第十三話 炎の中に

 僕はそのまま、家に戻らず夜道を走った。


 もうバスが運行している時間ではないので、途中で何度も息を切らしながら、山道を登った。こんなだけど、わりと持久力はあるほうだ。


 全力疾走の甲斐あって、三十分とかからずに目的地に着く。


 もうとっくに消灯しているかと思ったが、三角屋根の家からはぼんやりと灯かりが漏れ出していた。


 肩で息をしながら呼び鈴を鳴らすと、父さんの柔らかな声が応答する。


 こんな真夜中の訪問者にも関わらず、まったく動じる様子がない。


 しかし、やって来たのが僕だとわかると、ひどく慌てた様子ですっ飛んできた。


「びっくりした。真琴まこと、こんな時間にどうしたんだ」


 珍しく、咎めるような物言いだった。


 いつも無条件に受け入れてくれる父さんの少し硬い表情に、僕は委縮してしまう。


「……ごめんなさい。非常識なのはわかってるよ、でも」


 父さんが大きなため息をついた。

 呆れているようだ。


 僕は更に身を縮めた。ただでさえ小柄な体が、余計に小さくなった。


「そういうことを言ってるんじゃないんだよ」


「え?」


「暗くて人気ひとけのない夜道をひとりで走ってきたんだろう。なにかあったらどうする。来るのはいつだっていいから、次からはタクシーを使いなさい」


 激しい運動で火照った体が、夜風にふるえる。


 春とはいえ、夜の空気はまだ冷たい。


 すかさず、父さんが着ていたカーディガンを僕の肩に掛けてくれた。


 ほとんど重さを感じないのに、すごく温かい。なんだか安心する。


「父さん、結衣ゆいが……」


「わかってる。でも、まずは中に入りなさい。暖炉に火が入っているから」


 カーディガンで包み込むようにして、家の中に引き入れられる。


 リビングの照明はついていなかった。


 家の窓から漏れ出していた灯かりは、久しぶりに見る暖炉の炎から発せられたものだった。


 父さんは僕をカウチに座らせ、ホットミルクを作るためにキッチンへ行ってしまう。


 僕は一刻も早く父さんに結衣の話をしたかったのに、まずは体を温めるのが先だと言って聞いてもらえなかった。


 父さんにしては、珍しく強引だったと思う。


 パチパチと爆ぜる音を聞きながら、心を落ち着かせようと、暖炉を見つめた。


「……ん?」


 ふと、暖炉の中に、不自然なシルエットを見つけた。


 薪ではない。なにか、小さな手のひらサイズのかたまりが、炎の中でくすぶっている。


 燃えにくい素材のようで、なかなか燃え尽きる気配がない。


 なんだか少し、変なにおいもする。


 そういえば、さっき父さんがポケットから何か出して放り込んでたな。


 ティッシュかなんかだろうと思っていたけれど、父さんは使用済みのティッシュをポケットに入れっぱなしにするタイプではない。


 それにこの部屋には、蓋つきのくず入れだってちゃんとあるし。


 なにか人に見られたくないもの、とか?


 僕は暖炉に近付き、何の気なしに覗き込んだ。


 アイロンで化学繊維の服が溶けるような、独特のにおいが強くなる。


 なんだ?


 傍らに立て掛けてあった火かき棒を手にして、突いてみる。


「……!!」


 薪の塊から切り離され、転がり落ちたものを見て、僕は目を疑った。


 それは、クマのマスコットだった。


 すでに焦げてしまって、色こそはっきりとはわからない。


 しかし、それには見覚えがある。


 見慣れたアイコン。


 アップ気味に撮影されて、ピンボケした、赤いテディベア。


 こんなに小さなものだとは思っていなかった。


 それだけじゃない。


 僕には、このマスコットを直に見た覚えがある。


 これは……。


<つづく>

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