第八話 僕を見て

 それから何度も、結衣ゆいとともに父さんの家を訊ねた。


 週に二回、多い時は三回。初めに想定していたよりも、かなり頻繁だ。

 最近は連絡もなしに、突然押し掛けることも多い。


 結衣にせがまれると拒めなかった。


 さすがの父さんも辟易するのではと心配したが、帰り際に必ず僕を見て『またおいで』と微笑み掛けてくれた。


 そんなこんなで、今日も学校帰りに寄ることになりそうなのだが……。


“あのさ、たまにはふたりで、もっと別のところに出掛けない?”


 勇気を出して、僕は誘いを掛けた。

 登校中は結衣が父さんの話ばかりするので、朝のホームルームの前に、メッセージアプリを使って。


 父さんの家で過ごすのは楽しい。

 結衣の幸せそうな顔が見られるし、父さんは優しいし。


 それに、自分の父親を褒められるのだって悪い気はしない。


 でも、忘れられているのかもしれないが、僕だって男だ。


 たまには好きな相手と二人きりで、デートとかしてみたいに決まってる。


 だから明日は父さんの家じゃなくて、ふたりでカフェとか遊園地に行きたいと思ったんだ。


 ドキドキしながら結衣からのメッセージを待つ。


 しかし、いくら待っても結衣からの返信はない。


 いつもなら授業の間の短い休み時間でも必ず返事が来る。

 それも、父さんの家に行こうと誘った時には、平均一分以内に反応がある。


 チラチラとスマホを気にしていたら、あっという間に放課後になってしまった。

 授業なんて、まったく頭に入ってこなかった。


 掃除の終わった教室に戻って、しばらく返信を待ってみたが、スマホは沈黙したまま。


 先に帰ったのかもしれない。


 特に部活にも入っていない僕は、することもなく、久しぶりにひとりで父さんの家を訪ねることにした。


 もう、あの家に行くのがクセというか、習慣のようになっていた。


 時間が中途半端でバスが無かったので、父さんの家まで四十分ほど歩いた。


 いつもはバスを使っているから気にしたことがなかったが、父さんの家は山の近くにある。

 緑が多く、あまり民家もない自然に溢れた土地に、隠れるようにして、あのメルヘンな家がぽつんとたっている。


 赤い三角屋根なんて父さんっぽくないなと思っていたが、どうやら早くに亡くなった祖父母が遺してくれた家を、そのまま相続したものらしい。

 ちなみに、僕はおじいちゃんとおばあちゃんを知らない。


 緩やかな傾斜を登り、白い華奢な門扉を押し開ける。


 敷地内に一歩足を踏み入れて、僕は言葉を失った。


 赤い屋根の白い家の前で、父さんと結衣が向かい合っている。


真琴まこと


 父さんが明るい声で僕を呼んだ。


 なんで。どうして。


 どういうこと?


 呆然とする僕の前で、結衣は気まずそうに俯いている。


 ふたりの位置関係はおよそ三十センチ。

 どう考えたって、普通の距離じゃない。


「なんで……、結衣がひとりでここにいるんだよ」


 僕を無視して。


 その部分だけは、あまりに惨めで声に出すことができなかった。

 父さんに聞かれたくなかった。


 なにか言おうとする結衣に詰め寄る。


 結衣は僕なんてどうでもよかった。


 わかっていたことなのに、猛烈な怒りが僕の心を支配する。


「ふたりでなにをしていたの?」


「なにもしてないよ。森川さんが遊びに来てくれたから、ここで話していただけ」


 父さんがいつもの優しい表情で説明した。

 結衣を見ると、彼女は傷付いた表情を浮かべている。


 父さんにとっては、なにもないに等しかったのかもしれない。


 でも結衣は違った。


 きっと、父さんの特別が欲しかったんだ。


「……とぼけるなよ」


「真琴?」


「結衣のこと、拒まなかったくせに! どうせ満更でもなかったんだろ。若くて可愛い子に言い寄られてさ。それで、バレたらなんでもないって? 最低だな!」


 僕は握った手のひらに爪を立て、大声でまくしたてた。


 ふたりの姿を直視したくなくて、自分の爪先を睨む。


 こんな声を出したのは、小さな子供のとき以来だ。


 あのときは、どうしてあんなに怒ったんだっけ。

 思い出せない。


 けれど、悔しい。


 僕の方がずっと、結衣と一緒にいた。


 僕の方がずっと、結衣のことを大切に思っていた。


 僕が、僕だけが、結衣の気持ちをわかっている。


 そう思っていたのに!


「……」


 ふと、我に返って顔を上げた。


 結衣はどこか遠くを見ており、父さんだけが僕の顔を見つめている。


 さすがに笑ってはいなかったけれど、怒っているふうでもなかった。

 とんでもない暴言を吐いたにもかかわらず、僕を見る鳶色とびいろの眸は優しいまま。


 僕を心配しているのだ。


 僕は急に自分が恥ずかしくなった。

 同時に、言い知れぬ虚無と孤独が襲ってきた。


 スクールバッグを肩に掛け直し、僕は身を翻す。

 バス停を目指して無言で駆け出した。


 父さんも結衣も、追っては来なかった。


<つづく>

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