第5話 木崎咲視点②

 案内された部屋は扉に『第三会議室』と書かれた部屋だった。


 そこで少し待っていると先程のお姉さんとこれまた若い男の人がやってきた。あぁ、きっとこの人が資格持ちの探偵さんなんだ。そうわたしは確信すると、先程までの緊張感を気合で捻じ伏せ、事件の説明を始める。


「わたしのパンツの行方を捜してください! 一昨日から行方不明なんです」――――



~~~~~~



 わたしにしては結構上手く事情を説明できたのではないだろうか。途中、自己紹介もまだしてなかったと気が付いて、焦って名乗ったがあのくらいのミスは仕方無い。


 わたしの読み通り男の人は探偵だったが、なんと驚くことにこの探偵事務所の所長さんでもあったのだ。そんな偉い人がわたしの話を聞いてくれるなんて心強い。

 さらに驚いたのは、探偵さんがわたしの話を聞いてすぐさま犯人を絞り込んだと言ったことだった。これだけの情報で犯人を絞り込むだなんてとんでもない推理力だ。わたしにも秘書のお姉さんにも全く分からないのに。


 そんなすごい推理力の持ち主なのだ。この探偵さんがきっと噂の名探偵で間違いない。ならばこの探偵さんには絶対に依頼を引き受けてもらわないと!


 嬉しいことに探偵さんも、この事件の重要性を理解してくれて大事件だと断定してくれた。だがどうやら探偵さんの口ぶりからすると、犯人はかなり危険な人物らしい。


 何てこと……! そんな人に大切な洗濯物達が攫われたなんて!


 探偵さんも早く動かないとと言ってくれたが、その前に契約をしなければいけないらしい。まずい、わたしの全財産は五千円。探偵の依頼の相場は分からないがどう考えても足りない気がする。どうしよう。

 わたしの予算が全財産である五千円ということを口にすると、秘書さんは表情を全く変えていなかったが、探偵さんは見るからにわたしに申し訳ないような表情をしていた。


 あぁ、やっぱりお金が足りなかったんだ。

 それでも一応見積書を作ってくるということで秘書さんと探偵さんは一度部屋を出ていく。


 困った。すごく困った。


 このままでは、依頼は受けてもらえないだろう。そりゃそうだ、探偵さん達だってボランティアでなく仕事でやっているんだから。


 それでもわたしは諦めるわけにはいかない。ここに一縷の望みをかけてやってきたんだから、何とかして依頼を受けてもらわないと。

 お金はこれ以上出すことは出来ない。お母さんやお父さんもお金に厳しい人だから、きっとお小遣いの前借りも出来ないだろう。


 ならば、もうこれしかない! 



 あの探偵さんに気に入られて仲良くなろう。そしてお友達価格で依頼を引き受けてもらうのだ。



 どうやって仲良くなろうか、と考えを巡らせていると丁度お茶が無くなったタイミングで探偵さんが部屋に戻ってきた。

 わたしを見る探偵さんの顔は、またしても申し訳なさそうな表情していた。やっぱりこのままじゃまずい! ここからの会話で何とか挽回しないと。何か共通の趣味とか好きな物の話題で盛り上がれればいいのだが……。


「ごめんごめん、待たせたね。今柿木が新しいお茶を持ってくるけど、煎餅は好きかい? ちょっと辛いんだけどこれがまた美味しいんだ」


 キター! これだ! このチャンスを逃すわけにはいかない。煎餅は特に好きでも嫌いでもないけど、辛い物は好きだ。カレーはいつも辛口味だし、蕎麦やうどんにも一味唐辛子は必ず入れる。ミートソースにタバスコは必須だ。


 頑張れわたし、この辛い物トークから好感度を勝ち取り、お友達価格という栄光をゲットするのよ。


「え、いいんですか? わたし辛い物大好きなんですよ。ラーメンとかカレーも辛い方がおいしいですからね。それではいただきます」


 ぱくっ。ばりばり、ぼりぼり。


 探偵さんがおすすめしてくる煎餅をわたしは一気に食べ尽くす。自分の好きな物を美味しそうに食べてくれた方が、探偵さんもきっと嬉しいはずだからね。これで探偵さんの好感度もちょっとは上昇するだろう。


 ――あ、確かにすごい辛いこれ。……あれ、段々口の中にこれまで経験したこともないような途轍もない刺激が発生し始めて…………――いや辛すぎッ!! 


 こんなの美味しいかどうかなんて全く分からないッ!


 でも直ぐにおいしかったって伝えてそこから会話を盛り上げないと。そう思っていると突然口の中に異変が起きた。


 ッ!?? 


 痛い、痛い痛い痛い。なにこれ、さっきまでは普通に辛かっただけなのに、今は辛さが限界突破してもう痛みすら感じる。口の中の刺激が強すぎて何だか意識が飛びそう。


 これが、ちょっと辛い? ふざけるな! こんなの一種の化学兵器じゃないか。


 汗は尋常じゃないくらい出てくるし、胃も何だか熱を持っているような気がする。飲み物、飲み物を早く口に入れたい。


 あぁ(絶望)、そうだった、さっき探偵さん達を待っていた時間にコップに入っていた分は飲み干しちゃったんだった。


 なんてこと!? これはもう絶体絶命の大ピンチ。


 秘書さん、早く来て! そして飲み物をわたしに恵んでください! じゃないとこの化学兵器のせいでわたし気絶しちゃう。


 頭の中はもう辛さの極致とも言えるこの刺激から逃れることで一杯一杯だった。


 好感度? お友達価格? こんな状態でそんなこと考えていられるか! あぁ神様、私はここで死ぬのですね? 


 なんてことだ。愛する洗濯物達が誘拐された二日後に、今度は私が化学兵器で死ぬなんて。世の中は理不尽すぎる……。


 そう世界に絶望していると、突然光が見えた。

 その光は天井から私に向かって一直線に降り注いでくる。


 あぁ、これはとうとうお迎えが来たのかもねと考えていると、光の中からパンツが飛び出してきた。

 それもただのパンツじゃない。あの忌まわしき誘拐事件の被害者の一人である、鳳凰柄パンツのぴーちゃんだ。

 もしかしてここはもうあの世なの? あぁぴーちゃん、あなたもここに来てしまっていたのね。守れなくてごめんなさい。


「そんなことはないわ。貴方は私たちを愛してくれている。それと同じように私達だって貴方のことを愛しているのよ。だから助けに来たの。それに、ここはあの世ではないわ。貴方はちゃんと生きている。ちょっと意識が朦朧としちゃっているけどね」


 なんてことだ。突然ぴーちゃんが話し掛けてきた。不思議なことにパンツに刺繍されている鳳凰が、器用にパンツの中で身振り手振りを交えながら。


 え、あなた喋れるの? というかそのパンツのどこから発声しているの。そして何故器用に動いているの。

 そんな疑問が頭の片隅によぎる。だがそんな些細なことよりも、ぴーちゃんが喋ってくれたことに私はすごく感動した。


 あぁ、これが我が子が初めて言葉を発した時の親の気持ちなのね。お母さん、嬉しいわ。


「あぁ、ぴーちゃん、とうとうお話まで出来るようになったのね。これで夜眠るときは今までみたいにわたし一人がお話しするんじゃなくて二人でお喋りできるね」


「ごめんなさい、それは無理なのよ。だってここは貴方が極限の精神状態で作り出した妄想世界。この私はいわば紛い物に過ぎないわ。だから現実に私が喋るのは難しい。こうして話している私もぴーちゃんというよりも、もう一人の貴方と言った方が正確なの」


 何ということだ。もう一人のわたしということは、わたしは新たな人格を生み出してしまったのか? 


 そういえばこんな話を聞いたことがある。拷問を受けた人が、あまりにも辛い拷問に精神が耐えられなくなり、心が壊れるのを防ぐためにもう一人の自分を生み出し、結果として多重人格者になってしまったというものだ。


 あれ? ということはわたし、探偵さんに食べることが拷問に近い煎餅を食べさせられたの? 


 ……これで依頼を受けてもらえなかったら、丑の刻参りしてやる!


「そうなんだ、でもどうしてもう一人のわたしがわたしの前に出てきたの?」


「それは、貴方が探偵さんの出した化学兵器を服用したことによって正常な判断が出来なくなっていたからよ。だって貴方、いつもの状態だったら私達、いえぴーちゃん達を見捨てる様な選択は絶対にしないでしょう? それなのに貴方は自らの身を守る為にそれらを頭から追いやった。あのままいっていれば貴方はきっと大きな後悔をして、自分を責めたことでしょう。だから私が出てきたの」


 成程、こうして冷静に考えると確かにそうだ。あの時のわたしは確実に正常な判断が出来ていなかった。というかあんな劇物を口にして、まともに頭を働かせられる人間がいたら見てみたい。

 きっとそんな人が居たら、蜂に刺されても、犬に嚙まれても気付かないくらい鈍い人に違いない。それくらいあの煎餅の威力はすごかった。


 こうしてもう一人のわたしのおかげで脳がようやく正常に動き出す。そして同時にある疑惑が頭に浮かぶ。


 これはあの探偵さんの計画的犯行なのでは? 


 元々依頼を受けてはくれなさそうだったし、こうして私に化学兵器を盛って正常な思考能力を奪い、依頼人に自ら依頼を取り下げさせるというのが探偵さんの狙いだったのではないだろうか。


 金額が少ないとはいえ、(自分で言うのもなんだが)わたしのような小さな子供が全財産をはたいて頼んできた依頼だ。

 きっと探偵さんの良心や周囲からの評判を気にして、なるべく角が立たないようにしたかったのだろう。


 いや探偵さんの良心は、わたしに化学兵器を盛った時点で存在しないか。

 でも結構この推理は当たっている自信がある。


 と、ここで謎の光ともう一人の私がパッと消え失せた。来るときも突然ならば去る時も突然だ。

 もしかしたら精神が安定してきたことで、妄想世界から現実世界に帰ってきたのかもしれない。


 そして現実に戻ってきたと実感できたのはもう一つ。とてつもない口内の痛みと熱だ。

 これはあの煎餅によるダメージ……。さっきまでの妄想世界では、全く気にならなかったのに、現実に戻った瞬間にこれだ。水、水が欲しいよぉ。


 まるで砂漠を彷徨う人のようにわたしの本能は水を求める。


 しかし、もう二度と本能に従って自分の大切な物を見捨てるわけには、見失うわけにはいかない。もう一人のわたしが教えてくれたことを無駄にするわけにはいかないんだ!


 だからわたしは本能を根性でねじ伏せる。


 わたしはッ、こんな、化学兵器にッ、負けるわけには、いかないんだッ! 


 さっきまで辛い、痛いしか感じなかったわたしの体は、わたし自身の根性によって多少の自由を取り戻す。これで喋るくらいは出来そうだ。


 ふと周囲を見回すと、目の前の探偵さんはわたしが煎餅を食べた直後と表情に特に違いは見られなかった。どうやらあの奇跡の時間は現実世界ではほんの一瞬の出来事だったらしい。


 だけどその一瞬の出来事でわたしはあなたの企みに気付くことが出来ましたよ、探偵さん。


 探偵さんはきっと計画の成功を確信していたのだろう。計画の全貌を知った今、改めて見た探偵さんの表情は明らかにこう言っている。「どうだ辛いだろう? 想像もしていなかったろうこの刺激は。君はきっと後悔しているはずだ、この煎餅を食べたことを。そして欲しているはずだ、舌や喉の刺激を癒す水を。君がどれほど耐えられるか見ものだよ」と。


 確かにさっきまでのわたしなら探偵さんのこの表情の意味にも気付かず、逃げるようにこの事務所から出て行っただろう。でも今は、あのもう一人のわたしが救ってくれた今のわたしなら、もう惑わされたりしない! わたしはもうあなたの思い通りにはならないッ!! 


「お、おいしいです! 頭おかしいくらいからいですけど、いえ良い意味でですよ? 良い意味で。 なんというかこの刺激、そう刺激がなんだかクセになりそうです!」


 言った。言ってやったぞ。辛さですごく舌が動かしづらくて喋りにくいけど、わたしの当初の計画通り探偵さんの好感度を稼ぐために美味しいと言ってやった。


 わたしが喋ったことが、さらには美味しいと言ったことがやはり驚きだったのか、探偵さんは目に見えて動揺し、わたしを見る目を明らかに変えた。今までの自分の思い通りに動かせるただの小娘を見る目から、同格の存在を見る目へと。


 これであなたの計画は失敗に終わりましたよ。さぁ、ここからはわたしの計画通りわたしと仲良くなって……いやこの敵対した状況から仲良くなるのは無理があるか。そう、表面的にだけでも仲良くなってお友達価格で依頼を引き受けて頂きましょうか。


「そうかそうか。それは良かった。うちにはあまり辛い物好きはいなくてね。この美味しさを分かってくれる人は少ないんだ。もう一ついるかい? あ、帰りにお土産として俺の激辛コレクションを少しあげるよ」


 !? つ、追撃? ここに至ってまだ計画を続行するつもりなの!? 


 これはまずい。この探偵さん、もしかしてわたしが煎餅の脅威をギリギリ耐えしのいだに過ぎないことに勘付いている? 


 さすがにもう一枚あの煎餅を食べたらわたしは気絶する自信がある。さっきのような奇跡も、二度は起きないだろう。これは断るしかない。でもこのまま弱みを見せて相手のペースに乗るのは嫌だ。お土産は持ち帰らざるを得ないか。

 しかしお土産だと? あんな化学兵器を家に持って帰れというのか。それも複数種類。


 家に持って帰ったらどうなる? 珍しくわたしが持って帰って来たお土産だ。きっと両親はなんら疑うことも無く口にしてしまうだろう、あの劇物を。


 これは脅迫だ。探偵さんはすごくいい笑顔をしてわたしに脅しを仕掛けている。「両親にまでこんな物、食べさせたくないよな? なら分かるだろ? この依頼は取り下げろ」と。


 あぁ、それがあなたの本性だったんですね。


 なんて卑劣な。だが、わたしにも譲れないものはある。両親に手出しはさせない。そのお土産、わたしが気絶してでも全部食べ切ってみせる!


「い、いえこれ以上は晩御飯が食べれなくなるので。お土産は有難く頂きます。それにしても喉が渇いてきましたね。部屋が乾燥しているのかな」


 勝負は一勝一敗で引き分けと言ったところか。手強い相手だ。


 そして今こうしている間もわたしは煎餅の辛さと戦い続けている。水が飲みたい。そして顔が熱い。汗も尋常じゃないくらい出てくるし。あの煎餅絶対まともな原材料で作られてない。

 それでも私はこの戦い、立ち止まるわけにはいかないのだ。


「そう? むしろ湿度は高い方な気がするけど」


 そりゃそうでしょう。この部屋には加湿器だってあるし、それに何よりあなたは煎餅食べてないんですから。


 そうこうしてると秘書のお姉さんが部屋に戻ってきた。


「大変お待たせ致しました。こちら新しいお茶でございます。クッキーも置いておきますね?」


 あぁ、神はここにいたのですね。


 欲しくて欲しくて仕方なかった飲み物だけでなく、口直しのクッキーまで。


 さっき探偵さんにはこれ以上は晩御飯が食べられなくなると煎餅のお代わりを断った手前、ここでクッキーを食べることは出来ない。だが、事務所を出たら公園のブランコにでも乗りながらばくばく食べてやる。


 お茶を一気飲みすることで辛さを少し和らげることに成功した私は、いよいよ依頼を受けてもらえるか聞いてみることにする。


 もしこれで断られたら、とんでもない劇物を無理やり食べさせられ死ぬかと思ったとこの秘書の神様に告げ口して、探偵さんを説得する仲間になってもらおう。どうやら探偵さんも、神様にはかなりの信用を置いているようだし。


「そ、それで依頼は受けてもらえるんでしょうか? わたしの愛すべき子供達を攫った犯人にどうか、どうか正義の鉄槌を下してください。お願いします」


 さあ、後は祈るしかない。探偵さん、あなたはこんないたいけな少女に劇物を食べさせたんですよ? 罪悪感、少しはありますよね? だったら依頼、受けてください。


 すると探偵さんは少し考える素振りをしてこう言った。


「依頼についてだが、こちらは前向きに検討しようと思う。この見積もり書に書かれている依頼料で納得してもらえるならば、俺達は今からでも行動に移ろう」


 なんと! 


 渡された見積もり書に書かれていた金額はピッタリ五千円。

 ……いいんですか、この金額で。わたしの全財産とは言え明らかに安すぎる。こんな金額では事務所の利益には到底ならないだろう。


 ということはもしや、これはお友達価格!? 


 探偵さん、あなた実は良い人だったんですね。


 何をしても諦めずに、洗濯物達の事を健気に想い続けるわたしを結局、見捨てることが出来なかったのでしょう? 

 あぁ、気絶しそうになりながらも好感度稼ぎを頑張って良かった。結果的には大成功だった。


 そうは思うが、今回わたしはたくさんのものを犠牲にしすぎた。

 煎餅という化学兵器を食べたことで別人格とも言えるもう一人のわたしを生み出し、満身創痍の体を根性で無理やり動かし、心にもないことをあたかも本心からの言葉の様に言う。そんなこと今までのわたしなら絶対にしなかったし、出来なかった。


 あぁ、わたしは変わってしまった。ここに来る前と今とではまるで別人だ。そんな自分の変わりようを感じて思わず涙が出てきてしまう。


 あ、一応お礼も言っておかないと。


「ありがとうございます」

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