第13話

     二十四


 昨夜は遅くまで片付けをしてしまった。

 少しづつができない性分である。

 寝坊ではないがゆとりをなくしていた。


 早番勤務は、バイクで出勤している。早朝というよりも、夜更けという時間の出勤である。眠い目を擦りなが乗務する。正午前に仕事を終えるので、それが愉しみで乗務も頑張れた。

 違和感を持たない、交通量の少ない時間帯の、出勤であった。


 仕事を終えて、暖かな陽射しのご加護に包まれながら、国道15号線を下っていた。ブレーキの不具合に気付いたのは、多摩川大橋に差し掛かった時だった。

 仕組み(機械)オンチでは、お他人様の命を預かることはできない。臨機応変に対処して、駐車ブレーキの活用で下り坂でも停まることができた。

 息をつき、バックミラーを見る。後ろから迫る車の不安定さが目についた。フラフラ下るので、「あの車も、ブレーキ故障かな?」と、気を許した瞬間に、衝突されていた。偶然が重なることは良くあることだ。その実は、歯車が狂っているのだろう。必然になるということは、れ始めたことを受け入れられない甘えでしかない。


 見るべきものを軽んじていた。見えない恐怖は、しかるべき行いの代償でしかなかった。

 走馬燈は、リセットされる意識へのご褒美なのかも知れない。軽んじた想いが診せたものは、錯誤であった。


「きゃ~っ」

「救急車~」

「人が跳ね跳ばされたぞ~」という、怪しい叫びが聴こえていた。他人事は、実に禍々まがまがしいものである。声は便りでしかなかった。それで、プツッ、と、途切れて終った。



 刻まれた想いに従って、再び実体の元に戻ってきた。躰が目の前にあるが、合成に進めないでいる。

 小野が扉を開けて近付いてきた。

「赤瞳さん。もう一週間も眠ったままですよ。私のことが好きじゃないなら、純子さんで構わないから、いい加減に目を覚まして下さい」

 悲痛の囁きで、おかれた状況が理解できた。合成に必要なものを、理解したふりをしていたことに、腹立たしさ、すら湧いてくる。


 小野が零した泪が、うさぎの額に落ちたのは、立ち上がり耳元で囁いたからである。小野の手が、うさぎの顔をまさぐっても、微動だにできないでいた。

 幽体離脱している、うさぎの心が、小野の心に拈華微笑を送った。小野はそれで、無意識に窓へ移動し、カーテンを開けた。

 刹那に飛び込んだ光が、うさぎの額に落ちた小野の泪に降り注ぐ。御霊が泪の光分解作用に取り込まれて躰に吸収されていく。

 合成は完了したが、馴染むまでの時が必要であった。神のご加護に感謝するが、歯車を完全に戻し切れないことが、残念で仕方なかった。

 

 ほどなくして、斉藤が朝の挨拶にきた。小野が開けたままの、うさぎが横たわる部屋に入ってくる。僅かに流れる息吹で、電磁波が活性化していく。流れのなかで、光が撒き散らす主素ものを吸収して、電磁波が再び動いたのである。

 斉藤は、ゆっくりとベッドに近付き、

「赤瞳さんお早う御座います。今日は、赤瞳さんの錯覚に縋り付くことにしました」と、小野にも聴こえるようにい放った。

 小野はそれで、ベッドの側に戻ってきた。

 二人が目配せで、意思の疎通を交わし、部屋を出て行った。


 変わるように入ってきた女性が、

「失礼致します」と、一礼を深々とした。

 ベッドの側に来て、

「ご無沙汰してしまいました、石です」

 切ない笑顔を魅せる。訳もなく瞳から雫を流すのは、感性が虫を使ったご加護である。

 石は、横たわる、うさぎの手を取り出した。

 両の膝をつき、虫の思念がうさぎの躰に注入される。それに応えるように、うさぎの指が微かに動く。

 石にも、僅かな動きは伝わった。

 感性は虫を使い、必要最低限の、石の想いを送り込んでいた。

 石がそれで、

「今無理する必要はありません」と、咄嗟とっさに呟いた。

 うさぎの手を静かにおき、近場をまさぐるように、椅子を探しあて、近寄せて腰掛ける。

 そして再び、手を握った。


「必要な処置を施します。このまま、植物人間を装って下さい」

 うさぎが再び、自力で指を動かした。

 確認した石が、うさぎの手を布団の中に戻した。


 石はゆっくりと立ち上がり、肩を落としたままの姿勢で歩き始める。

 部屋の外に出て、扉を静かに閉めた。

 駈け寄る二人に、

「プランBです」肩を落としたまま、力強い小声で呟いた。

 二人は驚いていたが、石の目配せで、気落ちした振りを続けるが、拳を握り締め、力が漲っている。停まっていた時間が、ゆっくりと動き出していた。二人も、変わりのない日常を演じていた。


 石は誰よりも気にしている古い友人に知らせる為に動きだした。

 斉藤は病院内に隠れる間者てきに備える為に動きだす。

 小野は、医師・看護師に扮する手先が、とどめを刺しにくることに備えた。

 うさぎに必要な時間は、当たり前のように流れていった。



「私が護るから、二人は交代に備えて良いよ」

 看護師の小野が張り付くことを口にした。

 石と斉藤がベッドの側に居座ることは、間者さんに教えることになる。女性の嗜みとして、着替えを用意することを、備えと形容したのである。


 二人は直ぐに了承した。

 石は板橋の寮に帰る。ガイドを辞めることは、気持ちの整理をする段階で提出していた。うさぎが眠り続ける一週間は、予定を消化する為である。


 斉藤も、引き継ぎの関係で、数日は張り付けない。やっと警護対象者と接触できたのに、と油断したことを悔やんでいた。社会の柵みは確実に、人の自由を束縛していた。想いを通す為に、組織(病院)の離脱を決めていた。


 小野は看護を理由に、うさぎの眠るベッドの側に座り、

「赤瞳さんは、石ちゃんがタイプ?なんですね」と、少し拗ねていた。

 うさぎは復活しているが、石に言われたことを守っている。


「私が必要なら、手を握り返してくれないかなぁ」

 小悪魔は女性の武器と云わんばかりに、小野が戯れている。仲間みかたであることを確認したうさぎは、握り返すしかなかった。


「・・でしょっ、・・だよねぇ」

 小野は握り返されたことに、笑顔を溢した。はたから見たらひとり芝居でも、心の保全は大事である。挙げ句の果てに、

「これからは、大事な私の側に居続けて下さいねっ」と、戯言にうつつを重ねている。

 時間潰しと観れば総てが幸福であり、有り得ない現実の結果あとと観ると、不届き千万である。


 石と斉藤が、とばりに合わせるように戻ってきた。

 差し出されたお土産は、サンマルクカフェのチョコクロと紅茶であった。


「赤瞳さんは病み上がりだから、点滴で我慢して下さいね」

 石が横たわる、うさぎに声を掛けた。

「植物人間の生還は、医学的に検査の対象になるんだよぉ」

 小野は、医師の会話を盗み聴きしたことを教えるつもりで言った。

「無料の人間ドックと思えば、受けるに越したことはないですよ」

 斉藤が含みを込めて言った。

「赤瞳さんは、モルモットではないですよ」

「私もそう思うよぉ」

「あたしだってそう言ったんだよ」

「若しかして、狸親父から連絡があったのぉ」

「純子さんには言い易いのでしょうね」

「七年の垢を落として貰ってくれ、だってさ」

「赤瞳さん、七年も逃げ回ってたんだもんねぇ」

「私が出会った四年前には、笑顔を見たことがなかったです」

 うさぎが左手を石の前にあげた。指一本だけ翳している。

「御免なさい。満天の星空で洗車した時に、一回だけ笑顔を視ています」

「赤瞳さん、まだ動かない約束だったんでしょ」

「帳の降りきったこの時間なら、少しくらい良いんじゃないかな」

「もう、時間潰しをする必要はありません」

 うさぎは横たわったままで発言した。

「馴染みは、完了した、ということなんですね」

「中里さんを狸親父呼ばわりする理由は? 何でしょうか」

「だってさ、自分は出て来ないで、あぁだ、こぅだ、って言うんだもん」

「誰かが冷静に観察しないと、本筋が見えなくなります」

「小野ちゃんが言いたいことは、女心を理解して貰いたい、ってことなんじゃないかな」

「私の妹だった小娘は、想いに男女の隔たりを無くしたい、と言い続けましたよ」

「私も同感です」

「そういうこと、だったんですね」

 うさぎが真由美と石の重なりに気付いた。

「赤瞳さんが、石ちゃんを好きな理由? なのかなぁ」

「心の持ち様です」

「あたしは、伊集院さんに、女心を捨てなくても、女は強い生きものだよ。って言われたわ」

「万物の母は存在しますが、万物の父は存在しません」

「何で? でしょうか」

「私が言っても信憑性がないですが、育てることに女性の方がけていると思いますから」

「子育てのことなのかぁ」

「心も、『育てる』と言いますよ」

「感性様は、育って欲しいと想い続けているのかなぁ」

「あたしなら、期待の重さに堪えきれなくなっちゃうかも知れないわね」

「息抜きすれば良いだけ? では」

「石ちゃんは、どうやって息抜きしてるのぉ」

「自分へのご褒美は、話せません」

「妄想や理想は、夢を観ることですよね」

「赤瞳さんじゃないんだから、見続けると変人扱いされちゃうよぉ」

「それが、自由なんですよ」

「あたしたちは、自由を拘束されてるんですか」

「文化は、そういう一面も持っています」

「だったら、文化人にならなきゃ良いだけじゃないのぉ」

「そういう方々を、反抗分子と言います」

「世知辛い世の中、ってことなのか」

「生きることに翻弄されて、落とし穴に落ちちゃうんだねぇ」

「頭の良い人々の、思う壺、ってことね」

「身近にも頭の良い方が居ますよね」

「伊集院さんのことですか」

「狸親父のことかも知れないよ」

「私の古い友人ですよ」

「悪たれついて、ご免なさい」Ⅹ2

「そうやって、人は成長して行くんですよ」

 三人が想い想いにれていた。

 感性と虫が、ほっとしているのか、月明かりが窓から差し込んできた。照らされる女性たちはそれで、女神の微笑みのように輝いていた。


 明日の活力は、寝ているときに、大凡蓄えられる。休むことは、人にとって当たり前のことである。当たり前のことを当たり前にできることを、『自由』と言うのである。そしてそれが、身近にある小さな幸せなのだ。

 お他人様に迷惑を掛けないことも、自由に付き纏っていることだけは理解するべきだが、それ等が身近に存在あることを知って欲しい。

 人が人の本質を知れば、自然の歯車に溶け込んでゆける。想いは竹のようにそだつのだから。宇宙てんまで届くために、はぐくみ続けて欲しいものである。

 




 


 

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