第二十三話 犠牲者

 母さんから着信があったのは、朝食を済ませたあと。


 僕は、キッチンから聴こえる父さんの鼻歌と食器をこする音をBGMに、カウチに寝そべりスマホアプリをやっていた。


 あと少しでステージクリアというところで、突如画面が暗転。デフォルトの着信音とともに、母さん自前のベストショットが画面いっぱいに映し出される。


「もしもし、母さん? おはよう」


『おはよ。なによ、早起きじゃない』


「まあね」


 いろいろあったのだ、ということは、黙っておく。


真琴まこと。あんた、今日も鷹幸たかゆきさんのところに居なさい。土曜日だし、いいでしょ』


「なんでだよ。母さんまでオレを邪魔者扱いするの?」


『バカ、そんなわけないでしょ。違うのよ。今ちょっと、家の周りが面倒なことになってるから……、そうだわ。ニュース見てみなさいよ』


 ──ニュース。


 その単語だけで、僕には母さんの言わんとすることが、なんとなく予想できてしまう。


「父さんの家って、テレビ無いんだよね」


 母さんが大きくため息をついた。


 世捨て人だの、世間に関心が無さ過ぎるだの、ぶつぶつ言ってから、


結衣ゆいちゃんのお父さんが刺されたのよ』


「ふうん」


『ふうんって、あんた。驚かないの?』


「べつに」


 そうか。やっぱりなあ……。

 って感じ。


 包丁を持った結衣が刺したい相手なんて、僕とあの男の他にいないだろう。


 夕べはパニックでいつの間にか意識を失うという醜態をさらしたけれど、一晩経ったいま、僕は驚くほど冷静だ。


 窓にまだあの無数の手形が残っていたなら、そうはいかなかったと思うけど。


 落ち着いていられるのは、たぶん父さんのおかげだ。


『なんだかあの人に似てきたわね……』


 あの人というのは、父さんのことだと思う。母さんって、僕の前でも父さんには物凄くよそよそしいんだよね……。


 僕が小さい頃のことはちょっとわからないけど、僕が父さんと再会した話をして以来、その他人行儀な態度に拍車が掛かったように思う。


「まだ眠くてぼんやりしてるんだよ」


 僕は嘘をついた。


「やったのは結衣なんでしょ?」


『……真琴。あんた……』


 母さんはなにか言いたそうだった。


 けれども、寝惚けているという僕の言葉を信じている──信じていたいのだろう。


 言葉を切り、長い息をつく。

 自分の心を落ち着けているんだと、僕にはわかった。


 ごめんね、母さん。

 僕は少し変わったかもしれない。


 嘘だとか、信じたくないなんて言って、目を閉じてみたところで、現実はなにも変わらなかったんだ。


「結衣はどうしてる?」


『自首したって』


「じゃあ、無事なんだね。よかった」


 ……あんまり無事じゃないか。


 それでも、生きているならいい。

 心の支えを失った結衣が自殺でもしてしまうのではないかと、僕は心配だったから。


『不謹慎かもしれないけど、ママ少しほっとしたわよ。あんたが昨晩、森川さんちに行ったなんていうから』


 事件の直前に森川家に立ち入ったことで、僕がこの事件の容疑者にされるのではないかと思ったようだ。


 結衣と鉢合わせた僕に危険が及ぶなどという考えは、母さんの中には微塵も無かったらしい。


 あと少しタイミングがずれていたら、多分僕のほうが先に刺されたんだろうなあ。


「わかったよ、母さん。オレ、今日も父さんの家にいるね」


『悪いけど、頼むわね。言っとくけどママはね、あんなことがなければ、すぐにでも真琴に帰って来てほしいって思ってるんだから』


「わかってる」


 落ち着いたら母さんの方からまた連絡すると約束して、通話が切れた。


 今日も一日この家に居させてほしいと告げると、父さんは大層喜んだ。


 ネットで事件の記事を見ながら、『森川さんに感謝しないと』なんて言って笑っていた。


 うすうす気付いていたけど、父さんってなんか少しズレてる……。


 なお結衣の父親は、発見されるのが遅く、助からなかったとのことだ。


 ***


「父さんってさ、なんで僕たちと別居してるの?」


 ずっと気になっていたことを訊いてみる気になったのは、なんとなくその理由らしきものが、僕の目にも見えてきたからだ。


 訊くのが怖かったのは、僕がずっとなにも知らなかったから。


 百パーセントでなくても、おおむね予想通りの答えが返ってくることがわかっていれば、心の準備ができる。


 すっかり定位置と化したカウチにうつぶせになった格好で、僕は父さんの返事を待った。


 父さんは、ちょっと考えてから、


美琴みことさんとジャンケンして、俺が負けたからだね」


 美琴というのは、母さんの名前だ。


 予想だにしなかった回答に、僕は十五歳という若さで自分の耳を疑った。


 心の準備が台無しだ。


「なにそれ。そもそも、どうしてそんな勝負したのさ?」


「うーん……これ、俺の口から言ってもいいのかなぁ」


 父さんは僕をちらりと見て、膝の上で開いていた洋書を閉じた。


 なんでも教えてくれると言ったよね?

 そんな意味を込めて、僕は強い視線を返す。


「なんというか……その、きみのママは、すごくやきもち焼きなんだよ。俺が真琴と仲良くしてると、気になって仕方ないみたいでね」


 僕は、ぶっと吹き出した。


 なにそれ。母さんがヤキモチ?


 からっとした性格の人だと思っていたけど、意外と乙女なんだな……。


 家に帰ったらからかってやろう。


「あのまま家にいると殺されそうだから、仕方がなしに出ていくことにしたんだ」


 なにせ俺は、ジャンケンに負けたからね。


 冗談めかして言ってから、父さんは困ったように笑ってみせた。


 僕も合わせて少し笑ったが、なんだか申し訳なくなってしまう。


 子供だから仕方がないとはいえ、僕の存在が仲睦まじい夫婦を引き離してしまうなんて。


 そっか。母さん、拗ねてたんだ。

 だから父さんに対してあんな……。


「どうしたの、真琴」


「あのさ。僕、早く自立するから」


「え?」


「一人前になって、あの家を出るよ。ふたりがまた一緒に暮らせるように」


 父さんはしばし不思議そうな顔で僕を見つめたけれど、


「驚いた。真琴、大人になったな」


 笑いながら、僕の髪を大きな手でクシャクシャとかき回した。


「ちょ……っ、思ってないでしょ!?」


「あはは。そんなことないよ」


「もー……」


 父さんと母さんが、また恋人同士のように暮らせる日が、できるだけはやくきますように。


 その中に僕だけがいないのは、やっぱり少し寂しいけれど。


 それでも、大好きな人たちには幸せでいてほしいんだ。


<最終話へつづく>

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