第9話 柿木菊花視点

柿木菊花視点

 私は昨日の八尋君の指示通り事務所には寄らず、家から直接本社のある隣の市へと車で向かっていた。


 八尋君が私達を事務所にも近付けずに何をするつもりなのかは一切分からない。だが今回の依頼、『木崎ちゃんのパンツ誘拐事件』を受けるまで、彼は秘書の私にもその様なことを一切言っていなかったことから、この事件に関する何かをするつもりであるというのは私にも分かる。(ちなみに『木崎ちゃんのパンツ誘拐事件』という名称は私と舞ちゃん双方が微妙だと思ったし、事件の本質はそこじゃないんじゃないかと私は思ったが、あまりにも八尋君が自信満々で可愛かったので二人共、まぁいいかと流してしまった)


 ならば邪魔をする訳にはいかない。

 私たちに事務所に来るなということは、私達が事務所に行くことで八尋君に何らかの不利益をもたらすと考えられるからだ。


 だから私は舞ちゃんにもしっかりと釘を刺しておいた。あの子は来るなと言われても八尋君の所に遊びに行ってしまう可能性がある。

 しかし彼女はそれに対して「センパイがマジトーンで言ってましたからねー、流石のうちでも事務所には近づきませんよ」といつにもなく真面目に答えていたので、今回は恐らく大丈夫だろう。

 



 所長、広谷八尋は昔からそうだった。彼には高校の時に初めて会ったが、その時から何か問題が起きるたびに私や周囲の人間には何も告げず裏でこっそりと行動したり、さりげなく私達にヒントを与えたりしてその問題を自分以外の他人に解決させようとする。

 そしていざ問題が解決すると、「流石柿木だ。すごいね」と褒めてくるのだ。すると周囲の何も分かっていない人々は私を褒め称える。


 最初のころはそれがすごく嫌だった。


 本当は自分が一番最初に何でも理解してしまっているくせに、それを隠し他人に手柄を譲ってすごいねなんて、バカにしているのだろうかと。それとも手助けしてあげなければ、こんな簡単なことも分からない私達を憐れんでいるのかと。


 思えばこの頃から私にとって、彼は特別だったのだろう。


 私は昔からあまり感情が動かない人間だった。周囲が笑っていても、泣いていても私は特に何も感じない。何も感じないから表情も変わらない。それが続きすぎて今ではほとんど表情の動かし方が分からなくなってしまったくらいだ。


 そして同時に私は何でもこなせてしまう人間でもあった。

 昔から一度見聞きしたことは絶対に忘れないので、勉強は授業を聞くだけで全国模試でも上位に食い込んだ。

 体を動かすのも得意だった。初めは下手くそでも、上手い人の体の動かし方を見るだけでどうすれば上手くできるのかが簡単に理解でき、理解出来てさえしまえば、体は一発で頭で考えた通りに動く。だからどんな競技でも一瞬で上達した。


 こんな私だったから、よく無表情すぎて何を考えているのか分からないだとか、実はロボットなんじゃないのかとよく揶揄からかわれたりもした。


 しかしそんな冷たい言葉にも私の感情が動かされることは無かった。


 それなのに、彼のことになると何故か私は感情的になってしまう。どうしてだろう、当時の私はそう不思議に思っていた。

 



 彼と出会ってから半年ほど経った。この頃になると徐々に彼に対する不満は無くなっていった。

 この間も彼は周囲の人の為にその頭脳を発揮し続け、その功績は出来る限り人に譲り続けた。


 そんな日々を経て段々と私はこう思うようになっていた。


 彼は何でもすぐに分かってしまうばかりに自分自身を隠しているのではないかと。彼は恐らく、いや間違いなく本物の天才というやつだ。


 私は彼に出会うまで自分は天才なのではないかと考えていた。どんな分野でも他人が努力しなければ辿り着けない領域に簡単に踏み込めてしまうから。


 だが彼と出会って思い知ってしまった。


 あぁ、これが天才というものなのか、と。


 天才は私の様に凡人でも辿り着けるような領域でくすぶっている者のことではなく、私達凡人にはどんなに努力しようと辿り着けない領域にいる者の事なのだと、そう理解させられた。

 そのことを理解したその瞬間から、それまでと一変して今度は彼が輝いて見えた。そして私のような紛い物ではなく、本物の輝く彼をもっと近くで見ていたいと思うようになった。


 それまで私と彼はいくつか探偵の真似事の様な事をしてきたけれど、彼のそういった場面での推理能力は特にずば抜けていた。異常と言ってもいい程に。


 どんな謎でもある程度の概要を聞くと、その謎の真相をかなりの確率で把握してしまうのだ。しかし何故かその謎の真相を教えてはくれない。

 その代わり毎回彼は周囲にヒントを告げた。分かりやすいヒントのこともあれば、時にはその段階では戯言の様なことを言うこともある。だが、その謎が明らかになって、改めて振り返るとその戯言は正しくヒントだったりするのだ。


 ……もっとも、彼は本当にただの戯言を言う時があるから混乱してしまう時があるけれど。


 人は自分とは違うものは忌避、もしくは排除しようとする。

 特に若い高校生の内なんて、本物の天才を知ってしまったらほとんどの者が嫉妬せずにはいられないだろう。そしてその嫉妬から、多くの凡人が手を組み天才を排除しようと行動することも充分考えられる。


 私は当時そう考えた、そして今でもその考えは変わっていない。


 彼は私から見て頭の作りが明らかに常人とは違う。私は高校に入ってからの彼しか知らないが、きっとそれまでの彼の人生が、自身のその類稀な頭脳をひけらかすようなことを決してしないようにしたのだろうと、私はそう考えている。


 それでも彼は誰かが困っている姿を見掛けるとその頭脳を使って、私達にヒントを与え続けてくれた。そうなると当然、私や舞ちゃんのような一部の者には彼の推理能力の異常性は少しづつバレていく。

 たまたま真の彼の姿に気が付いた者の中には、彼を忌避したりするような人間はいなかったが、かなりリスクのある行動であったと言えよう。だが、そんなリスクを負ってまで彼は困っている誰かを助け続けたのだ。


 そして私はそんな彼の姿を隣で見続けることで、この人はなんて優しい人なのだろう、そう思うようになっていた。


 そして、気が付いたら彼を好きになってしまっていた。


 こんな感情を持つなんて、彼と出会うまでは考えられなかった。


 だからこそ彼は私にとっての奇跡なのだ。その奇跡の彼が私の前からいなくなってしまったら、きっとまた以前の感情の無いロボットに逆戻りになってしまう。そう私は確信している。

 だから思う。八尋君の隣りにずっといたい。そして私が彼を孤高の天才にはしないと。

 



 二年生の秋、八尋君は生徒会長になった。

 この頃になると多くの生徒が彼の事を知るようになったし、それまで八尋君に助けられた生徒達がたくさんいたことで、彼は誰の相談も真摯に考えてくれ、一緒に悩み、そして解決してくれる人格者と多くの生徒の間では認識されていた。


 人格者という点には流石の私も、それは無いんじゃないかと否定したかったが、こうして彼の生徒間での評判が良くなることは、私の計画通りだったので何も言わなかった。


 高校の生徒会長選挙なんて、所詮立候補した人間がその他大勢の人間からどれだけ好かれているかの人気投票である。

 だから私の計画通り、生徒間での評判が高まりまくっていた八尋君は、生徒会長選挙では二位と十倍差の圧倒的大差で勝利した。


 ちなみに彼を生徒会長に推薦したのは、誰であろうこの私だ。


 勿論、その能力から考えて八尋君は生徒会長になるべき人物だと確信していたが、それよりも私は八尋君と生徒会という同じコミュニティに所属してもっと仲良くなりたかったのだ。


 八尋君は間違いなく自分から人の上に立ちたいと言い出すタイプでは無い。しかし、彼とクラスが一年でも二年でも違った私にとって、こればかりは絶対に譲れなかった。


 たまたま私は生徒会長選挙云々の前から、彼が天才が故に孤立してしまわないようにと、生徒間の彼に対する評判を良い方向に誘導していた。だから選挙にまで持っていってしまえば確実に勝てると私は確信していたのだ。


 私は生徒会の顧問の先生に暗示でこう信じ込ませた。

 八尋君自らが先生に生徒会長選挙立候補の直談判に来たと。


 実際には、そんな行動八尋君は一切していないのだけど、私のバラ色の高校生活の為だ、仕方ない。


 立候補の書類も私が彼の筆跡を真似て提出した。筆跡を真似るなんて初めての経験だったけど我ながら上手くできたと思う。


 こうして私は無事八尋君を生徒会長にし、八尋君は私を副生徒会長に選んでくれたので私の計画は見事成功となった。

 八尋君は終始、自分が何故生徒会長になってしまったのかと不思議がっていたけれど。




 そこから私は校内に様々な噂を流して見せた。


 曰く、広谷八尋は何人かの生徒を諜報員として採用し、校内のありとあらゆる情報を握っている。

 曰く、広谷八尋は校内に隠し部屋を作りそこで暮らしている。

 曰く、広谷八尋が入学して以降いじめの加害者は必ず謎の失踪を遂げ、結果としていじめが完全にゼロになった。

 曰く、広谷八尋は副生徒会長の柿木と付き合っている。


 などなど、生徒達の好奇心を揺さぶるような事を、有ること無いこと校内にバラまいた。いくつか私欲が混じった噂も中にはあったが、こういった噂の方が生徒たちに好まれるものなのだ。決して外堀から埋めてしまおうなんて言う考えからではない。


 こうして数多くの噂を流すことで、ほとんどの生徒にとって、彼を実際に見る機会よりも噂から彼の事を聞く機会の方が圧倒的に多くなる。

 そうすることで生徒達には、彼が映画やドラマの登場人物のような確かに実在はするが、自分達とは根本的に違う存在であるという錯覚を引き起こさせた。


 その結果、八尋君が生徒達の前でその天才性を発揮したとしても、あの噂は本当だったんじゃないか、あの噂は実はこうだったんだ……と彼の噂に対する生徒達の好奇心を刺激させ、彼の天才性ないし異常性から目を逸らさせることに成功した。


 事実、多くの生徒は八尋君が卒業するまで、彼の天才性を知ることは無かった。彼のある程度整ったルックスも相まって、生徒会長として目立つが故に面白おかしい様々な噂を立てられている、アイドル的存在と認識され続けたのだ。


 あぁ、この作戦は我ながら見事だったと、今になっても思う。一つの高校のほぼ全校生徒に軽く暗示をかけたのだ。もう一度同じようにやれと言われても、完璧に実行するのはかなり難しいだろう。

 だが、八尋君がそれを望むなら私はきっとやって見せよう。例え、その対象が高校の全校生徒から日本の全国民になったとしても。

 



 つい八尋君の事を考えて、昔の思い出に浸ってしまっていた。気が付くと自宅を出てから三十分程の時間が経ち、本社のある隣りの市までやって来ていた。


 ここは、県内で最も発展している大都市だ。

 首都機能の分散を目的として数年前に東京から移転してきた外務省もあるし、百貨店や高級ブランドのお店、全国チェーンの飲食店からマニアックな専門店まで。ここには何でも揃っている。

 買い物をする為にわざわざ隣りの県からもたくさんの人がやってくるくらいだ。


 社長との話が終わったら久しぶりに服でも見に行こう。あと、広谷君にも何か買っていってあげようかな。きっと彼は今もその天才的な頭脳を使って、事件解決の為に頑張っているはずだから。

 



 ――……さて、今回の依頼について八尋君の出したヒントはあまりにも少なすぎる。


 だから私は無理を言ってヒントを追加してもらった。そして言われたヒントが、社長に会いに行き、海外から危険な人間が入っていないか、物干し竿に欲情する部族がいるかの二点を聞くこと。あと、何かを無理強いされそうになったら例の三つのフレーズを使いまわして切り抜けろということ。


 どうやら八尋君は社長が何かを強要してくると推測しているらしく、それを拒否したいらしい。これもヒントになるのだろうか。


 社長は八尋君の天才性を知っている人間の一人だが、彼の人をおちょくる性格も知っている人間でもある。だから思う。いくら事件解決に必要だからと言ってこんなことを聞くなんて絶対に怒られると。


 八尋君はしょっちゅう社長をブチ切れさせている。本社の中では、社長がキレるということは、また八尋君が何かをしたとイコールで繋がってしまっているくらいだ。


 あぁ、社長に会うのが今から憂鬱だ。だって質問の内容の前者は、探偵が事件解決の為に情報の専門家である社長に訊ねる内容として理解できるが、後者に関しては社長を怒らせるために取って付けたような質問としか考えられないじゃないか。こんなこと社長に直接言う私の身にもなって欲しい。


 だが、これまでの広谷君の言動や実績を考えると、もしかしたら……ほんの僅かな可能性だが、この質問が事件解決に繋がる重要なヒントの可能性もある。


 あぁ、どうかこれが広谷君のいつもの戯言じゃありませんように。そう願いながら私は社長室の扉をノックした。

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