第40話

    六十九


 午後三時を廻ると、明らかに人の流れが変わっていた。

 人が持ち込む想いが交錯すると、生まれるものは妖かしでしかない。欲が増幅するのは弱いもの(意思)を貪るからで、弱肉強食はここでも活用されている。

 谺はそれに、まごついてしまった。


「良し悪しは、己の弱さに、つけ込むわよっ」

 小野は鬼神力を心に隠し、気の流れにも、惑わされない。強い精神力を持ち合わせない者たちが、澱んだ場の空気に流されるのは、その為である。

「くぐり抜けた修羅場の数が違い過ぎますよ」

「私が経験してない死を経験してるじゃんっ」

「それは・・・」

「経験は学問にまさるんだよっ」

「御指導お願いします」

「よしっ」

 小野は気合いを入れつつ、気を張り巡らせた。


「北の民族を発見しました」

 一報に慌てふためき、それぞれが時計を確認した。小野はそれで、瞳の奥に、夜叉神を登場させた。

「時計を眺めて、引き返します」

 連絡を受けて、一同が同一方向に見向く。

「行動前に確保しちゃうよっ」

「お・小野さん」

「イレギュラーは想定内っ」

「解りました。小径こみちに誘って下さい」

 谺の指示にしたり顔をみせて、小野がジェラルミンケースを携えた。

 研究生が人混みを利用して、駅ビルから追い出しに掛かる。

 諜報員の習性が働き、ターゲットが小径に隠れ込む。小径に入る際、女子高生を拉致していた。幾つもの修羅場をくぐり抜けた手練れであった。

 

「人目を離れたら、確保するわよっ」

「了解しました」

「研究生がバックアップするから、集中して」

 小径の両端が、研究生により閉鎖される。

「飛び道具とナイフには警戒しろよ」

 研究生の一人が、注意を促した。


「確保しました。が、救助者が2名出ました」

「小野さん谺さん、お願いします」

 小野が連絡した者の肩を叩いた。

 谺がその脇を進んでいた。

 小野も後に続いていく。

 谺が女子高生の口の中を確認した。

「鉱素でしょっ」

 小野は既に、注射器に充填していた。

「経験に勝る学問なし、ですね」

 谺は言って注射器を受け取った。

 小野はそれで、ターゲットに取り掛かる。

 

 谺が注射を終えると、研究生のひとりが馬乗りになり、マッサージをほどこし始めた。

 谺がターゲットに向き直り、

「如何したんですか」と、口に出した。

「このパターンは、今までにないよっ」

 谺がターゲットの口の中を確認した。

「聴こえますか、高橋です」

「聴こえてるよっ。如何したのっ」

「隕素の進化型だと思います」

「口腔内粘膜が干からびて見えます」

 谺が、高橋に向けて報告する。

「緑色の新液が伝素です。四対四対四の割合です」

「四対四対四」

「宇宙の円満は、十二です」

「了解だよっ」

「推定体重の百二十分の一が上限量です」

「了解。五十㏄で打ってみます」

「有難う。後は任せてっ」

「御健闘を祈ります」

 高橋の申し出通りに充填した注射器が、谺に渡された。

「ゲホッ、・・・」

「お帰りなさい。大丈夫心配いらないよっ」

 谺が注射を終えて、

「念の為に、検査だけは受けて下さいね」と、笑顔で言った。

「小野さん代わります」

「大丈夫っ。それよりも救急車の手配をしてっ」

 封鎖していた研究生が、救急隊員を伴って来た。

 谺が抱き起こして、救急隊員に引き渡した。覚束おぼつかない足取りで、女子高生が去って行った。

「ゲホッ・ゲホッ」

 ターゲットも生還した。

「あなたたちは、一緒に来てもらうわよっ」

 小野はどや顔をしてから、笑い飛ばしていた。それを横目に、谺が、

「第六地点、無事終了、撤収して、第五地点に向かいます」

「了解。お疲れ様でした」

「まだ終わってないよっ」

「そうでした。御免なさい」

「小野さん」

「なにっ」

「猿轡をするんですか」

「いらないよっ。生き返ったのに、また死のうとは考えないはずよっ」

 笑顔を溢れさせながら、第六地点は当たり前の日常を取り戻していた。



    七十


「北の民族が姿を現しました」

「了解。位置を報告せよ」

 上官気取りの斉藤まるが、無線サイトに躍り出た。

「駅西側出口です」

「九時方向だな、了解」

「斉藤まるさん、浮いてますよ」

「えっ、?」

 斉藤まるが、あたりをキョロキョロした。

「どちらに居るんですか、高橋さん」

「品川駅です」

「何故」

「第六地点を終了させた小野さんが、そちらに向かっています」

「池袋班は、新宿班と合流ですよね」

「純子さんが、小野さんに連絡したそうです」

「薬品の取り扱いは、小野さんが一番ですからね」

「第六地点は、下見のターゲットを確保しました」

「犯行前逮捕は、違反行為ですよね」

「前歴がありますから、違反行為ではありません」

「ごちゃごちゃ言わないのっ」

「お・小野さん・・・」

「第六地点は飛び道具を持ってなかったけどっ、相手はテロリストなんだよっ」

「は・はい、了解してます」

「私が指揮を執るから、まるちゃんは指示に従ってっ」

「了解です」

「そういうことなので私が着くまでは、須黒さんの判断に任せます」

「了解」

 第二地点のメンバーたちが、ほっとしているのが覗えた。


「小野さん、それで如何しますか」

「ターゲットは手練れですっ。第六地点では、女子高生が拉致されましたっ」

「拉致」

「大丈夫っ。蘇生完了してっ、元気に病院に向かったよっ」

「犯行前確保でも、要救助者が出るんですね」

「問題はっ、第六地点のターゲットとの連絡を取ることよっ」

「その時点で、緊急確保が発生するんですね」

「私は今内堀通りだからっ、五分ほどでつくわっ」

「解りました。東側ガード下に誘導すればどんぴしゃですね」

「了解。運転手さん回り込めますかっ」

「任せて下さい」

「須黒さんっ、速く着いたら手前で待機しますので、お願いしますっ」

「ということだよ皆」

「了解」

「駅ビル入口、封鎖状態です」

「一般の方々には、充分配慮してくれよ」

「了解。ターゲットがしきりに、後ろを気にしながら東側に向きました」

「ターゲットが中央出入口通過」

「到着したよっ」

「よし、確保班後ろから煽れ」

「了解」

「ここからは、研究生がバックアップよっ」

「了解。確保班はターゲットだけに集中して」

「まるちゃんどこっ」

「道路北側を固めました。

 一般人は居ない! 一気に追い込め~」

 小野がジュラルミンケースを握り締めて、車から出た。

 斉藤まるがそれに併せて、道路を横断する。

 ターゲットは否応なしにガード下に入った。

 斉藤まるがダイブしてターゲットに襲い掛かった。

 羽交い締めにして、

「さるぐつわ~」と叫ぶ。

 間髪を入れずに到着した研究生が、猿轡をはめ込む。

 斉藤まるがそれでターゲットをうつ伏せに抑え込んだ。

 研究生が、後ろ手になった両手親指を結束帯で締め上げた。

 小野が近付き、ターゲットの猿轡を外した。そのまま、胃カメラの時に使用する口ガードをはめ込む。ピンセットを取り出し、奥歯に仕込まれた袋(兵器入り)を取り出した。

 小野はそれを翳して、

「先生たちの仕事が増えましたねっ」と、お茶目に笑った。

「死者を甦らすことよりも、訳のないことですよ」

 いいながら蹌踉めいて、尻もちをついた。

 研究生の前で、腰を抜かしていた。

 研究生たちに支えられるのを余所に、小野が兵器を注射器に取り出した。空の薬瓶にそれを注入する。

 

「生きていれば、良いこともありますよ」

 小野の言葉は通じないが、ターゲットが肩の荷を下ろしたことに変わりなかった。

「第二地点も、終了でいいですか」

「撤収しますがっ、全員で第三地点に向かいますっ」

「了解」Χその場の小野以外の全員

「まだ完全終了ではないですもんね」

「一言多いのが玉にきずだよっ」

 小野の戯れに噴き出した一同が、笑顔で第二地点を後にした。

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