第二十二話 悪夢の痕跡

 瞼をこじ開けるようにして、白い光が差し込む。


 僕は緑のカウチの上で目を覚ました。

 上体を起こすと、ふかふかの毛布が肩からずり落ちた。


「悪夢……」


「ってことにしたいならそれでもいいんだけどね」


 キッチンから、黒いエプロンを着けた父さんが現れた。


「おはよう、真琴まこと


「お、おはよ……」


 父さんは、木製のダイニングテーブルに、てきぱきと朝食を並べているところだった。


 既に身支度を整えたらしく、頭髪には一切乱れがなく、髭もきれいに剃られている。


 これで朝が弱いなんて嘘だろう。


 焼きたてのパンの香ばしい匂いがする。


結衣ゆいは?」


「帰ったよ」


 トマトのスープをテーブルに置きながら、父さんはすごくどうでも良さそうに言った。


「は?」


真琴まことが嫌がると思って、通報もしてないよ。その必要もないっていうか……どのみち、あんな格好で歩いていたんじゃすぐに人の目にとまるだろう」


「……そう。そう、だね」


 僕は体の力が抜けて、再びカウチに仰向けになった。


 結衣が捕まって、彼女の未来がめちゃくちゃになることが怖かったけれど、事後だというのなら、それ以上庇い立てすることはできない。


「こーら、二度寝は良くないぞ。ほら。陽の光でも浴びて、しゃきっとしないか」


 父さんが笑いながら、窓際へと歩いてく。

 僕を起こさないように閉めたままにしておいてくれたらしいカーテンを、一気に引き開けた。


 広々としたリビングを、白光が充たす。

 僕は寝ころんだまま、目を眇めて外の風景を見た。


 そして、再び意識を手離しかけた。


 磨き上げられた窓ガラスにこびりつく、白く濁った無数の手形。ところどころに赤黒いものも混じっている。


 夢であってもいいというのなら、これはいったいなんなのか。


「おっと、ごめん。うっかりしてた」


 カーテンがさっと引かれる。


「窓を綺麗にしてくるから、顔を洗っておいで。なんなら、冷めないうちに先に食べてて」


 ホームセンターなんかで売っている、至って普通の窓ふきセットを手にして、父さんはリビングを出ていく。


 その広い背中を見送ったあと、僕はむくりと起きて洗面所に向かった。


 眠気なんて、とうに吹き飛んでいた。


 <つづく>

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