第10話 柿木菊花視点②

「久しぶりだな、柿木。今日は珍しく一人で来たと聞いたが、広谷はどうしたんだ?」


 そう言って私に話しかけてきたのは、社長の隣に立っている秘書の田中鷹さん。八尋君が社長を怒らせる度に、その凄まじい怒りをあの手この手で鎮める苦労人である。


「所長は、昨日依頼された事件に掛かり切りで、こちらまで来る余裕がありませんでした。なので私が代理として来たのです」


「なに? あの男が本社にも来れない程、集中しなければならない依頼だと? 姐さん、これは大事件の予感がしますね」


「はぁ、何度も言うが姐さんじゃなくて社長と呼べっつーの。……まぁあいつは何故か本社に対して苦手意識を持ってるからなぁ。どうせ来るのが嫌で適当に理由を付けただけだろ? あいつがそんな苦労する依頼なんて想像できねぇ」


 そう推測するのは、社長の山谷摩耶。田中さんと山谷さんの二人、というか本社に勤めている人間全員は、基本的に小学校や中学からの付き合いらしくみんな仲が良い。


 どうも、当時かなりやんちゃしていた山谷さんとその舎弟の人達が、高校を卒業してまともに就職するのは無理だと探偵事務所を立ち上げたのがこの会社の始まりらしい。

 そんな経緯で始めたのにも関わらず、今ではその会社の規模も大きくなり、日本各地に支店として、いくつもの探偵事務所を構えることが出来るようにまでなったというのだからすごい。


「所長はそんな病院に行きたがらない子供の様な真似はしませんよ。今回に関しては本当に依頼に集中するために事務所にこもっているんです」


「なにぃ? だとしたらホントにやべえ事件ってことじゃねえか。おい、田中、そんなやばい事件がここら辺で起きたなんて知ってるか?」


「いえ、そんな大事件起きていたら真っ先に姐さ――社長に報告してますよ」


 社長の睨みに屈した田中さんは、姐さん呼びから社長呼びに変える。社長はこれで結構仕事には真面目なところがあるから、きっと本社の仲間内以外の人がいるところでは、社長と部下という関係で仕事をするべきだとでも考えているのだろう。


 現在ここ本社では探偵業は行っていない。会社の経営がある程度軌道に乗ったところで探偵業は支社の各探偵事務所に全て任せてしまったのだ。


 では本社では今、何をしているのかというと、情報を扱った商売をしている。支店の各探偵事務所から寄せられる情報の他にも会社の利益の殆どを使って、独自の情報網を全国に敷き、日本全国のあらゆる情報が本社に集まってくるシステムを構築してみせたのだ。噂では全国各地のやんちゃな中高生の就職の受け皿として機能しているらしい。


 そしてその情報は支店の探偵業に役立てたり、他社の探偵事務所や警備会社、時には国家へ高額で販売もしている。


 この秘書の田中さんはその本社の中でもナンバーツー。社長の山谷さんはかなり大雑把な人で、繊細な仕事に関しては田中さんに丸投げしていることから、本社で田中さんよりも情報に長けた人材はいないということになる。その田中さんがこう言うということは、やはり『木崎ちゃんのパンツ誘拐事件』の危険性はまだ所長以外の誰にも理解されていないということだろう。


「その件で社長と田中さんに聞きたいことがあるのです。ちなみに所長が言ったことを一字一句違わずお聞きしますので、私の発言ではなく所長の発言ということをくれぐれもお間違えないように」


「ったく、んなこと言われなくても分かってるよ。で? あいつは何て言ってたんだ?」


「その言葉、忘れないでくださいね? それでは伝えます。『最近海外から危険な人間が入ってきてないか、それと物干し竿に欲情する部族とかがいたら教えて欲しい』、以上です」


 案の定社長は質問の後半部分を聞くと頬をぴくぴく引きつらせ今にも激怒しそうな様子。


「……へ、へぇ。あいつ、このあたしをおちょくってんじゃないんだよな? 難事件解決の為にわざわざそんなことを聞きに来たんだよな? えぇ、柿木?」


 あぁ、八尋君、やっぱり社長はお怒りですよ。どうしてくれるんですか。


「もちろんです。所長はこの事件を解決するためには、どうしてもこのことは聞かなければならないとのお考えです」


 たぶん、ううん、きっとそう。


「ほぉ、そうなのか。質問に答えてやる代わりに一つだけ聞きたいんだが、それはどんな事件なんだ? このあたしにも教えてくれよ」


「それは俺も聞きたいな。あれ程の男が難儀する事件とはどういったものなんだ?」


 早く質問に答えてくれればいいのに、社長と田中さんは事件について知りたがる。まぁ、あの天才の所長がわざわざ本社まで情報を求めに使いを送るほどの事件ともなると、情報を生業としている本社の人間はどうしても気になってしまうのだろう。


「…………『木崎ちゃんのパンツ誘拐事件』です」


「あぁ?」


「何?」


 私が八尋君が名付けた事件の名を告げると、二人共何を言っているか分からない、理解できないとでも言うように聞き返してくる。


 そうでしょう、そうでしょう。えぇ、私もそう思います。

 でも私も舞ちゃんも積極的同意ではないとはいえ、その名称を了承してしまったのだ。ならば自ら率先してその名を使わなければ。


「ですから今回の事件は『木崎ちゃんのパンツ誘拐事件』です、所長がそう名付けました。そしてその名の通りの内容です。若干、事件の本質からは外れていますが」


「おいおいおい、木崎よぉ。あたしにはただのこっすい下着ドロの事件にしか聞こえねえんだが、それがあの広谷をして解決に手間取る事件だとぉ? んでその事件を解決するのがさっきの質問? 舐めてんのかッ!」


 社長が鬼のような形相で私を睨み、机をドンッと叩く。ひぃっ! こ、怖すぎる。


「姐さん、落ち着いてください。柿木は事件の名前とその本質は違うと言っていました。きっとその本質は名前からは想像もできない程えげつないものなのでしょう」


「…………確かにな。わりぃな柿木。広谷のことになるとどうしても感情的になっちまう。まぁこれも日頃から、このあたしをおちょくるような真似をするあの男が悪いんだ、許せ」


 そう言われてしまうと私は何も言えない。だって所長は本当に社長に対して、日頃から挑発的な態度や言動が多いから。


「いえ、大丈夫です。所長が悪いのは分かってます」


「そうか。それじゃあ、その事件について詳しく教えてくれ。あたしや田中も何か分かるかもしれねぇ」



 そして私は二人に今回の事件の詳細について話した。




「あたしには、どうにもただの下着ドロの延長上の窃盗事件にしか思えん。田中はどうだ?」


「ええ、自分も同意見です。これがあの男をして大事件と言わしめる程の事件とは到底思えません」


 やはりこの二人も私と同じ結論に至ったようだ。だが、私と同様これまでの八尋君の実績を考えると、大事件という発言が事実である可能性はかなり高いとみているらしい。


「すまねぇな、どうやら事件についてあまり力にはなれなそうだ。田中、さっきの質問に答えてやんな」


「はい、分かりました! まずは一つ目、海外からの危険人物の入国についてだが、これは一週間前に海外のある宗教団体の幹部複数名が日本に秘密裏に来日している。この宗教団体は、最近ニュースを賑わせているテロの実行犯と目されており、日本政府にもマークされていた組織だ」


「最近のテロ、と言うと南米のあの小国で頻発しているあの件ですか?」


「その通りだ」


 そのテロは『我々は過ちを正すために行動する。そして正しき行動は決して人の血を流して行うものではない』と動画投稿サイトに投稿された一本の動画の中での声明から始まった。


 テロの内容としては、国家元首の自宅に生えている木を全て大型ドローンで持ち去ったり、国の重役たちの家の上空に小型ドローンを飛ばし、そこからとてつもない爆音で現在犯行組織と目されている宗教団体のお経を流すなどといったものだ。違法合法問わずにドローンを有効活用(?)して様々な手法で自らの要求を通そうとする、珍しく平和的なテロ組織として今世界中で注目を集めている。


 そんなテロ組織の肝心の要求は、『我々の行動を止めて欲しければ低所得者の所得税を半減せよ、このままでは低所得者は生きていけない』といったもの。


 勿論、テロという手段を使うのは許されたことではないが、その国の低所得者の所得税率は他国と比べて明らかに高く、テロ組織の声明にも一理あるとして、世界中から賛同の声を集める稀有なテロ組織としても注目されている。


 各国政府は違法な手段を用いて自らの意思を通そうとするのは悪であると断じ、同じようなテロが国内で起きないように国民に何度も何度も注意を行っているが、その効果は果たしてあるのか。

 動画投稿サイトにアップされたテロの様子が映し出された映像は、途轍もない再生数と高評価数を稼ぎ出し世界中で大人気となっている。


「そして、二つ目の質問だが――」


 なんと!? 田中さん、二つ目の質問にも答えてくれると言うのか。


「知らん。いくらなんでもそんな情報までうちの会社が調査している訳ないだろ」


 ですよね!? 分かっていました!

 というか、この回答は八尋君も当然予測出来ていたはずなので、二つ目の質問は予想通り社長をおちょくる為の質問だったらしい。


 所長、やっぱりこれは戯言だったんですね。ひどい。


 そして同じくそれに気が付いた社長は、


「ってことはあれかぁ? やっぱりあの男はあたしをおちょくってんじゃねぇか!! ふざけやがってぇ………。おい柿木、どういうことだ?」


 どういうことと言われましても――どういうことなんでしょう?


 あぁもう、八尋君。社長をおちょくるなら私を介してではなく、自分で直接おちょくるようにしてちょうだい。社長って怒るとすごく怖いの。


「なんと! 私もたった今気が付きました。今回ばかりは、いえ、今回も所長が全面的に悪いです、間違いありませんね」


 だから、私は八尋君のフォローなどせず、社長の肩を100%持つ。だってこんな怖い人に逆らうなんて考えられない。そしてみんなそう思っているのにどうして八尋君だけ逆らいまくるのだろう。


「そうだよなぁ? どう考えてもあの男がおかしいよなぁ。あたしをここまで馬鹿にしてくる人間なんてあいつくらいなものだぞ?」


 不機嫌そうにそう呟く社長。


 本当にすいません。八尋君はちょっとお茶目が行き過ぎているだけなんです。悪気もちょっとしかないんです。でもそこも可愛いんです。


「そこで、だ。この無礼を帳消しにして欲しかったら、お前と広谷である依頼を受けろ。頭の良い柿木なら……どうすればいいか、分かるよなぁ?」


 こ、これは!? 


 八尋君が言っていた、あることを強要されるというのはこのことか!?

 八尋君には、『拒否する』『それは無理だ』『残念ながら……』の三つのフレーズ以外は使うなと言われているし、ここは――


「拒否する」


「んな!? この流れでなに秒で拒否してんだよ! てめぇもさっき広谷が悪いって言ってたじゃねぇか。だったらその償いとしてこの依頼を受けやがれ!」


「それは無理だ」


「!? 柿木ぃ、てめぇ、やっぱり広谷の肩を持つのかよ。とうとういつもの敬語すら捨てやがって。あたしを舐めてんのか!!」


「残念ながら……」


「舐めてんのか―い! とうとう本音を暴露しやがったなこの野郎。こんな屈辱を受けたのは初めてだ。てめぇら二人覚悟は出来てんだろうな、後で体育館裏に来いや!」


 ひっ、怖すぎる。というか、体育館裏ってどこ? 本社に体育館なんて存在しないのだけれど。


「あ、姐さん、ちょっと待ってください。冷静になりましょう。いつものあの男のペースに飲み込まれてますよ? それに柿木、お前もさっきから少し変だぞ? 姐さんに挑発的なことをを言うなんてお前らしくない。早くいつもの柿木に戻ってくれ」


「そ、そうだな。いけねぇいけねぇ、このあたしとしたことが、あの男の術中にハマりかけ――」


「拒否する」


「ぶっ殺す!」


「ああ、せっかく姐さんが正気に戻りかけたのに」


 いや違うんです。拒否したくないんです。でも八尋君があの三つのフレーズ以外は必要ないって言うから……。

 にしても意外と会話が成り立ちますね。さすがは八尋君。


「柿木よ、まずは姐さんから依頼の内容について聞いてみてから判断してもいいんじゃないか?」


「……まぁ説明も無しにいきなり承諾しろって言われても難しいか。よし、じゃあ簡単にこの依頼の内容を説明するとだな――――」


「拒否する」


「説明も拒否!? て、てめぇ、いい加減にしろよ。さっきから話が進まねぇじゃねぇか!」


「社長の言う通りだぞ、いい加減にしろ柿木」


 とうとう田中さんにも怒られてしまった。所長、あなたの言う通りにしているんですけど、本当にこれで良いんですか? 段々心配になってきた。


 すると、田中さんはふと何かを閃いたかのように表情を変え、私にこう尋ねる。


「――――もしやお前や広谷はこの依頼について知っているのか? だからそんなにも頑なに拒否しているのか?」


「残念ながら……」


「何!? おい、田中。この話、当たり前だがどこにも漏らしてねぇだろうな?」


「当然です。ですが考えてみてください、相手はあの広谷です。我々の様な日本各地に情報網を張り巡らせている組織ですら知りえない情報も、奴は当たり前のように持っています。それが、あの男の類稀な推理能力からくるものなのか、それとも何か特別な諜報組織や、人材を持っているのかは分かりませんが……」


 八尋君なら確かにそんな組織を持っていてもおかしくないくらい何でも知っている。

 でも私は知っているのだ。彼はそんな組織や諜報員のような人材は持っていない。


 八尋君は私が出会った高校の時から、何でも知っていたし見通していた。それに今では、私は彼の秘書としてほとんど常に一緒に居る。その私が断言する。彼は日常にありふれた多くの些細な情報から、誰もが知りえないような価値ある情報に辿り着いている。


 やっぱり八尋君はすごい。惚れ直してしまう。


 ところで、なんだか私もこの依頼について把握しているみたいな雰囲気になっていてすごく困るのだけれど、これどうしよう。


 八尋君はどうもこの件について全て把握した上で、私に断るように指示したようが、私はこの件について一切知らない。八尋君はいつも重要な情報を中々教えてはくれないのだ。

 だからこのまま、みんな知ってるよねという空気で会話されてもすごく困ってしまう。


「確かにな。だが今回の件に関しては本社の中でもあたしと田中しか知らねぇ、トップシークレットだ。それなのに、あいつはこの依頼を予測して見せた? ちっ、やっぱ化け物だな、あいつ。柿木、この件はお前も知っての通りかなり厄介だ。だがこれは奴も読めなかったようだな。この件は国家依頼だ。拒否したい気持ちもすげぇ分かる。だがあたしと広谷は他人よりも高い級位の資格がある。柿木、お前なら分かるだろ? あたし達に拒否権があるかどうかなんて」


「残念ながら……」


 全く理解できていません。国家依頼? 拒否権が無い? 意味が分からないです。それに資格?

 確かに八尋君は国家公認探偵という国家資格の一級を持っている。これはうちの会社全体を見ても五人しか保持していない超難関資格だ。でもそれとこの話に一体何の関係が?


 八尋君、あなたの秘密主義のせいで今日も私の頭の中は、混乱しまくりです。


「そうだ、そこを理解できてるなら話が早い。今回はここら近辺の特級メンバーが全員召集される。それ程厄介な案件だ。当然ながらこれを断れば資格の停止や剝奪も十分に有り得るだろう。てめぇや広谷も流石にそんな事態は免れたいだろう?」


「拒否する」


 さっきから八尋君の指示通りのセリフしか言っていないけど、これいつまで続ければいいのだろう。


 というか特級!? それって都市伝説とか噂にあるだけの級位じゃないんですか?

 この話の流れからすると、社長と八尋君は特級という事になるが、八尋君鑑定士一級の私でさえその情報は初耳だ……。混乱しすぎて気が狂いそう。


「うんうん、あたしだってそうだ。そしてあたしとしてもせっかくうちの会社にいる特級持ちを失うわけにはいかない。だからこの依頼を受けるって言えッ!」


 ここにきてなんとなく状況は理解し始めた。特級の資格というのは噂通り確かに実在していて、その特級持ちは恐らく国家依頼と呼ばれる国からの依頼を断ることが出来ないような仕組みなのだろう。そしてなんと衝撃の事実として、八尋君も特級持ちだったと。


 でも冷静に考えると、八尋君はこの依頼について知っていて、自身が特級ということも当然理解している。

 あの八尋君が、この件が国家依頼であることを予測出来なかったという社長の読みは合っているのだろうか。彼のこれまでのことを考えると、どうにも私にはそれが真実ではないように思える。


 それに彼は言っていたではないか、何を言われてもあの三つのフレーズで切り抜けろ、と。何を言われてもというくらいだ。八尋君はきっと、社長が私に特級の事や国家案件の事を説明して、その依頼を拒否するリスクを理解させることも想定していただろう。


 それなのに、私に対しての指示は一貫した拒否。これが意味するところは――――将来的にこの依頼自体が無くなるか、八尋君が依頼を拒否しても国がそれを認めるような事態になるということ?

 つまり八尋君は依頼を拒否しても問題ない、もしくはそれが最善と考えている。


 ならば私の答えはもちろん、


「拒否する」


「「なんでだー!!」」


 広い社長室に社長と、先程まで静かに状況を見守っていた田中さんの二人の叫びが響き渡った。

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