第6話 忘れていた大切なこと
木崎ちゃんが帰った後、俺は柿木に今担当している依頼が無い暇な人を所長室に呼んできてくれと伝えた。
いやー、木崎ちゃん、俺たちが依頼を受けただけで泣いちゃうだなんて。そんなに嬉しかったのか。俺も未来の激辛党の後輩が喜んでくれたようで嬉しいよ。きっと君を入党試験に合格できるように育て上げて見せるからね。
まぁ、変態の相手を覚悟しただけの価値はあったかな。
そう思っていたらふとあることを思い出した。
明日から将棋の竜王戦じゃないか!
俺としたことがこんな重要なことを忘れていたなんて。まずいな、木崎ちゃんの依頼引き受けちゃったけど、俺は竜王戦を観戦するから、事務所から出られなくなってしまった。どうしよう。
そんなことを考えていたら柿木が戻ってきた。
「所長。今手の空いている人は一人しかいませんでした。一応ここには呼び出しましたが、こんな少数で大丈夫ですか? 何なら他の事務所から応援を呼びますが」
ふむ、一人か。柿木を含めても二人。
どっちにしろ俺は戦力外だから、いてもいなくても変わらないよね。
まぁ大丈夫でしょ。いくら危険な変態と言っても、強盗や殺人鬼を相手にする訳でもあるまいし。
そりゃ人数が多いに越したことはないが、それにも限度ってものがある。今事務所が抱えている他の依頼を完全に放り投げて、全員でこの件に集中して取り組むわけにもいかないからね。言わばこれはリソースの効率的な分配。そういった意味ではこの件に二人は丁度良いんじゃないかな。
「ありがとう。いやこの人数で大丈夫だよ。むしろこの人数が丁度良いんだ」
「丁度いい、ですか。うーん……所長の事ですから今誰が何の仕事をしているのかは全て把握しているはず。とするとこの件は元々三人で片付けるつもりだった? いえそもそも依頼を受ける気が無かった所長が何故突然依頼を受ける気になったのか。そこに何かあるはず。私が見積書を作っていたあの時間に何か解決の糸口を見つけた? そう考えるのが自然ですか……。そして現在の事務所の動ける人員三名で安全に依頼を解決する見込みが出来たから依頼を受けた、こんなところ? でも丁度いいということは二人や四人よりも三人がベストということ。三人にどんな意味が? それに――――――」
ぶつぶつと喋りながら、なにやら考え続ける柿木。
何かすごい誤解を受けているが、俺は俺以外の人が今何の仕事をしているのか、まるで把握してないよ?
むしろ自分が今何をやってるのかも時折忘れるくらいだ。それにもっと重大な誤解もある。
「ちなみに俺はしばらく事務所から外に出ないよ。だからこの件は実質柿木ともう一人との二人での担当だ。もちろん相談は受けるし、アドバイスもする。俺も本来ならば君たちと一緒に事件解決のために動き出したいのだけれども、残念ながらそれは出来なくなってしまった。君たち二人にこの危険な犯人の捜査を任せることになってしまってすごく申し訳ないけど、是非事件の解決に尽力してくれ」
「ッ!? 所長無しでこの件をですか? それは流石に……というよりも私は所長の秘書ですよ? その私が、何故、所長の傍で、秘書業務ではなく、危険な犯人の捜査を、自ら主体となって、しなくては、ならないのですか! 納得出来る説明を要求します」
柿木はいつもの無表情のままそう言う。心なしか眉間にしわが寄っているような気もするな。
あれ? ちょっと怒ってる?
確かに秘書に秘書業務ではなく探偵の業務をさせるのは普通はおかしいだろう。でも君、昔は普通に探偵だったし、秘書になってからもちょくちょく探偵業務やってるよね?
それにこれまで俺が解決したと書類上ではされている事件は、そのほとんどが柿木の推理によって解決したものなのだ。
柿木は頑としてその手柄を認めず、俺の意図した通りに動いただけと言って俺の手柄を主張し、周囲も何故かそれで納得しちゃってるけども。
そのせいで俺は幾つもの難事件を解決した敏腕探偵として本社の方に注目され、二十二歳というこの若さで探偵事務所の所長までさせられているのだ。酷すぎる。
「俺は事務所でしなくてはならないことが出来た。とても大事なことだ。だが、犯人の危険性から、一人でこの件の捜査をさせるわけにはいかない。そこで俺の秘書である柿木にこの件の捜査をサポートしてもらおうと考えたんだ。君なら推理もサポートも完壁だからね。それに何かあった時、信頼できる人間が現場にいて欲しい。さっきも言った通り俺が一番信頼しているのは君だ。だからこの件を柿木に任せたい」
そう、俺は事務所でしなくてはならないのだ。将棋の竜王戦第七局のテレビ観戦を。
将棋なんて生で見る意味あるの?とか仕事しろよと思う人もいるかも知れないが、将棋は生で見るのが間違いなく一番楽しい。
一手一手を丁寧な解説を聞きながら、成程こういった狙いがこの手にはあるのか、自分ならここを指すな、とかプロ棋士と一緒になって考えながらハラハラドキドキして見るのが最高なのだ。
さらに将棋はタイトル戦ともなると一手に三十分以上、時には一時間以上掛けるのがザラだ。俺はその合間にせっせと書類仕事をしているため最低限の仕事はこなしている。
ちょっとは仕事しないと柿木にすぐバレるからな。
「所長、そういう所本当にズルいと思います。そんなこと言われたら断れないじゃないですか」
よし、柿木はちゃんと説明すれば理解してくれると思っていたよ。柿木がいればこの件は片付いたも同然だ。
こうして俺は無事に将棋観戦が出来ることが決定し、さらには変態の犯人の捜査も柿木ともう一人に任せることに成功した。
完璧だ。俺にとって理想的な状況になり、俺のテンションはまさに最高潮。今にも踊りながら、詰将棋をしてプロ野球の応援歌を歌いだしそうな位に。
コンコン。
おっと、俺がとんでもない奇行に走る前に柿木の言っていた手の空いている人が来たようだ。
誰が来たんだろ? 人によっては、俺は泣く泣く将棋観戦を諦めなければならないが。
「せーんーぱーい。あーそびーましょー」
あ、分かった。仕事中にこんなこと言うのは、と言うより俺をセンパイと呼ぶのは一人しかいない。そしてこいつにならこの依頼を任せられる!
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