後日談 宝居夫婦の真相 前編
「おかえり、マコーーー!」
「ぎゃあ!?」
家に入ってすぐ。
玄関で待ち構えていた母さんが、勢いよく飛び付いてくる。
母さんは細身ではあるのだが、僕よりも身長が高いため、支えきれず後ろに倒れそうになる。
「おそい! どこほっつき歩いてたの? ママ寂しかったじゃないの」
体格差のせいで抱き込まれるようにして、母さんの細い顎でグリグリ攻撃を受ける。
痛い。痛い。あと近い!
あの日、僕が父さんの家に泊まって以来、なんだか距離感がおかしい。
朝早く登校しようとするとどうでもいい話で引き留められるし、帰りが遅いとこのようにふてくされる。
で、めちゃくちゃ引っ付いてくる。
なんなんだよ、もう。
「学校に決まってるだろ。他にどこがあるんだよ」
「
母さんが恨めしそうに目を細めて、すごく
「今日は寄ってないよ。なんでそんなに気にするの?」
確かに七年間疎遠にはなっていたけど、昔は週に数回のペースで通っていたじゃないか。
七年ぶりに会いに行った話をしても、特に何も言われなかったし。
「だって最近、行き過ぎなんだもん。あたしは真琴に会いたくて、早く帰って来てるのに」
「そういえば、最近母さん帰りが早いよね」
そんな理由だったのか。
「今までもずっとそうしてればよかったわ。そうすれば……」
本気で悔しそうな顔をする母さん。
なんだか、シンデレラに意地悪をして報復を受けた継母みたいな顔になっていることは、黙っておく。
「もー……妬くくらいなら、母さんも会いに行けばいいじゃない」
母さんの肩を掴んでべりっと引き剥がしながら、僕はため息混じりに言ってやった。
だってそうだよ。
母さんがいくら忙しくたって、土日は休みなんだからさ。
「言ってくれれば、僕だって気を遣うし」
ここで、僕は母さんのリアクションを予想した。
なにいってんの、そんなんじゃ……!
とか。
子供のくせに変な気回すんじゃないわよ。
とか?
大人同士の事情に首を突っ込むことに、ちょっとだけわくわくしながら、母さんの顔を見上げる。
「……」
母さんは、赤い唇をぽかんと開けて、固まっていた。
無駄な肉のない細面は、照れて赤くなるどころか、なんだか白く……いや、青くなってない?
「か、母さん。どうしたの?」
「……真琴。妬くって、一体なんのこと?」
「父さんに聞いたんだよ。母さんがオレにヤキモチやくから、父さんと別居になったって」
なんかおかしいな?
心の中で首を傾げながら、僕は右肩を圧迫し続けていたスクールバッグを床に下ろした。
しんと静まりかえった玄関で、硬いものがゴトリと床に当たる音がする。
たぶん、母さんが毎朝欠かさず持たせてくれる、マイタンブラーだ。
今日の中身は蕎麦茶。
……僕、好きなんだ。
「な、なんだよ母さん」
なにも言わない母さん。
怪訝に思い、しばし様子を窺っていた僕だが、この妙な空気に耐えられず、事態の収束を要求する。
「えぇ……? ちょっと、なんとか言ってよ」
「……ふーん」
やや勿体つけた様子で、
「そう」
母さんが恐ろしい笑みを浮かべた。
美女とか美魔女と呼ばれるだけあり、大変麗しいのだけれど、怖い。
なんだか目が据わっちゃっているのだ。
「鷹幸さん、真琴にそんな話したんだ。へえ、あたしがヤキモチ、ね」
母さんが、インディゴブルーのスキニーデニムのポケットから、スマートフォンを取り出した。
上品なベージュ色に塗られた指先でカチッと一度電源ボタンを押したあと、素早く画面をタップする。
仕事で頻繁に使っているからなのか、動きが速すぎて見えなかった。
十秒と経たずに、聞き慣れた呼び出し音が鳴り始める。
『もしもし、
たっぷりと十コール以上待たせた父さんが、気だるげな様子で応答した。
「ちょっと鷹幸さん! あなた真琴になに話してくれてんのよッ!」
ちょ。うるさっ!?
どすのきいた大声に、僕は思わず肩に力が入り、片目を閉じた。
『わ、びっくりした。話が見えないんだけど……真琴がどうしたって?』
電話の向こう、父さんの苦笑が目に浮かぶ。
「あたしたちの別居の理由よ!」
ビリビリッと空気が震えた。
父さんの耳、大丈夫かなあ……。
『ああ、あれか!』
あ。無事っぽい。
『仕方ないだろう。きみは可愛い息子に嘘を言えっていうの』
「そ……っ、そうじゃないけど。もっと他に言いようがあるでしょ!?」
攻勢だった母さんがたじろぐ。
こんな母さん、初めて見た。
『はいはい、それは悪かったね。だったら、今からきみが訂正すればいいじゃないか。どうせ真琴もそこにいるんだろう?』
突然電話で一方的に怒鳴り散らされたにもかかわらず、父さんは怒る気配が一切ない。
しかし、穏やかでありながら、どこか淡々と応対する声は、なんだか僕には聞き慣れなかった。
最後に僕の名を口にした時にだけ、いつもの優しい声に戻ったのは、きっと僕の思い上がりではないだろう。
……父さんって、子煩悩なんだよな。
<後編へつづく>
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