第十四話 疑念

「これは……」


 このマスコットには見覚えがある。


 まだ燃えているそれに手を伸ばすと、


「なにをしてるんだ!」


 指先が触れそうになったとき、厳しい声とともに背後から引き寄せられた。


 強い力だった。


 僕は真っ青になっていたと思う。

 カタカタとふるえるのをなんとか堪えながら、後ろから僕を抱く父親の腕を握り締める。


「と、父さん……これ、結衣ゆいの……」


 そうだ。

 これは、結衣のスマホで揺れていた、クマのストラップ。


 見るたびに邪魔そうだなって思ってた。

 よく写メを撮る時にも写り込んでしまって、取ってしまえばいいのに、結衣はこれをずっと外そうとしなかった。


 大切な、プレゼントなのだと。


 誰からの?


 どうしてあの時、僕は聞かなかったのか。


 ……だって。こんなふうに、会うこともままならなくなるなんて、思うわけないじゃないか。


「そう。これは彼女の忘れものだね」


「どうして燃やしてるの?」


「もう来ることもないから、必要ないと思って」


 父さんの声はいつもと変わらない。


 でも僕は振り返ることができなかった。


 父さんがいまどんな表情を浮かべているのか、確かめるのが怖い。


「……父さん、本当に、結衣を知らない?」


 暖炉の中には他にも、薪とは思われないようなものが燃えていた。クマとは違い、すでに灰になっているようだ。


 それが何なのか。


 いやな想像ばかりしてしまう。


「彼女はもう、ここには来ないよ」


「本当に? この家のどこかに隠れてたりしない?」


「しないよ」


 あそこの暗いところに、オバケがいない? 白い手が伸びてきて、連れていかれたりしない?

 そういって怯える子供に、優しく言い聞かせるような口調だった。


「パパのことが信じられない?」


 テディベアは燃え続けている。


 僕は、ゆっくりと父さんの腕の中から抜け出した。


 おそるおそる視線を上げる。


 暖炉の赤い光に照らされた父さんの顔は、いつも通りの穏やかな微笑を浮かべていた。


「探してみる? いいよ、どこを探しても」


「結衣に、なにかしたの」


「なにも。ただ真琴まことと居る時間を邪魔をするなと言っただけ。そうだ、俺はきみのパパにはなれない、とも言ったかな」


「それで、結衣は」


「ショックを受けたみたいで、走ってどこかへ行っちゃったよ。その時に、あれを落として行ったんだ。本当は触るのも嫌だったんだけどね」


 心底嫌そうな顔をして、父さんは燃えるテディベアに冷えた視線を投げた。


 これは僕の知っている父さんではない。


「ねえ。燃やしてたの、結衣のストラップだけじゃないよね。あれはなに?」


「手紙」


「誰からの」


「真琴のお友達から」


「……っ」


 気付いたことがある。


 父さんは結衣の話をするとき、ひどく冷たい目をする。


 燃え盛る炎に底冷えするような視線を注いで、父さんは続けた。


「俺も迂闊だったよ。この家を取り囲む自然も動画の見どころになると思って、敢えて映していたんだ。でもまさか、あんなに住所まで特定されるなんて」


「それ、結衣の話? 連れて来たのは僕だって……」


「彼女、もっと前から来てたよ。窓から覗いていたり、ポストに手紙を入れるくらいで特に害はなかったから、あまり気にしてなかったんだ。真琴に紹介された時は驚いたよ。ストーカーだと思っていたリスナーが、堂々と遊びに来るようになるなんてね。しかも、本人は俺が気付いていないとでも思っていたらしい」


 だから『パパになれない』と言われたとき、ショックを受けたんだ。


 拒絶されただけじゃなく、バレていた。


 自分が、あの赤いテディベアのアイコンのリスナーだということを。


 僕は頭の中がめちゃくちゃになった。


 結衣が、赤いテディベア?

 結衣が、父さんのストーカー?


 まさか。


「知りたくなかった? そうだよね。真琴はあののことが大好きだったから」


「どうして……僕に、そんなこと……っ」


 父さんは自分を迂闊だと言っていたけど、それは庭を動画に映したことだけじゃない。


 どうして。


 どうしてわざわざ僕の目の前で、結衣のストラップを燃やしたりしたの?


「俺たちの間に、秘密は要らないからさ」


「え?」


「パパは真琴が教えてほしいことなら、なんでも教えてあげる。隠し事なんてしないよ。誓って言おう」


「じゃあ、本当に結衣の居場所を知らないんだね」


「知っていたら教えているよ。たとえ、彼女が既にこの世に居なかったとしてもね」


 父さんが、僕の目をまっすぐに見て答えた。


 嘘を言っているようには見えない。


 思えば、父さんの僕に対する誠実さは、僕が子供の頃から少し狂気じみていた。


 だからもし、この家に結衣が居たというのなら、父さんは必ず会わせてくれるだろう。


 彼の言う通り、結衣が既にこの世にいなくても。小さな骨のひとかけらになってしまっていたとしても。


<つづく>

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