第41話
七十一
新宿駅アルタ前横のロータリーは、地下駐車場に降りる為にあると思えて仕方ない。中里に誘導された谺たちは、隙間みたいな進入口からガラガラの地下駐車場に入った。
第六地点での経緯を報告して、自害の薬品についての見解を仰いだ。
「毒性の高さじゃないだろうな」
「はい。流れる血液を止めることはできません」
「惰性の範疇で、全身に行き届かす。そんなことができるもんなのか」
「高橋さんには、それが想像できるような口振りでした」
「伝素とは、
「テス・テス、室長とれますか」
中里と谺が顔を見合わせた。
「丁度今、高橋さんの話しをしていたところですよ」
「私のことですか」
「そうだよ。科学者としては、一番の知識人だからね」
「そちらですか。それよりも、斉藤まるさんたちが来ましたが」
「まるちゃんたち」
「斉藤まるさんが言うには、小野さんたちは渋谷に向かったそうです」
「小野さんは先手必勝だから、別動隊になる、と言ってましたよ」
「そうだったのですね」
「まるちゃんは、先読みができないけど、男手としては百人力だよ」
「私には、管理する自信がありません」
「解った。絶対に服従するように連絡しておくから、顎で使っていいよ」
「何なら、岡村さんに預けて、須黒さんと連携したらどうですか」
谺が口を挟んだ。
「解りました。それならやれる気がします」
「じゃあ、連絡しておくから、頼むね」
中里は言うなり、電話を発信した。
『もしもしまるちゃん』
『もしもし、あっ、お疲れ様です』
『高橋さんは、第四・第五地点も掌握しなくちゃ駄目だから、岡村さんのバディで活躍してくれないかなぁ』
『了解です。第三地点の指標は如何しましょうか』
『指標?』
中里が驚いた。
「指標は、ブラインドですよ」
谺が横から声を張った。
『ブラインドですか? 了解しました』
『解らないなら、岡村さんに聴くといいよ』
中里は言うと、通話を切った。
「解るかなぁ」
「解りますよ、きっと。岡村さんなら」
中里と谺が、苦笑いで場を繕っていた。
「室長・室・長~」
「悪い・悪い、如何したの、斉藤さん」
「地上の人の流れが変わったわよ」
「そうかい」
「そうかいって、集中力が散漫過ぎませんかねぇ」
「今さっき、まるちゃんに連絡を取ったら、指標って言われたんだけど、うちらの指標って? なに」
「し・知りませんよ。室長が定めるものでしょう」
「俺が定めるのかい」
「谺です、斉藤さん。小野さんが別動隊として動き廻っています」
「小野ちゃんが」
「先手必勝と掲げています」
「ならあたしたちは、常勝無敗だね」
「そうなると、落とし穴になりますね」
「だから室長が、地下駐車場に居るの」
「誘い込む策を講じて下さい」
「そうなるか」
「そうするしかないですよね」
「解ったわ。先生に打診してみるわ」
「忘れ物は、誰でもしますから」
「了解。あたしの代わりに、地上に出てらっしゃい、
「サングラスを持ってきてませんよ」
「日陰なら、幾らでもあるわよ」
「解りました。直ぐに向かいます」
谺は言うと、階段に向かって動き始めていた。
中里は、
「回転なら、一二三よりも速いな」と、感心していた。それでも腹の中では、『策士策におぼれる、なよ』と、老婆心で警鐘を鳴らしていた。
同時刻の渋谷で、
「谺君の箍を外して来たよっ」小野が、石に告げていた。
「序でに、斉藤まるさんの箍を外してくれると扶かるのですがね」
「まるちゃんに箍はないよっ」
「それならば、概念を破壊するしかありませんね」
「まるちゃんには、概念・観念がないから、個性に依存したつもりなんだけどっ」
小野が宙を見据えた。
「それはそれとして、先手必勝とは大胆に打って出ましたね」
「攻撃は最大の防御なり、だからねっ」
「それでも、救助者を出してしまいましたよね」
「まぁねっ。イレギュラーって本来そういうものでしょっ」
「まぁ、第二地点で新薬採取に成功しましたから、それで帳消しですね」
「ここでも成功を収めるつもりだよっ」
「策は」
「袋の鼠? かなっ」
「方法は」
「こっちには二人も捕虜が居るからねっ」
「使えるのですか」
「自害した、ということは、一度死んだことだからねっ」
「亡霊としても、ここは異国の地ですよ」
「失敗は自爆と一緒でしょっ」
「外務省を使うのですか」
「フェイクニュースだよっ」
「総選挙につけ込んだことを後悔させるのですか」
「目には目をっ」
「歯には歯を。ですか」
「それで、伊集院さんはどこっ」
「地下にある、東横暖簾街です」
「ねずみ取りは猫に任せようよっ」
「賛成ですね」
「決まりっ。猫にマタタビを嗅がせてくるわっ」
「お願いします。発見は無線サイトで良いですね」
小野が手で合図をしながら、階段を下りて行った。
七十二
新宿駅大ガード下からアルタ前へ、与党幹事長が移動して来た。案の定、ターゲットが後に追いている。
斉藤がガードして、後ろから幹事長が追いているが、ただの一度も、後ろを振り返っていない。前方の危険だけを気にしている。幹事長の身は私設SPが守っていた。
「先生」
斉藤は階段下り口で立ち止まり、幹事長が間を詰める。
「如何した」
幹事長は階段の下り口で並び、斉藤と前を向いたままで応えた。
「地下街は、通行したことがありますか」
「ないなぁ」
「でしたらば、公用車に入ったら直ぐに鍵を掛けて下さい」
「車から出るな、ということか」
「テロリストを確保しましたら、お迎えに上がります」
「解った」
「手を二回叩いて、ゴーです」
「二回」
「
斉藤だけがスピードを上げて、地下駐車場フロアを確認した。その時に、幹事長をやり過ごし、物陰でターゲットとの間合いを計る。
『二十㍍位か』
物陰に隠れたまま、手を二回叩いた。
ターゲットが立ち止まり、びくっとして辺りを見回した。
幹事長が小走りに公用車に向かった。SPが交錯しながらそれを追う。
公用車は扉が開かれ、運転手が立って待っている。
幹事長は少し手前で、「乗れ」と、強くいい、公用車に飛び込んだ。
運転手が間髪入れずに座席についた。
「閉めて鍵をかけろ」
運転手が言われるがままに行動する。
幹事長が開閉扉のガラスに近付き窓越しに車外に見入る。
斉藤は酔っ払いを装い物陰から躍り出た。
わざと躓き蹌踉けなが転び、柏手を叩き注意を惹くことに務める。
道路の反対側の階段から、ターゲットに併せるように降りた谺が、斉藤の動きに併せるように、スマホを耳に充てた。
「バカ野郎、お前は能なしか」
大声を発し大袈裟に地団駄を踏み、空気を相手に八つ当たりを演じて見せる。
ターゲットは日本人の通常に疎い異国人である。言葉が解らず、習慣ですら馴染みがない。自らの措かれた状況に困惑していた。
斉藤は、幹事長の乗る公用車から少しづつ離れていた。ターゲットがそれを気にしても、近付くことはない。
谺は空気を相手に、ターゲットと幹事長の乗る公用車との間に入った。それを確認した斉藤が、蹌踉けながらターゲットに近付いた。
間隔を空けて地下駐車場フロアに入った運動部の武道家たちは、間を詰めながら包囲していた。
斉藤が仁王立ちになり、
「お終いにしましょう」
ターゲットは総てを覚り観念した。
「メンシェヴィキに栄光を」
小さく、願うように呟いた。そして、奥歯を噛み締めて、
「室長のところへ」
斉藤の号令で、運動部がターゲットを担ぎ上げて連れだった。
斉藤は見届けて歩み出した。
谺は待ち居並ぶと、斉藤に併せていた。
斉藤と谺が歩み寄ると、窓ガラスを下げた幹事長が、
「自害したのか」と囁いた。
「甦りをしています」
「そうか」
「ご存知でいらっしゃるのですね」
「ああ」
「御心労をお掛けして、申し訳ありませんでした」
「誰も死なない世の中にするんだろ」
「精進致します」
斉藤が一礼をして、踵を返した。
「あっ、そうだ」
幹事長が何かを思い出した。
「荒木尊はなぁ」
「木村を子飼いにした、弁護士の荒木でしょうか」
「ああ。奴は昔、広域指定暴力団の弁護で成り上がった奴だ」
「元々、木村と繋がっていた。というのですか」
「そうだ」
「有難う御座います」
「お前たちの情報元は教えなかったろう」
「はい」
「その情報元が、次官の上に行けない理由は知ってるか」
「いいえ、知りません」
「出世の為に、利用したらしい」
「さようで御座いますか」
「尻尾を掴ませないらしい」
「風の噂でお知りになったのでしたか」
「ああ。総理が信用できる。と教えてくれたからな」
「有難う御座います。身に余る光栄です」
「何時でも会いに来い。政府与党は、お前等の働きに応える」
「滅相も無いです」
「皆、気持ちは同じだよ」
「心得ております」
「苦労を掛けたな。甦りとやらに行って良いぞ」
「有難う御座いました。失礼致します」
斉藤に併せるように、谺も一礼して、中里のもとに戻って行った。
見送った幹事長が、「うさぎと一緒に」と言い忘れた。と呟いて、『誰にでも、忘れ物はある、か』と心に刻み付けていた。
ターゲットの蘇生は完了していた。
「お疲れ様」
「まだ終わってません」
「如何した」
「車中で話します」
「解った」
「皆さんに、通達して下さい」
「赤瞳さんの待つ第一地点に向かう号令かい」
中里は斉藤の異変に気付きながら、
「第五地点完了~。第一地点に向かうぞ~」と、雄叫びのように発した。
同時刻の渋谷
「ターゲットを発見しました」
「位置確認をして下さい」
「JRの改札口を出ました」
「近いですね」
「ハチ公前に出ました」
「確保班ターゲットに接触しながら階段まで誘導してっ」
「了解」
「どうするつもりですか」
「捕虜が階段下に居るよっ」
小野はいうと、結束帯を切った。
「どういうことですか」
「伊集院さんの英語がまるで通じないのっ」
「解りました。確保班両側から捕縛して下さい。前後左右は研究生が確保して下さい」
「了解」
「万が一にも怪我したら、私が手当てしてあげるからねっ」
石は駈け寄り、ターゲットが捕縛された。
石はターゲットの両の手を後ろ手にして、両親指を結束帯で拘束した。直ぐさま猿轡を取り出して自害を阻止する。
研究生が一般通行人を制御して階段までの空間ができた。
「まっしぐらに向かって下さい」
石の指示で、ターゲットが担ぎ上げられた。身悶えるターゲットが、
小野が捕虜の腕を取り、おいでおいでと手招きさせていた。
「ふ~・ふ~っ」
ターゲットが鼻息を荒げた。
「地に脚をつけて下さい」
石に指示されて、確保したまま降ろされた。ターゲットが、両脇を捉えている者を引き摺るように階段を降り出した。
地下フロアに着くと、小野が降りて来たターゲットの拘束帯を切った。ターゲット同士が抱き合う。
石はそ~と近付き、猿轡を外した。
暫く見守ると、小野がターゲットに近付き、口を開かせた。傍に
静かにジュラルミンケースが閉められた。
小野がターゲットの肩を叩き動き出す。
「完了です。撤収して第一地点に向かいます」
石は発信すると、小野の近くに寄って行った。互いに見せ合う笑顔に、無事終了が覗える。それでも次が控えているので、心の中だけで一息ついていた。
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