ〉を」


「かしこまりました」


 そしてこの喫茶店の凄い所は、これだけケーキに気合を入れているのに、コーヒーの種類も豊富で味も中々のものらしいという事だ。


 俺は苦いものが苦手でコーヒーは飲めないが、よくこの喫茶店に通っている人がそう言っているのを耳にする。


 はぁ、うちの事務所の下にある喫茶店もこのくらい充実していたらなぁ。


 いやそもそも、あそこの喫茶店はマスターからしてやる気があるのか不明だ。いつ顔を出しても気難しそうな顔をして、いらっしゃいませの一言も無い。そして何故か常に包丁を研いでいる。あの190㎝に迫る身長と、ボディービルダーのような圧倒的な筋肉は近くに居る者を威圧し、客も一切寄り付こうとしない。


 あれってホントに喫茶店のマスターなの? 何をどうすればあんな筋肉を喫茶店の経営をしながら維持できるの? そして瞼のあたりにある大きな傷は何? 歴戦の戦士みたいだよ? マスターってよりも軍曹って感じだよ?


 ダメだ、この完璧なマスターを目の当たりにしたせいで、ダメな方のマスターへのツッコミが止まらなくなってきた。


「なんだか『プロティ』とは大違いですね。マスターも優しそうですし」


 俺と同じように二つの喫茶店を比較していたのだろう。柿木もこの恐怖を感じさせない完璧マスターには大満足らしい。


 ちなみに『プロティ』というのは、事務所の下にある喫茶店の名前だ。


 『喫茶プロティ』、その店名の意味を聞いたことは無いが、プロテインから名前を取っているんじゃないかと俺は推理している。だってあのマスターの筋肉はプロテイン無しでは維持できそうにないし。


 そして完璧な方の喫茶店であるこっちの店名は、『喫茶doux』。フランス語で甘いという意味らしい。ケーキ作りに気合を入れ過ぎているこの店にピッタリ名前だ。


「そうなんだよね。せっかく職場近くに喫茶店があるのに、軍曹が怖いからって俺以外誰も店に行かない」


 柿木は俺がいれば嫌々ながらも『プロティ』に付いて来てくれるが、他の皆は頑として店に行こうとしない。


「あそこのマスターを軍曹なんて呼べるのは八尋君くらいですよ。実は殺し屋で、喫茶店の経営はその隠れ蓑って言う噂もありますからね」


 軍曹、うちの社員に怖がられ過ぎである。


 なんだよ、殺し屋の隠れ蓑に喫茶店のマスターって。シティーハ〇ターの海坊主じゃないんだから……。


「そうだ、今度の忘年会は『プロティ』でやろうか? あそこはお酒も置いてあるから、きっと盛り上がるよ」


「当日、謎の急病人が続出しそうですね……。それと忘年会はもう店を押さえてあるので、今更変更は出来ません」


 そうか、残念。いつも客のいない『プロティ』にお金を落とそうと思ったのに。


 そうこう話していると、カウンターの方からマスターがお盆を持ってやって来た。


「お待たせいたしました。こちら〈スパイシーカレー 広谷スペシャル〉、〈イチゴパフェ〉、熱々の〈ほうじ茶〉、そして〈エスプレッソ〉でございます」


 うおお、これだよ、これ! これを待ってたんだ。


 〈スパイシーカレー 広谷スペシャル〉はこの店の裏メニューである〈スパイシーカレー〉を俺の要望の元、通常の十倍辛くしたオリジナルメニューだ。


 店に通っている内にマスターと仲良くなった俺は、〈スパイシーカレー〉を頼むたびに、もうちょっと辛くできない?もうちょっと、もう一声、と少しずつカレーを辛くしていった。するといつの間にか、俺の頼む〈スパイシーカレー〉は〈スパイシーカレー 広谷スペシャル〉と言う名の新たな裏メニューにまで昇華したのだ。


 まぁ俺以外にこのメニューを頼んだ人はまだ居ないらしいけど。


 机に頼んだ商品が置かれると、マスターは俺の方に視線を向ける。


「ケーキの方は帰り際に渡すね? それと広谷君、君って探偵だったよね? ちょっと相談事があるんだけど、いいかな?」


 何故俺が探偵だとバレている!? 俺は自分から探偵と名乗ったことは一度もないぞ? 


 そんな俺の驚きが表情にも表れていたのだろう。マスターは俺の反応を見て、言葉を付け足す。


「ほら、ここらは田舎だろ? 誰がどんな仕事をしているのかとか、誰と誰が付き合ってるだとか、知りたくなくても情報がいっぱい入って来るんだよ」


 なにそれ、田舎怖い……。田舎民にはプライバシーというものは存在しないのだろうか。


「相談事……つまりそれは依頼ということでしょうか?」


 仕事の匂いを嗅ぎ付けて、すぐさま仕事モードへと気持ちを切り替える柿木。まぁ柿木がいるならどんな依頼だろうとちょちょいのちょいだから安心だ。これが俺一人の時に言われていたら、適当な理由を付けて断っていた所だよ。


「いやいや、そんな大げさなものじゃないよ。軽い世間話みたいなものさ。広谷君は名探偵だと聞いたから少し力を貸して欲しくてね」


 なるほどつまりはお金は掛けたくないが、頭脳は貸して欲しいという事か。


 ていうか誰だ、俺を名探偵だなんてガセ情報を流した奴は。詐欺罪で逮捕してやろうか? 


「そうですか……。ではまずはお話を聞かせてもらっても? その内容によって依頼となるか、それとも単なる相談事となるかを判断しますので」


 そう言って自分と俺の名刺の二枚をマスターに差し出す柿木。


 マスターはそれを見て、柿木に返答。


「そうさせてもらうよ」


 ……マスターは当初、俺に話を持ち掛けて来ていたハズなのに、いつの間にか柿木が話の主導権を握っている。何故だ……。



 そしてマスターはその相談事の内容を話し始めた。


「先週の金曜日、あるおじいさんが店にやって来たんだ。多分初めて店に来た新規のお客様だと思う。そのおじいさんはコーヒーと一緒に食べた僕のケーキをとても気に入ってくれたようでね。クリスマスのケーキの予約はまだ受け付けているかと僕に訊ねた」


 うんうん、この店のケーキは衝撃を受けるくらい美味しいからね。そのおじいさんの気持ちはよおーく分かるよ。


「喫茶店のうちにクリスマスケーキを予約する人なんてそうは居ない。まだケーキを作る余裕があると考えた僕は、はい受け付けていますよと答えた」


 クリスマスイブ一週間前での予約というと、ケーキ屋さんでは既に予約を締め切っている店が多い。


 にもかかわらず、この店ではまだ予約を受け付けていたということは、それだけこの店のケーキの美味しさが世間に知れ渡っていないということ。くっ、なんという社会的損失。うちの会社のホームページでここのケーキを宣伝させてくれないかな? 今度社長に聞いてみよう。


「そうしたらそのおじいさんは、『来週、二十四日のお昼頃受け取りに来る』、そう言ってケーキの予約分のお金も支払って店を出て行ったんだ」


「なるほど、話が見えてきましたね。その状況で発生する問題事など一つしかありません」


 ここでマスターの話を聞くために沈黙を保っていた柿木が口を開く。


 ふむふむ、一つしかないのか。それは凄い。お、この『イチゴパフェ』いつもよりもイチゴの数が多い。それに前まで外側はバナナだけだったのに、これは上側はバナナ、下側はクッキーに変更されている。これが噂の隙を生じぬ二段構えってやつか。メニュー表には何も書かれていなかったのに、突然のこのマイナーチェンジ。やはりこの店のマスターは侮れない。


「そう、二人共既に察しがついている通りだ。クリスマスイブの今日、ついにおじいさんは現れなかった」


 スマホを確認すると、現在の時刻は十六時半。お昼頃と呼べる時間はとっくに過ぎている。


 あーあ、おじいさん日にち間違えてるんじゃないの? それか超寝坊。


 まぁ来なかったものは仕方ない。しかしケーキの代金が既に支払い済みなら店としても特に損失は無いように思えるが、マスターは俺達に一体どうして欲しいのだろう? 余ったケーキの処分とかなら喜んで手伝うけど。


 まぁ俺がどんなに頭を悩ませても問題は解決しない。俺に今出来るのは、柿木が問題を解決するのを、ただ横でパフェでも食べながら見守っている事だけだ。


 ――……いやー、カレーとパフェを一口ずつ食べるのは相変わらず最高だな。辛いのと甘いのが交互に来て、それぞれの個性をより深く体感できる。スプーンを動かす手が止まらないよ。


 そんな食べる事に忙しい俺を見て、こいつはもう戦力外だと判断したのか、柿木とマスターは俺を置いてどんどんと話を進めていく。


「しかしおじいさんのためのケーキは一生懸命作った力作だ。これがおじいさんの手に渡らずに処分されると言うのは、いちパティシエとしてとても悲しい」


 いやあなた喫茶店のマスターだよね? 随分ケーキ作りに熱が入ってるなぁとは思っていたが、本人の認識ではパティシエだったらしい。


「どうにかしておじいさんの住所を調べる事は出来ないかい?」


 そんな店に一回来ただけのおじいさんの住所なんて見つかる訳がないじゃん。これは無理、無理すぎる。俺が無能かどうかなんて関係なく、誰も達成することのできない類の話。探偵は魔法使いではないのだ。


「分かりました。タダで引き受けましょう」


 ほら、柿木だって断っ――ってえぇぇええ!? 何で? ちょっと柿木さん!? こんな明らかに達成困難な依頼をなんで受けちゃうの!? それもタダで!? 


 やはり頭の良い人の考える事はよく分からないな……。


「ほ、本当かい? 僕も話してる内にこれはちょっと無理だろうと思い始めてたんだけど……」


「勿論、絶対におじいさんの住所を割り出せるという事は約束できません」


 それはそうだろう。こんな依頼を絶対に達成して見せると言う奴がいたら、それは探偵でなく詐欺師だ。


 でも何故タダで? これは普通にお金を取るべき話なのでは? そう俺とマスターが二人して思っていると、柿木がその疑問に答えをくれる。


「うちの業界は地域密着して地元との結びつきを強めないと生き残れない世界です。たまにはこうして利益度外視で地元民のために動くことも必要なのですよ」


 だから分かりますよね? そう視線をマスターに送る柿木。


 マスターも客商売をしているだけあって、人の考えを読むなど容易い事。すぐさま首を縦に振りながら返答する。


「も、勿論。常連のお客さんや商店街グループの皆には広谷探偵事務所がよくしてくれたと伝えるよ」


 それを聞いた柿木はいつもと全く変わらない無表情のまま鷹揚に頷く。


「契約成立です」

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