第12話

     二十三


 誓いを胸に、バスに乗っていた。

 昨夜の忌まわしい出来事を、標として刻み込む為である。


 夜行に着いて、揺らいだ心が静まった。見えない恐怖感が創り出した妄想は、暗い裏社会に繫がる古びた町工場であった。来てみれば、人の営み感のある倉庫町である。

 心に巣くう悪が蔓延した理由は、勝手な思い込みでしかない。己の侘しい発想は、ことの善悪にすら、陰を創り出している。

 所詮人は人でしかない。利用されただけの町で見つけたものに思いを重ねる必要性は無かった。

 行動したことに意味があり、自己満足が完結した。素通りして、大師線の小島新田駅に行き、電車に乗り込んだ。向きになっていた自分を反省する為に、電車を選択したのである。


 電車に揺られながら経緯いきさつを振り返った。

 警察に連行されてから、行動に曰くが付き始めた。尾行されている節はない。自身の行動パターンは、ひとつ覚えを否めない。待ち構える者がいること以外には、至って平凡な日常である。


 殺すつもりなら、簡単なはずである。危険なようで、瀬戸際感が全く無い。お金で雇われた殺し屋ではないのだろう。だとすると、狙いは森羅万象以外に考えられなかった。その森羅万象も今は身辺みぢかに置いて無い。監視されていたならば、それを教える雲は、毎日確認していた。


『何を目論んでいるのだろうか?』

 

 幾ら妄想しても、答えが見えなかった。

 人生は、思い通りにいかないから、儚いものなのか? 先が見えないからたゆまぬ努力を必要とする。そんな格言があったはずである。念いを流しながら、機能不全がないか、確認していた。


 中里との思い出が甦り、「人生、出たとこ勝負もありでしょう」と、笑って腹を括っていた。今の状況が、正にそれである。少しでも希望があるならば、上を向いていろ。精神論の青春時代に、学んだことである。想いを胸に秘め、川崎駅に戻ってきた。


 振り出しに戻ってしまったが、得意の妄想問答にうつつを抜かすつもりで、帰宅の脚を速めていた。当たり前の日常のはずが、野次馬を集める情景に遭遇した。

 我が家のあるマンションの前に、それが連なっていた。


 野次馬を掻き分けて先頭に躍り出ると、黄色いテープの規制線がひかれている。警察官がそこに立ち、侵入者を阻んでいた。

 うさぎがそれを潜り抜けようとする。

 警察官は進路を塞ぎ、挙げ句の果てには胸を合わせてくる。


「自分の部屋に帰るだけです」

「今はまだ、捜査中ですので、立ち入り禁止です」

「規制線は、事件の起きた場所を保存する為のものですよね」

「県警本部の指示に従っているだけです」

「ならば・・・」

「お~い、うさぎ。空き巣に入られたというのに、何処をほっつき歩いてた」

 耳障りな声の主は、小島である。

「市民を守る筈の警察官が、行く手を阻むんですよ」

「?、そいつは現場の住人だ。話しを聴きたいから通してやってくれ」

 警察官がそれで、直立して、カニ移動した。

 うさぎは警察官を睨みつけながら、

「だ、そうですっ!」と吐き捨てて、そこを通過した。


 待ち構えていた小島が、

「全く、お前という奴は」と、哀れみの眼差しを向けている。

「留守だから空き巣というのですよね」

「管理監が偶然通りかかったからいいもんの」

「うさぎさん、何か無くなっているものを調べて下さい」

 うさぎを見留める一条が、近寄りながらたずねる。

「男 やもめにウジが湧く、って言いますから、盗まれたものにも気付かないですよ、管理監」

「小島さんならそうかも知れませんが、うさぎさんは人類史上最も貴い発見を支えた方なんですよ」

「未だ取り出せないのことですか」

 小島が、またかと云わんばかりに顰めっ面を見せる。

「執筆に必要なものに、プレミアが付くかも知れませんからね」

「プレミアが付くものは、伊集院さんの検査キットの方ですよ」

「判りませんよ。なんでもあり、の時代ですからね」

「可能性の無いことに希望的観測を持つと、良からぬ輩に成り下がり? ますよ」

「そうですよ、管理監。空き巣に入られるような間抜け人間に、飴を恵んでしまったら、つけあがるだけですからね」

虫螻むしけらの云われようですが、一寸の虫にも五分の魂があるのですからね、小島さん」

「それでも、円にはほど遠いだろう。身の程を弁えろよ、うさぎ」

「弁えるのは、小島さんの方ですよ」

 前回の取り調べの時と似た空気感が漂った。相手の性分を知ったことで、落としどころを見出せる。人の持つ学習能力は、生命体の中でもかなり高い。遺伝子に刻まれる億千万の記憶は、伊達ではないということである。重なるものの大事さを、小島にも判って欲しかった。

 人が褒められて伸びる理由が総てなのである。


 鑑識員が指紋の採取を終えた。

「うさぎ赤瞳さんの指紋を採らせて下さい」

「それなら、先日採ったものがあるよ」

 小島がしたり顔で言った。

「後片付けに手が要りますよね」

「これを機に処分しようと思います」

「小島さんを残しますので、使いまわして下さい」

「お・俺が居残り」

「ご本人が要らないのですから、せめて処分くらいは、こちらでしましょう」

「管理監って結構、ミーハーなんですね」

「プレミアがつく切っ掛けなんて判らないですからね」

「総て自分でします。小島さんが居ても邪魔ですから、どうか連れて帰って下さい」

「よく言った、と言いたいが、お前に邪魔と言われると、何故か腹が立つよ」と言って、小島が自ら居座っていた。

 

 うさぎは片付け始めたが、小島はタバコに火を付けて、大きく煙を吸い込んだ。

「所帯道具が色々揃えられているが、若しかしてバツイチか」

「総てが、ご自身中心なんですね」

「俺は、浪漫に溺れる駄目人間さ」

 小島がタバコを消して近付いてきた。


「男の浪漫を語るには、女の苦悩を知るべきですよ」

「それは逆じゃないのか」

「何方も正論です」

「俺は不器用だから、境界線を引けないんだよ」

「善悪の境界線のことですか」

「幼少期からなんだ」

「時代背景は同じ頃ですよね」

「ヒーローに憧れて刑事になったよ」

「昭和の刑事ドラマですか」

「道が確立されているだよ」

「係長や課長がことの善悪を判別して、歯車のように動き回る、ってものが多かったですよね」

「役割分担が決まっている、って思っていたよ」

「物語ならでは、ですよね」

「物語なんて、想像できなかった」

「それでも、小島さんの人生は、小島さんだけの物語ですよ」


「女房と子供に出て行かれて、それを理解したよ」

「なら、浪漫が妄想であることに、気付いていますね」

「だから、妄想家というお前に腹が立つ」

「物書きは、現実と想像を手玉に取る職業なんですよ」

「だったらなんで、検視観察官をたらし込んだんだ」

「誑し込んでいませんよ」

「なら何故取り出せないんだ」

「人間が自己中なだけです」

「如何してそう言い切れるんだ」

「宇宙の広さを知ろうとしていません」

「広さは関係ないだろう」

「無防備で層から出ると、たちまち消えて無くなります」

「幾ら雑菌だらけの宇宙でも、骨位は残るだろう」

「元素還元すると、人間の目で確認できません」

「酸素みたい、にか」

「それを元素還元というんですよ」

「だからって、取り出せない理由にはならんだろう」

「条件という曰くがつくんです」

「曰くか」

「本当に解っていますか」

「全く解らん」

「必要機材を創るだけで、数十兆円のお金が必要です」

「その金を政府に出させる為に、会見を開いたのか」

「テロ集団が、日本で元素兵器のお披露目を計画していました」

「だったら、そう言えば良かったんじゃないのか」

「そう言っても実行されるんですよ」

「備えないのは、そいつの責任だろう」

「大量に人が死ぬんですよ」

「まさか、それを止めさせる為の会見だったのか」

「人がバタバタと死なない方法が、あれしかなかったのです」

「ん? じゃあ、今実行されたらお終いじゃないのか」

「進行具合は解りませんが、あの会見で世界中の科学者が動き始めているはずです」

「はず? じゃ困るぞ」

「取り敢えず、時間稼ぎだけですが、成功しました」

「これから如何するつもりなんだ」

「正直に言うと、万策尽きました」

「川井さんは、死に損になる? のか」

「米国がとんでもない敵を創ったのですから、どうにかしてくれると良いのですが」

「お前の運が尽きただけだろう。米国がお前如きの為に動かないさ。諦めるんだな」

「命は惜しくありません」

「じゃあ、何が惜しいんだ」

「無関心になる理由、ですかね」

「お前がはっきりしないから、廻りが振り回されるんだぞ」

「小島さんも振り回されてくれますか」

「俺が? か」

「はい」

「?・・・、何をすれば良い」

「県警本部長に、この事を御注進して下さい」

「それは無理だ」

「憶病風に吹かれましたか」

「俺が行ったところで、会ってもくれないさ」

「内閣府の中里さんから、と言えば会って貰えるはずです」

「会ったこともないぞ、中里なんて」

「蛇の道は蛇と言います」

「どういうことだ」

「本部長の方が、よく知っている、と言うことです」

「解ったよ。伝えたら直ぐ戻ってくるから、管理監には内緒だぞ」

「いえ、警視庁に異動するはずです」

「異動」

「中里さんと伊集院さんの護衛になるはずです」

「そんなに凄いのか、中里という奴は」

「東日本大震災を予知した方ですからね」

「お前は? 何者なんだ」

「私ですか」

「ただ者じゃないだろう」

「私はただの、妄想家? ですよ」

「まぁ良い。騙されたつもりで乗ってやるよ」

「騙すなんて人聞きが悪いですよ」

「喰えない奴だな。ワッハッハ~」

 小島が高笑いをあげて笑顔を見せていた。

 うさぎはこの時始めて、小島の笑顔をみたのだった。


 うさぎは、一条の手足を割くことを閃いて、打って出たのである。

 吉と出るか凶とでるかの賭けであった。

 とんでもないことが起きると、雲の知らせが、教えていたのである。


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