第8話 新時代  後編

     十七


 天空橋の袂にあるJホテル。羽田空港に一番近い、というのが売りである。うさぎは今、送迎バスの乗務員をしていた。


 同僚の遠藤が風邪でダウンして、二週間ぶりの休みである。

 誰も待っていない寒いだけの部屋も、今日だけは恋しく感じていた。


 足早に人混みを掻き分けて、駅に向かっている。突然、進行を妨げられた。がたいの良い数人が、うさぎを取り囲む。その中の一人が徐に警察手帳を出し、

「○○警察署の者です。うさぎ赤瞳さんでしょうか」と言った。

 うさぎは然とした態度で、

「警察のお世話になるようなことはしていませんが」と応える。

「川井遥さんのことで、お話しを聴かせてもらえませんかね」

「川井遥さん」

「お知り合いではないですか」

「知り合いですが、どういうことでしょうか」

「つい先日、お亡くなりになりました」

「遥さんが・・・」

「ご同行して頂けますよね」

「私を疑っているのですか」

「今はまだ、容疑者と言う訳ではありません」

「調べられて困ることはないですから協力はします。ですが二週間ぶりの休みですから、体調の赦す範囲でお願いします。


「勿論です」

 言った途端に、囲いが狭まる。心の中で、『まるで連行だな』と呟いた。

 ワゴン車に乗せられて○○警察署にやって来た。


 取り調べ室に座らされ、同行を求めた刑事が目の前に居る。素っ気ないところを診せるあたりは、ドラマで見るイメージにはほど遠い。


「ガチャッ」と扉が開き、男が入ってきた。

「ここからは、本部の仕切りにさせて貰うよ」と、仲間うちには愛想が良い。

 恰幅の良い男がずかずかと前に来て、

「県警本部捜査一課の小島だ」と言うなり、パイプ椅子に腰を下ろした。さっきまで座っていた刑事は、直ぐに立ち上がり席を譲って立っていた。


「川井遥さん殺害容疑で、取り調べを行う」

 うさぎは急展開に思考がついていけず、宙を見据えた。

『連行時に右側に居たのが、小島と言うのか』

 想像をはたらかせて、思考を後押しする。

「名前は」

 鋭い眼光は、流石に捜査一課だな、と思った。

 途端に、

「うさぎ赤瞳・・だったな」とひとり芝居を打っている。

「住所は・・川崎区並木・・・と」

 全く以て、猿芝居にしか映らなかった。


貴様うさぎには、黙秘権がある。しかし正直に話せば、布団(留置場)で横になれるんだぞ」

「私は、犯罪者。ということですか」

「お前には動機があるからな」

「動機とは」

「男女間のもつれは情事と相場が決まっている」

「情事」

「営みは、健全な男の証明だからな」

「警察は、ゲスの勘繰りをするのですね」

「言葉に気をつけろよ、うさぎ」

「そんなことだから、税金の無駄遣いと言われるのではないですか」

「警察組織を敵に回すとは、良い度胸をしているな」

貴方あなたには、私が殺人犯に見えるのでしょうね」

「犯罪者は皆、そういうことを言うよ」

「そこまで言うのなら、私が殺した。という証拠を提示して下さい」

「自白する気はなし、と」

 うさぎが体幹を維持する気力すら無くした。


 場の空気が、思いの外澱んでいく。

「いいか、うさぎ」

「・・・」

 何も答えずに、俯いた。

「人間は間違いを犯す」

『今度は、なにを始めようと、考えているのだろうか』

 うさぎが俯いたまま考えている。

「間違えたならば、詫びなければならない」

『だからなに』

 思った刹那に閃いた。

「きちんと詫びて、やり直そう」

『新手の宗教家の演説ですか』

 拈華微笑を送ってみた。

「大丈夫だ。お前には、絶対に見捨てることのない俺がついているんだからな」

 うさぎの想いは伝わらなかった。


『押収した覚醒剤をくすねて使用しているのですか』

 駄目元で、再び送る。

「正直に全てを話して、俺と一緒にやり直そう」

『熱血漢を演じるつもりなら、役者の勉強をしてから出直して下さい』

 最早、白昼夢の世界に居る小島に、哀れみすら感じなかった。


「お前は、運が良い。俺の加護を受けられるんだからな」

 うさぎがゆっくりと顔を上げて、

「神をも恐れぬ言動は、末代まで祟りに縛られますよ」と教えた。

「やっと話す気になったか」

「話すもなにも、私は人を殺していません」

「嘘つきは泥棒の始まり、というぞ。お前はこの時点で犯罪者だよ」

「貴方の言葉には、説得力がありません」

「それは、お前の心掛け次第だろう」

「私は、神頼みをしません」

「神に一番近い俺を目の前にして、じ気づいたのか」

「貴方が神ならば、∮∀ℵ∂∃£$€€ΠβΨζΧΩΨをしてみて下さい」

「訳の分からないことを言えば、俺が怯むとでも思ったのか」

「サンスクリット語も知らずに、神に一番近い存在と言えますか」

「俺ぐらいになると、神の方が合わせてくれるんだよ」

「誰も信用しませんね」

「だからお前は、救われ無いんだよ」

「・・・」

 うさぎは、相手にするのを止めた。


 少し開いたままの扉が空いた。

「お疲れ様です」

 記録係が立ち上がり、敬礼をしながら堰を切った。

「お疲れ様です」X2

 所轄の刑事も挨拶を送った。

 小島だけが苦虫をかみ潰した顔で会釈だけをした。

「先生をパイプ椅子に座らせるなど、鞭を打った仕打ちのようですよね。ソファーに変えさせましょうか」

「殺人犯をソファーに座らせて、取り調べをするなんて聴いたことがないですね」

「どういうことでしょうか」

「神に成りすました口軽人間様は、ヤバイ薬の常習者かも知れませんよね」

「お前は、立場というものをまるで解ってないな」

「立場と言いますが、紹介すらされていませんからね」

「この方は、県警本部の一条管理監だ。お前如きが話せる相手じゃないんだよ」

「あ・そうですか。それなら、狸寝入りでもしてますよ」

 うさぎの冗談に、記録係が吹き出した。

 一条がそれを見て、記録を取り上げる。

 読みながら苦虫をかみ潰して、

「申し訳ありませんでした、うさぎ先生」

 非礼を素直に詫びる。

「魂胆があるのでしたら話して下さい」


 一条が思考を巡らせて、

「藤沢真奈美、という方をご存知ですよね」

「元素殺人事件の被害者ですね」

「あの事件と、川井遥さんの死亡現場が瓜二つなんです」

「そういうことでしたら、伊集院検視官に依頼すれば、全てが白日のもとに晒されるはずです」

「その検視官にたどり着け無いから、お前を捜したんだよ」

「無礼なもの言いは止めなさい、小島さん」

「管理監は人が良すぎです。此奴こやつそそのかしたから、何とかって言うのが取り出せ無いんですよ」

「ものには順序というものがあります」

「うさぎ先生の仰る通りですが、小島さんは口が悪いだけで、人は悪くありません」

「管理監が信じたいのは解りますが、此奴は詐欺師やペテン師と、なんら変わらないんですよ」

「話しを飛躍し過ぎですよ」

「若しかして、私のよしみでたどり着きたいのですか」

「こちらは、打つ手を無くしています」

「こんなペテン師の口車に乗ること自体が間違いなんですよ、管理監」

「僕からみれば、うさぎ先生と、小島さんは変わりませんよ。言葉という文化を上手に使えることは文化人の証しですから、小島さんの方が劣っていると思いますがね」

「俺がこいつよりも劣っている、というんですか」

「私はただの妄想家です」

「こう言ってますよ、管理監」

「このまま痴話げんかを続けるつもりなら、私は帰らせて頂きます」

「お力をお貸し頂けないというのですか」

「伊集院さんとは疎遠になっています。今の私は世捨て人と変わりません」

「川井さんは同僚たちに、私利私欲の無い変わり者と言っていたのが全てなんですか」

「妄想家と自刎じふする変人だから、男女の関係を迫ったんですよ。それを無下にされたから、何とかって言うもので殺したに違いありません」

「うさぎ先生が、隕素を持っているという証拠を見つけ出して下さい。そうなれば、小島さんを信じましょう」

「そんな殺生な」

「隕素は疎か、酸素ですら、小島さんには取り出せませんよ」

 うさぎは云ってから、続けた。

「無駄に二酸化炭素を吐き出し続けるかみもどきには所詮、悪態をつくしか出来ませんからね」

「全くその通りです、うさぎ先生」

 減り降る理由は定かではないが、一条の誠意と受け取ったうさぎも譲歩して、その場が治まりをみせた。

 揉め事がひと段落して、互いの協力を約束した。うさぎの腹の虫も治まりを魅せ、連携することを確約されて、その日は帰ることを許された。表面を繕って、取り敢えず帰宅できたのであった。


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