第十六話 すれ違い

 時間が時間なので、今夜は父さんの家に泊まることになった。


 明日の朝、結衣ゆいが家から出てくるのを確認したかったので帰ると言ったのだが、許してもらえなかった。


 タクシーを使うなら何時でも来て構わないと言ったのに、帰るのはダメなのだろうか。


 腑に落ちないものを感じ、唇を尖らせながら父さんの用意してくれたパジャマに袖を通す。


 シルク素材はとても肌触りがよく、サイズもぴったりだ。

 お泊まりに備えて、わざわざ買っておいてくれたらしい。


真琴まこと。そういえば、ここに来ること、お母さんには言って来たのか?」


「あっ」


「やれやれ。心配しているはずだから、すぐに電話を入れなさい」


「で、でも……もう寝てるかもしれないよ?」


「そんなはずないだろう」


 いいから電話しろとごり押しされて、僕はポケットからスマホを取り出した。


 ディスプレイを見て、目を疑う。


 着信履歴二十一件、メール三十六件。


 メールの方には、メルマガが数件含まれていたものの、差出人はほぼ母さん。


 着信履歴も、すべて母さんのものだった。

 ぎょっとしたが、無理もないのかもしれない。


 高校生になったばかりの息子が夜中まで帰らなければ心配する。


 度合いは人それぞれだと思うけど……こんなふうに着信履歴を埋め尽くすような人が、眠れているわけがない。


 着信履歴からそのまま発信すると、僅かワンコールで母さんが出た。


『真琴! あんた、大丈夫なの!?』


 大声で怒られることを覚悟して、受話口から耳を離していたのは正解だった。


 リビングに母さんの声が響いて、僕は肩をすくめる。


 普段は陽気な母さんだが、さすがにこの時ばかりは怒っていた。


 僕が父さんの家に居ることがわかると、ひとまず安心したようで、今度はお小言が始まった。


鷹幸たかゆきさんも鷹幸さんよ! こんな時間まで真琴を引き留めたりして……』


「はいはい、悪かったよ。久しぶりに来てくれたものだから、どうも離れがたくてね」


 スピーカーモードにしていたため、父さんが苦笑しながら、そのまま会話に参加する。


「違うんだよ、母さん。オレがここに着いたのは、ついさっきなんだ」


『なんだ、そうだったの。じゃあそれまでどこにいたのよ。ママも今日はいつもより帰りが遅かったし、もしかして入れ違ったのかしらね?』


「えっと……結衣の家に行ってた」


 スマホの向こうで、母さんが変な声を出した。


「どうしたの? 母さん」


 僕が結衣の家に行くなんて、珍しいことでもなんでもないはずだ。


 バリバリのキャリアウーマンである母さんは、毎日十時過ぎに帰ってくるので、結衣との仲がこじれている話はしていなかったし。


『実はさっき、結衣ちゃんが訪ねてきたのよ』


「え……っ!?」


『びっくりしたわよ。十二時過ぎてたし、いくらなんでも遅すぎるじゃない? まあ、ちょっと切羽詰まった様子だったから、叱ったりとかはしなかったけど。真琴は帰って来てないって言ったら、すぐに帰って行ったわ』


 十二時過ぎといえば、僕が結衣の家からここまで全力疾走していた時間帯だ。


 僕が入れ違ったのは母さんとではなく、結衣とのほうだったらしい。


 徒労感に襲われ、僕はスマホを持ったまま床に屈み込んだ。


 深いため息をつく。


『まあ、明日にでもおうちに行ってみたらいいわよ。今日はそっちに泊まるんでしょ? 鷹幸さん、真琴のこと頼むわね』


「もちろん」


『なにかあったら承知しないわよ』


「わかってるよ」


 あやすような声で、父さんが答える。


 そんな短いやり取りのあと、母さんとの通話は切れた。

 僕にはどうも、この二人が別居する理由がわからない。


 確かに母さんは、昔からしょっちゅう父さんに対して怒っていた。


 でも父さんは笑っているし、喧嘩なんて見たこともない。


 まあ僕の記憶の中では、ふたりが一緒にいることなんて、ほどんどなかったのだけど。

 でもどうしても、険悪な仲には思えないのだ。


 僕が訊ねれば、少なくとも父さんは教えてくれるのだろうけど、なんとなく怖くて訊けなかった。


 子供の手前、いろんなことを取り繕っていたのかもしれない。


 彼らは大人なんだ。


<つづく>

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