第11話

     二十一


 斉藤が部屋の鍵を開けた。

 小野が二人を掻き分けて先に入る。両の手の荷物をテーブルの上に置き、口を尖らせた。

「どうして私が荷物係なの」

 不満たらたらである。

「あんたが提案したんだから、当たり前でしょう」

 斉藤は、せせら笑っている。

「私が持てばよかったですよね」

 うさぎは肩身を縮めて言った。

「小娘に付き合わなくても良いですよ」

 斉藤は言うと、

「どうぞ」と、手を差し出した。

「失礼します」

 うさぎは言って靴を脱いだ。

 中に進みながら、居間に置いてある彫りの無い将棋の飾り駒に気付いた。

『あれは確か』と、思い出となり色褪せた記憶を甦らせる。


 観光バスの乗務員をしていた時のことである。山形県の天童市への観光に添乗した。

 同乗のガイドは、石彩花であった。

 真由美の面影に絆されて、宇宙の創世を話してしまった。満天の煌びやかな星空が、心に取り入ったのだろう。洗車の為に行った駐車場でバスを拭きながら話している。


「人の想いが貴いから、星に願うのかも知れませんね」


「遠く離れた星に届けるからでしょうか」


「人生のバイオリズムにメリハリがあることも、宇宙の仕来りに乗じているのかも知れませんね」


「宇宙の歴史が、夢物語だからでしょうか」


「役割分担が確立されているだけで、物語的な要素は特に無いと思います」


「生命体の考え方を当て嵌めて良いのでしょうか」


「始まりは同じものの筈ですよ」


「元素ということですね」


「たった三つの行動しかできない元素がこの世を創り出しました」


「合成が原子を創り出したからですか」


「詳しいようですね」


「疑問を疑問のままにしておけない性分です」


「勝ち気に見えるのは、因果関係ということですね」


「勝ち気、ですか、私は」


「他のガイドさんのように、運転士に媚び諂っていませんよね」


「取り返しの付かない失敗をしてしまったからですかね」


「取り返しの付かない失敗、ですか」


「親友が自ら命を絶っています。毎日傍に居たのに気付かず、掬うことができませんでした」


「それらしい徴候ちょうこうに気付かなかった、のですね」


「口先だけの親友でした。私が見落とさなければ、彼女は今も生きている筈です」


「彼女が、石ちゃんを道連れにしない為に、虚勢を張っていた、とは考えられませんか」


「私を生かす為の配慮だった、というのですか」


「始まりから存在する元素が、感性の意を汲んでいます」


「感性が聖なる母なのですか」


「だから、数え切れない星々が存在します。石ちゃんの言う夢物語は、この世の想いが宇宙に散りばめられているのですよ」


「私が人を観察して出した答えは、役割分担に徹することです」


「先程、私が言いましたよね」


「役割分担が仕来り、だから調和が保たれるのですか」


「総ての答えの先にあるものが、『色鮮やかな未来』ですからね」


「未来の彩りは、今が創り出すのですか」


「石ちゃんの名前の由来だとしたら、申し子になりますよ」


「これからは、そう考えて生きてみます」

 

 次の日、石が彫りのない将棋の飾り駒を買っている。

「今の私を支えてくれる親友に送ります」

 言って、笑いながら泪を零した。石を見て、真由美の死を受け入れられた。それと同じものが、この部屋の居間に飾ってある。


 うさぎの内に住み着く虫が、総てを円満に重なり合わせていた。



      二十二


 帰りの電車はガラガラで、思いに更けるのに適していた。気分が良いので、川崎駅まで乗る気になっている。普段は尻手駅で下車して、国道沿いに歩いて帰る。


 川崎駅に着いたが、直ぐに席を立つ気にならなかった。折り返し運転をする電車は、降りる人の流れの後に乗り込む人の流れがある。イレギュラーがない限り、停車時間が長くとってある。

 

 人の流れが落ち着いてから下車した方が、改札口に向かう階段の流れが少なくなる。人混みを嫌ううさぎには、それが想定内であった。


 ゆっくりと席を立ち、下車した。せっかちな日本人が少なくなった夜のホームは、格別な空気感が漂っている。


 実りのある一日を踏み締めるように階段を上っていた。手摺を利用する必要がない状況が、階段の中央を通行させた。


 恰幅の良い男が、よたよたと下ってきて、体当たりを咬まして来た。

 運動で鍛えた体幹でそれを去なした。

 位置をずらして体勢を整えて、男を見遣る。男は既に、ホームに近い。振り向きもせず、「気をつけろ、酔っぱらい」という罵声が飛んで来た。


 確かに、食事の時にワインを呑んでいる。

 普段なら手摺伝いに上る階段も、上気して普段通りではなかった。


 尋常な怒りから、思考回路がショートした。

 再び改札口を目指しながら、込み上げる腹立たしさを抑えようとする。


『行動の怪しさに備えなかったよね』

 心の声が聴こえてきた。

「広い階段を見下ろす彼が、余地の判断を誤っているよ」

 脳が、心に反論している。


『お他人様の感情は、こちらには伝わらないよね』

「お他人様の迷惑を考えることが、調和の基だよね」

『波状を重ねることは、一般的にできることではないよ』

 うさぎは、心と脳の掛け合いを、聴き届けよう、と決める。改札を抜けて、喫煙所に向かった。


「公共の場所だからこそ、ルールを守るべきだよね」

『自己主張の強い方は、彼以外にも多く居るよ』

「道徳を語っても、受け取り方に個人差が生じるよね」

『指令を出す側が、言い訳を用意するべきじゃないよね』

「それでも、何とか凌げたんだから、良しとなるよね」

『結果往来とでも言いたいの』

「君(心)が上気したから、備えられなかったんだよね」

『緊張感は、そちら(脳)の不安感から来るものだよね』

「備えは、君の範疇だよね」

『こちらの記憶は色褪せるんだよ』

「こっちだって、物忘れやうっかりがあるよ」

 うさぎが喫煙所に着き、タバコに火をつける。


ならわしは、学ぶものだよね』

「経験は、育むものだよね」

『思考の為に、お互いを尊重しないといけないね』

「躰を共有するのだから、時には調和を図り、時には切磋琢磨し合わないといけないね」

 

 心と脳が、折り合いを付けた。

 安心した時、背中を何かで突かれた。思考回路に記憶が重なり、朝の出来事が脳に届く。

 突きつけられたものは拳銃であった。

『この為のブラフだったのか』理解した刹那に、両の脇を抑えられる。

「黙って歩け」

 強引に目指した先は、右翼団体の車だった。乗り込むなり、アイマスクと猿轡を付けられる。

 後ろ手に拘束され、荒々しく座らされた。うさぎはその余動向ながれを利用して、右手の指で左手首を握り、脈拍をとれるように心掛けた。

 乗車時間を計測すれば、大凡の位置確認ができるだろう。殺すつもりなら、朝の時点で拉致されている筈である。抵抗するよりも、反撃に備えるべきと考えていた。


 車が動き出してから、千二百三十五回脈打っていた。大凡、十五分程度の距離だろう。夜の道で速度が出せることを考慮すれば、産業道路の先周辺になる。


 鼻炎持ちにも解る石油化学で出る匂いは、『夜光』しかない、と、特定できた。後は建物を断定することに集中するだけだった。


 引き摺られるように玉石を進み、開き扉をあけて敷地内に入ったようだ。引き込まれるなり、病院の匂いを感じる。『外から入るトイレだな』心と脳が連携して、状況が手に取るように判断できた。


『ギ~』

 静まり返った部屋うちに、錆びた重い金属音が木霊のように響いた。侵入した方向と反対方向から、扉を開ける音が聴こえ、再び引き摺られて連れていかれる。


『今度は部屋に入ったのだろう』

 電話する声がくぐもっていた。微かに聴こえる声を頼りに、電話の主(首謀者)との距離を計ろうとした。アイマスクで塞がれた視感では距離感は掴めなかった。五感は均衡のもとに本領を発揮する。心と脳が連動しても、空想時の距離感は、曖昧でしかなかった。


 地べたに座らされた。

『テロリストが交渉の為に、撮影でもするのか?』

『お金で雇われた輩だから、実行を証明する為のものか?』脳の不安が募っていく。

 見えないことの恐怖感は時間さえ狂わせていた。

 心が脳に、

『臆病な輩のすることだから、反抗だけはしちゃ駄目だよ』と、伝えてきた。

 うさぎが自身に言い聴かせた、ということだった。今は、命を獲った、獲られた、という時代でもない。自身の拘りで、命を落とすことを恥じるべきと判断したのである。心と脳の連携が、最低限の冷静さを保たせていた。


 狂わされた体内時間では、数時間経ったと考えられた。五感のうちの、たったひとつを奪われただけで、人の感性は狂い始める。拉致紛いの拘束だったが、首謀者の中に、知恵者が居ることが考えられた。その実は、拉致からの移動で、痕跡を消すことであった。やっていることを煙に巻きたい本音は、うさぎに理解できなかった。



 組織の責任者らしき者が発した声を聴き、三発の痛みを感じながら意識が飛んだ。


 

 目が覚めた時、川崎駅の東公園内のベンチに寝かされていた。躰の節々が、時間の経過に伴い、悲鳴を上げていく。スタンガンで意識を飛ばされた、という認識は、ささくれだった神経系統から読み解ける。よろけながら起き上がり、よたよたと歩き始めていた。


 体幹がぶれる歩行で、ポケットから紙切れが落ちた。

 徐に拾いあげて中を覗く。


  次はない

  命が惜しいなら

  これ以上

  詮索するな


 何が言いたいのか判らなかった。次は殺すと書けない理由は、脅迫するつもりは無いのだろう。お金をせびる為でもないらしい。


「面白い」と言ったうさぎに、力が漲り始めていた。徐々に活力を得ていく歩行が、当たり前の日常に戻る切欠になっていた。気力を振り絞らずとも、伝達が行き渡るだけで良い。年を重ねたことで、数日後につけがまわることも予想できた。


 火事場のクソ力やゾーンに入る、といったことが起きている。科学的に分析すると、ドーパミンが分泌され、思いも寄らぬ力を発揮する。と言われている。その実は、人間の組織そのものを知り得ていないのであった。


 窮鼠猫を噛むなどの言葉があるように、生命体の本質は、計り知れないものだろう。

 地球の四十六億年の歴史の中で、知っていることが虫喰い状態であった。

 当事者が残せなかった理由もある。それを証明する為の科学にしても、権威を博した方々の思惑通りになって終った。

 人の傲慢が想いを越えた時、地球がどうなるか、と考えて欲しい。人の勝手な行いが、生命体を絶滅に追い込んで終う。そんな未来を想い定めるくらいなら、今この時に消滅して欲しい。健気に生きる生命体は、そう思っているに違いない。


 見えないならば、見えるようにしよう

 聴こえないなら、聴こえるようにしよう

 可能性とは、託されたことに気付いて欲しい


 非実体の念いを、実体が想い定めなければ、疎通は完了しない。それが未来を造り出す、原動力なのだ。


 うさぎは、言いたいことを飲み込まない。それが人間の本分なのである。そう考えて、反撃に想いを託していた。

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