第2話 危険な犯人像

 所長室に着いた俺は一旦一息入れようと考え、いつでも食べられるようにデスクの引き出しに入れておいたお気に入りの『も~も~カンパニーの超激辛煎餅』を取り出す。


「柿木も食べる? ちょっと辛いけど美味しいよ? 他のみんなにも評判なんだ」


「い、り、ま、せ、ん。前に興味本位で少しだけ食べましたが、その煎餅は辛すぎて食べられたものではありませんでした。……そう言えばその煎餅を見て思い出しましたが、ミスをすると罰として所長がその煎餅を食べさせてくるといった噂を聞いたことがあるのですが、本当なんですか? とすると私も何かミスを?」


 !? なんだその噂は。俺は知らないぞ。


 ミスの量において俺の右に出る者はいないというのに、その俺が他人に罰を与えるだと? 

 はっ、有り得ない。ミスをすることに対して俺は日本一寛容な上司であると自負している。他人には勿論だが自分自身に対してもな!


 それにしても、なんでそんな噂が流れているんだ?


 確かに以前ちょっとしたミスをして落ち込んでしまっていた子に、気分転換というか元気になって欲しくて、俺の大好きなこの煎餅を「あまり気にしすぎるのも良くないよ?」と言って渡したことがある。


 でもその時は「ありがとうございます! 頂きます!」って言ってすごい勢いで食べて、すぐに元気を取り戻したのか俺に一礼して走り去っていたから、良かった良かったと思ってたんだけど……もしかしてアレのこと? 


 当時は部下が落ち込んでいるときに励まして元気を取り戻させるなんて、デキる上司みたいじゃないかと舞い上がっていたが、冷静に考えてみるとあの子が俺に「ごちそうさまでした!」とか「それでは失礼します!」とか何も言わずに去るのは珍しいことだったかもしれない。


 それに確かあの時、あの子が走り去ったのは給湯室がある方向だ。あそこには水とお茶、コーヒーが山程ある。……もしかして喋れない程辛かった? 


 だとしたらまずいぞ。俺はその後その件に味を占めて、ミスをした部下がいたら積極的に「次は同じミスをしないように頑張ろう」とか「誰にでもそんな時はあるよ」とか適当にそれっぽいことを言って煎餅を配りまくっていた。


 あれか! あれがそんな噂になってしまっていたのか。何てことだ、恥ずかしい。そしてみんなに申し訳ない。


 うぅ、良かれと思ってやっていたのにミスに対する罰だと思われていたなんて。こんなのデキる上司どころかその対極的存在、パワハラ上司そのものじゃないか。


 今度お詫びの印に牛乳でも持っていこう。辛い物を食べた時は牛乳を飲むと良いってよく聞くし。今までの激辛煎餅の辛さを相殺してこれまでのパワハラの恨みもいい感じに帳消しにしてくれるんじゃないだろうか。そうなってくれ頼む。


 いや、それも大事だけど今は柿木のことだ。秘書業務は勿論のこと会計業務に推理、俺のとんでもないミスのカバーまで何でも出来る彼女が自分はミスをしたのではと不安になってしまっている。


 これはいけない。この事務所の実質的所長兼エースの彼女には常に最高のパフォーマンスを発揮できる状態でいてもらわなければいけないというのに。

 そうでなければ俺がいつものミスをした瞬間に、この事務所は終わる。もし万が一、彼女がうちを辞める様なことになったら――。うぅ、考えるのも恐ろしい。


「違う違う、ミスなんてない。ちょっと休憩しようと思って言ってみただけだ。本当だよ? 柿木はいつも良くやってくれている。俺はすごく君に感謝しているんだ。君がいなければこの事務所はひと月も持たずに潰れてしまうだろう。いつも助けられているよ、ありがとう。もしこの事務所で最も信頼するのは誰かと聞かれたら俺は迷わず答えるよ? 柿木菊花、彼女だ、と」


 ど、どうだ? 結構頑張って柿木の不安を取り去ろうと、いつもは口に出さないようなことも伝えてみたのだが。


 恐る恐る柿木の様子を伺うと、表情自体は先程までの真顔から一切変化は無い。だが、彼女の顔はいつもの色白な肌からは一変して赤く染まっていた。


 まるで俺の煎餅を食べた部下たちの様に。


 いや、分かってる。彼女が辛いから真っ赤になっている訳ではないということは。きっと嬉しかったのだろう。たとえいつも苦労ばかり掛ける俺という上司からの評価だとしても。いつもの苦労を見てくれていて、それを正当に評価してもらえるというのは。


 まぁ、そんなに感謝してるならちょっとはミスを減らして私の仕事を減らせよ、という怒りを我慢してぷるぷるしているだけの可能性も勿論あるのだけども。


「ありがとうございます。そこまで評価して頂けていたなんて」


 無表情を装いながらも未だ赤みがかった顔をしている柿木がそう言う。

 俺の言葉でこうやって喜んでくれるなんてこっちまで嬉しくなってしまうな。今度他の部下にもやってみよう。


「さて、それでは依頼人も待たせてしまっているので依頼について話しましょう。それで所長、さっき言っていた大事件と言うのは確かなのですか? それによっては我々は依頼を断るという選択肢が無くなってしましますが」


 柿木の言う選択肢が無くなるというのは、法律によって指定された犯罪又はそれが予測されるような依頼は、それを受ける探偵事務所にその依頼を遂行する能力を持つ人員がいる場合、よっぽど特別な理由が無ければ必ず引き受けなければいけないと定められているからだ。

 例えば悪質なストーカー被害や、脅迫、誘拐等の依頼がそれに充たる。


 それらはもし依頼を持ち込まれた探偵事務所が断った場合、依頼人は他の探偵事務所を新たに探す羽目になったり、最悪の場合たらい回しにされる事になってしまう。本来であれば解決できたはずの依頼がその時間的ロスの結果、事件が解決できなくなったり被害が大きくなったりする恐れがあるため、こうして法律で厳しく規制されているのだ。


 勿論こういった場合は、国の方からも別途報酬が出る。なのでそういった意味では、依頼料は最大で木崎ちゃんの全財産五千円問題も解決するかもしれない。


「さっきは大事件だなんて言ったが、今回の件だけで大事件と言うつもりはない。だけどこの後大事件に発展する可能性が高いと俺は考えている。犯人は、とても危険な人物だ。現時点でそれは間違いない。だからこそ、あまり気が乗らない。法律は確かに厄介だが、抜け道はある。犯人は恐らく目的の為には手段を選ばない、そんな人間だ。そんな奴を相手取る真似を部下にさせたくない」


 そして俺もしたくない。

 だって犯人は想像を絶する変態だよ? 物干し竿もいけるなら、そこら辺の電柱に欲情していても何らおかしくはない。いやむしろそれが自然と言えるだろう。ということは、犯人は日頃から道路を歩行するだけで欲情し、洗濯物や物干し竿のように電柱も自らの手元に置こうと企んでいるのではないか? 


 何てことだ……こんな危険な人物が何で今まで話題にも挙がらなかった? 


 最近、この近辺で似たような事件は起こっていない。

 きっと最近になってとうとう自らの欲求を抑えきれなくなり、行動を起こし始めたんだろう。


 生まれてからこれまで被ってきた一般人としての皮を脱ぎ捨てて、これからは自分に正直に生きるというのか。

 一般的には良いことかも知れないけど犯人君、君の場合は周囲の被害が大きくなりそうだから一生殻に閉じこもっていて欲しかったよ。


 ……となると、今回の事件は犯人自らの欲望を満たすその第一段階として、一般的な変態と同じように衣服の窃盗を行った。しかし実行する際につい我慢できなくなってしまい男物の衣服や物干し竿まで盗んでしまった、といったところか。


 盗む際にどうやって周囲に怪しまれなかったのかはまだ謎だが、凡その展開はつかめたな。

 今回の窃盗は取り敢えず成功してしまった。きっとここから犯人の行動は徐々にエスカレートしていくことになるだろう。そうすると次の標的は――――


「電柱が危ない!?」


「ッ!??」


 おっと、深く思考しすぎたせいで突然声を張り上げて柿木をめちゃくちゃ驚かせてしまった。ごめん、悪気は無かったんだ。


「電柱ですか? いきなり何故電柱と思わないこともないですけれど、まぁいつものことなので頭の片隅にでも留めておきますね」


 いつものこと!? え? 俺って気が付いていないだけで、いつも突然大声出したりしてた? そんな奇行はしたこと無いと思うのだが……。


「それにしても所長が依頼を受けることを渋るほどの犯人とは恐ろしいですね。ですがそれならば国からの報酬も間違いなく出るでしょうし、木崎さんの予算でも利益は出せそうですね。取り敢えず見積書は作っておきます。その上で依頼を受けるか否かは所長にお任せします。

 もし依頼を断っても罪に問われないようにするための諸々の手続きや書類の提出はお任せください。本社の方への事情説明だけは所長本人に行ってもらわなければなりませんが」


 何て仕事のデキる秘書なんだ。素晴らしい。最高。

 依頼自体は断りたいと思っていたし、本社に行くのも嫌だけど……すっごく面倒くさいけど、それはもう仕方ない。割り切ろう。変態を回避するためだ。


 しかし、さっきから柿木が言っている、法令で定められた特定依頼の受諾義務とそれに伴う国からの報酬のことなのだが、いくら世紀の変態が相手だからと言ってそれらが発生するのだろうか?


 ……心配になってきたな。もしこれが無いということになったら、事務所全員の次回のボーナスカットは間違いない。だって依頼を遂行する事によって利益が出るどころか、動けば動くほど損失が発生するのだから。


 きっと事務所内では暴動が起こるだろう。皆、血の気が多いタイプだから。

 そうしたら俺は破滅だ。部下の皆にも合わせる顔が無い。


 いやそもそも俺はあまりそこら辺のルール、というか法律全般について詳しいとは口が裂けても言えない。一般常識レベルの法律もあまり俺の頭の中には入っていないのだ。


 だが無能な俺とは違い、我が有能な秘書である柿木は、探偵業務に関わる法律についてはその全般に渡って内容を把握している。その柿木が間違いないと言ったんだ。きっと大丈夫だろう。そうに違いない。うんうん、やっぱり俺はあまり考えすぎない方がいいな。


 難しいことは柿木が全部やってくれるから、俺は取り敢えず煎餅でも食べながら見積書が出来上がるのを待つとしよう。


 そうだ今度柿木には甘いものでもご馳走しようかな、そう考えながら俺はばりぼりと煎餅を食べ続けた。

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