第7話 今井舞

「せーんーぱーい。あーそびーましょー」


 あ、分かった。仕事中にこんなこと言うのは、と言うより俺をセンパイと呼ぶのは一人しかいない。そしてこいつにならこの依頼を任せられる!


「遊ばないよ。仕事だ仕事。さっさと入ってこい、今井」


 今井舞。俺の高校の一個下の後輩で、何故か俺に懐いているちょっと変わったやつだ。

 昔から遊ぶにも勉強するのにも俺の真似をしたがって、ついには就職先まで俺と同じとこにしてしまった。

 ちなみに柿木も同じ高校の同級生だから、この事務所には同じ高校の一個違いが三人もいるという事になる。事務所には全員で七人しかいないので、これはちょっと異常だ。多分社長の差し金だろうけど。


 今井は身長がとても小さい。どれくらい小さいかと言うと、さっきまでいた木崎ちゃんと同じくらい小さい。恐らく百四十センチ前後くらいだろう。俺は椅子に座っているのに今井は俺を少し見上げて話し掛けている位だ。


「センパイ、どうもこの頼れる後輩の力が必要らしいッスね? 実は今とんでもない難事件に巻き込まれていたんスけど、センパイが助けを求めているとあって、この名探偵今井が灰色の脳細胞を駆使し超スピードで事件を解決してここに参上してあげましたよ? どうですか、この先輩思いの健気な後輩は! いやー、こんな先輩思いで可愛い後輩がいるなんて、センパイの幸せ者ぉー」 


 今井がこのこのぉーとか言いながら肘でちょんちょんしてくるが完全に無視。所長室に呼び出しただけでどれだけ恩着せがましく騒ぐんだこいつは。


「いや、今井が必要だったのは事実だけど、難事件に巻き込まれてるなんてすぐバレる嘘つくなよ。君が今、手が空いていたことは分かってるんだから」


「うげっ、センパイ、もしかして所員の仕事内容と進捗具合常に把握しているって噂ホントだったんスか? どうりであんまり仕事の催促とか進捗報告とか求められることが無いわけッスよ」


 それは俺よりも皆の方が仕事が出来るし、聞いても良く分かんないことが多いから、口出ししないようにしているだけである。


 てか今井、お前までそんなこと言ってるのか。そんな訳が無いじゃないか。俺は柿木に聞かなければ事務所内の事ですら何一つ分からない男だぞ? 


 それにしてもうちの事務所、俺にまつわる噂多いな。妖怪か何かかな、俺は。


「ところでセンパイが柿木先輩とだけで依頼をこなさないなんて珍しいッスね。もしかしてそんなヤバい依頼なんスか? うち、そんな危険な依頼はちょっと怖いんですけど……」


 あー、確かにいつもは柿木がいれば大体の依頼はスピード解決だから、他の人を呼んだりすることは珍しいかも。

 それに、危険な依頼は嫌だという気持ちはすごく分かる。この件についても犯人の変態性、もとい危険性を知ればもしかしたら今井も身の危険を感じて尻込みしてしまうかもしれない。


 でもね今井、君がこの件を引き受けてくれないと俺は竜王戦を見れないんだ。そうなってしまうと俺はとてもとても悲しい。

 だから今井には悪いが、この件を承諾してもらえるよう、犯人の変態性は内緒にしておく。後からその危険性に気付いても、きっとその頃には名探偵柿木が事件を解決に導いてくれているはずだ。


「いやいや、依頼が危険? それは無いよ。いつもと同じようなありふれた依頼だ。簡単に説明すると、衣服の窃盗。ただこれだけ。ほら、危なくなさそうだろ? ただ今回俺は、事務所内でやらなければいけない事があるから、依頼に注力することは出来ないんだよ。だから俺の代わりと言っちゃなんだけと、柿木と今井の二人にこの件を任せたいんだ」


 隣りの柿木からなにやら怪訝な視線を感じるがスルー。


「なーんだ。それなら全然良いッスよ。それにうち一人じゃなくて、柿木先輩もいるならそんな依頼ラクショーですよ、ラクショー」


 よし、承諾したな? もう後からやっぱ無しでっていうのは駄目だからね?


 まだ柿木からの猜疑の視線を感じるが、これは仕方のない犠牲なんだ、分かってくれ。


 だって竜王戦だよ? 第七局だよ? 先に四勝すればタイトル獲得の竜王戦で第七局までもつれるなんて意外と珍しいんだ。勝った方が竜王になる勝負なんて見逃すわけにはいかない。 


 それに柿木も知ってるはずだ。

 今井は昔から途轍もなく運が悪くなりきらない。こう表現するしかないのがもどかしいのだけれど、こうとしか言えない何かが今井にはある。


 だから今井にこの依頼を任せても大丈夫だと俺は思っているし、確信している。


 例えば何回くじ引きで席替えをしても一番前の席になるが、絶対に教卓の前にはならない。

 今井が熱を出して期末テストを受けられなさそうになると、数十年ぶりレベルの大雪が降り交通機関が停止し、テストは延期。そして熱が引き、二日後の十分テスト勉強が出来た頃にようやくテストが再開したこともある。

 さらに、お気に入りのスニーカーの紐が切れると、その日の体育で突如行われた持久走は見学を許可された。


 このように今井に何かアンラッキーなことが起こると、それを打ち消そうとするかのように今井に都合の良いことが起きるのだ。 


 


 こんなこともあった。


 高校時代、今井は俺や柿木と同じく生徒会に所属していた。


 うちの高校では全国大会や国体への出場が決まると、校舎に大きな垂れ幕を出して、『○○部××君インターハイ出場おめでとう!』みたいなみたいな感じでお祝いするのだが、その時は垂れ幕の制作を今井にお願いしたのだ。


 すると今井は例年通り、先生に垂れ幕用の大きな用紙を何枚ももらい、それを書道部にこう書いてくださいという指示を出した。書道部も慣れたもので、いつも通り完璧に垂れ幕を仕上げてくれたのだが、その垂れ幕をいざ校舎に垂らすとなった時にある事実が発覚した。


柿木「私の勘違いなのであれば申し訳ないのですが、この垂れ幕にある、『女子柔道部 佐藤あかりさん、インターハイ出場おめでとう』……確か彼女の名前は清藤あかりさんだったのでは?」


 その一言で俺達生徒会メンバーはざわめき出す。


 だってあの柿木がそう言ったのだ。あいつの記憶力が尋常でないことは生徒会メンバーであれば誰もが知っている。恐らく全校生徒の名前を全て把握しているであろう彼女がそう言うということは、清藤こそが正しい彼女の苗字なのだろうと皆が思った。


今井「え? マジッスか? センパイ、指示くれた時佐藤って言ってましたよね!?」


 今井に指示を出したのは俺である。だが、いくら俺が仕事が出来ないからといって、他人の苗字を間違えて教える様なことはしない。


俺 「俺はあの時、確かに今井に正確な名前を教えたよ」


 そう言って俺は、生徒会の顧問の先生から言われたことをメモしたおいたメモ帳を見る。


 そこには、何人もの全国大会出場者の部活、学年、名前が記されており、その内の一つには『女子柔道部三年佐藤あかり』と書いてあった。

 あ、あれ? おかしいぞ? 目が悪くなったのかな? そう思い、目をゴシゴシしてみてもメモ帳の内容は変わらない。


 ……どうしよう、やってしまった。

 これは俺が先生から言われたことを聞き間違えたんだろう。


 ごめんよ、今井。どうやら今回も俺のミスのようだ。ちくしょう、他の人の名前はちゃんと合ってたのに、どうして清藤さんの名前だけ間違えたんだ俺。


柿木「会長? どうしました? さっきから何やら挙動不審ですが」


 高校時代、俺は何故か生徒会長だった。そして副会長が柿木。不思議だ。どう考えても柿木が生徒会長になるべきだろうに。


俺 「いや、先週の全校集会で来週から垂れ幕を垂らすから楽しみにしててくれって言ったのにこれじゃマズいと思ってね」


 あぁ、俺のバカ。どうして俺はいつもいつも正直にミスを白状せずに、誤魔化そうとするのか。

 今回に関してはそのせいで、今井がミスをしたみたいになってるじゃないか。これでは今井に申し訳が立たない。何とかしないと。


 そして柿木がすごく疑い深い目で俺を見ているような気がする。いつも通り表情は一切変わっていないから、俺の罪悪感からくる勘違いの可能性もあるけど。


俺 「他の垂れ幕はもう皆に見えるように垂らしちゃってるし、清藤さんの垂れ幕だけ無しって訳にはいかないよ。だから俺と今井で本人の所に話をしに行ってくる。皆は休憩しててくれ」


 そう言って俺と今井は柔道場に向かう。何故か柿木も付いてきたが、まぁ柿木は俺のミスだってことに薄々感づいているっぽいし、柿木がいれば誰が清藤さんかすぐに分かるから良いか。


 柔道部は今日も元気に活動しているということで、俺達は柔道場に向かう。

 そんなに広い学校では無かったのですぐに柔道場には着き、柿木が清藤さんを見つけこちらに連れてきてくれた。


清藤「生徒会長さん、何か用?」


 隣りの今井は凄く青い顔をしている。自らのミスで、この人の努力の結果を皆に広める機会を奪ってしまうことになるかもしれないからだ。まぁ、本当にミスをしたのは俺なのだけれど。


俺 「練習中にごめんね。明日までに設置する垂れ幕の事で話があってね。清藤さんには何といったら良いか分からないんだけど――」


清藤「あ、私、先週お母さんが再婚して苗字が佐藤になったんだ。昔から母親には良い人がいるんだから早く再婚しろって言ってたんだけど、ようやく決断してくれたから嬉しくて。だからまだ学籍上は清藤なんだけど佐藤って呼んでくれると嬉しいな」


 何ということだ。まさか今井の例のアレの効果か? 


 俺に苗字を間違って教えられたのに、俺がそのミスを告白しなかったせいであらぬ罪をかぶせられそうになった不幸を、実はそれが真実で本人もその方が喜ぶという奇跡で打ち消したというのか。すごすぎるぞ、今井。その調子でこれからもどんどん俺のミスをカバーしていってくれ。


 そんな今井の謎体質から来た奇跡を有難がっていると、柿木がなるほどそういうことですかという視線を俺に向けてきている。いや、どういうことですか。


柿木「まさにその件で貴方に会いに来たのです。実はうちの会長がサプライズで、垂れ幕に清藤さんの事を佐藤さんと書くよう指示したのですが、御本人の意思を確認しない事には、ということで確認に参ったのです。もちろん、清藤の方が良いというのであれば直ぐに書き直します」


佐藤「ホント!? だったら絶対佐藤の方が良い。そっちの方が断然嬉しいよ。にしても何で知ってたんだ、私の親が再婚して佐藤になったこと。まだ、クラスのやつと柔道部の一部しか知らない話なのに。まぁでも色んな噂のあるあの生徒会長さんなら知っててもおかしくないか」


 やはり柿木は、俺が今井に間違った苗字を伝えていたことに気付いていたらしい。そして、今井の謎パワーによる奇跡を上手く活用し、あたかもただの俺のミスを、全て知った上での予定通りです、と言わんばかりの口振りでこの苦境を乗り切ってくれた。さすが柿木、俺のフォローで右に出る者はいない。


 これで俺のミスも、今井のミスという勘違いもすべて解決した。今井も見るからにほっとしている。良かった。この件で今井が落ち込んでいるのを見るのは罪悪感がすごいからね。


 てか俺なら知っててもおかしくないって思えるほどの色んな噂って何だよ。すごい気になるんだけど。

 



 問題が見事解決し、俺たちは垂れ幕を垂らすため再び屋上に戻る。


 他の生徒会のメンバーには、柿木が柔道場であったことの説明をしていた。

 どうやら俺がサプライズをするために今井にも内緒で計画を進行していたため、今井がそのとばっちりをくらったという話になっているらしい。


 そんな説明が終わると、皆が今井の元に集まった。「会長の計画に巻き込まれるなんて今回は災難だったわね」とか、「広谷はとにかく秘密主義だからなー、俺達もこれまで何度冷や冷やさせられたことか」とか言って今井を中心に俺のグチのようなものを言い合って今井を励ましていた。今井は最近生徒会に入ったばかりで、俺と柿木以外のメンバーとは少し距離があったからこの光景を見るとなんだか嬉しくなる。


 十分程して、ようやく解放された今井は俺の元にやってくると、


「センパイ、初めからこういうつもりだったんスね。今日来ていたのはうちを除けば皆上級生。センパイのおかげでセンパイと柿木先輩以外の先輩ともやっと仲良くなれそうです。でもそうならそうと言っておいて欲しかったッスよ。ミスしたかと思って身長が縮む思いでした。てかそもそも先輩の言葉をうちが聞き間違える訳がないですしね。今回はありがとうございました、センパイ」


 そう言って今井は俺に向かってはにかんだ。


 今井が訳の分からないことを言って俺に礼を言ってきたが、俺は訳が分からないことを言われるのはいつものことだから慣れてしまっている。だが、こんな表情を向けられることはあまり無い。だからかもしれない。俺がそれにちょっと可愛いなと思ってしまったのは。


 この小生意気な後輩にドキッとさせられたというのは少し恥ずかしいので誰にも話さず、今でも胸の内にしまっている。まぁこの時、いつにもまして俺をじっと睨んできていた柿木にはバレていそうだが。

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